かつて〝「話」という装置〟において、「人々は祭りのイメージを作り上げ、強いては勇壮さを表現する装置としての「話」を共有化する」ことについて触れた。石川俊介氏が「聞きづらい「話」と調査者-諏訪大社御柱祭における死傷者の「話」を事例として-」(『日本民俗学』268)を発表したのは2011年。12年前の御柱祭の調査からのものである。2004年から2度目の御柱祭が今年、そして先ごろ全国ニュースでも報道されたように、諏訪大社上社本宮に建てる4本の御柱のうち「一の柱」において事故が発生し、柱のてっぺんに乗っていた方が転落して亡くなられた。その2日前、事故のあった一の柱を建てる穴を覗いたばかりだった。この事故について、友人は「諏訪の男は御柱で死ぬのは本望だと思っている、といった話は諏訪人以外の者が御柱について話すときには話題になります。そうでも考えないと、あえて危険な場所をとりあう氏子の気持ちが説明できないのです。」とブログに書かれた。確かにこのことについて報道されたウェブ上の記事には、膨大なコメントが寄せられた。とりわけYAHOOニュースに掲載された朝日新聞デジタル 5月5日(木)19時8分配信分の「御柱てっぺんから転落、男性が死亡 長野・御柱祭」には、3236件のコメントが掲載された。批判的意見がほとんどな中、「インタビューで命をかけてやってるって言ってましたから納得でしょ」とか「本人がやりたくてやった事。何があっても本望ではないでしょうか」のように、祭りで死んだとしても許されることのように捉えられるものもある。石川氏のいう「話」は、実際に死亡事故があってもなくても、そうした噂話をもって祭りをイメージ化する装置になるという捉え方だ。実際のところ、昔は死者が出たことを隠すということがあったと聞く。今回のコメント欄にもそのことを書いている人がいて、今ではケーブルテレビで実況しているから、画面上の事故は消すことができない。そもそも「消す」意味は「隠す」であって、死者を出すことが嫌われていたと言える。ようは「本望」だという「話」は、結果を繕うための言葉だと言えるだろう。
御柱迎えに出た同僚に言わせると、「本望」というのは亡くなった方への敬意を払う意味ではないかという。本来は安全第一に考えてやっているが、たまたま事故が起きて、報道されるから話が大きくなっている。とりわけ今はこんな具合に、ウェブ上に上がれば即座に叩きのめすほどのコメントが集中する。怖い時代であるが、批判的な言葉を読んでいると、諏訪人は「馬鹿だ」みたいに聴こえてくるが、本当はそうじゃない、みな事故を前提になんてやっていない。何でもそうでしょう、事故に会いたくて行動を起こすわけじゃない。リスクが高いことはわかっていても、だからといって辞めるかどうかも、基本的にはどこかで天秤にかけているはず。それは個人でもそうだろうし、集団でもそうだろう。そうした上でやるからには最善の策を取ろうという努力をする。漫然と伝統だからといって同じことを繰り返しているわけではない。石川氏も前掲論文の註19で触れているが、昭和25年の上社御柱の川越しにおいて、水田を荒らされた地元住民が、訴訟も辞さないという姿勢で抗議を諏訪大社に行った。翌昭和31年御柱で再び水田が荒らされたため、水田に御柱を乗り入れた地区の大総代が襲撃されるという事件も起きたという。先ごろ「御柱の“陰”」でも記したが、同じようなことは諏訪大社以外の御柱祭でも発生している。伝統だからといって変えたくない者もいるが、いっぽうでその時代背景に沿って変えるべきだと言う人もいる。すぐには変えられなくても必ず学習しながら御柱祭は変化を遂げてきている。前述したように「本望」はあくまでも結果に対して当事者へのフォローと言える。事故を隠そうとするということは、むしろ「恥ずかしいこと」という意識が強いと言える。これも石川氏が「話」として事例を紹介しており、「怪我したらずっと言われて、けがれているだ、信心が足らんとか」と捉えられるというのだ。
あの山出しの「木落し」を見ていると、大怪我をしてもおかしくないという状況が見える。ところが実は「木落し」以上に危ないのが「建て御柱」。前回の御柱でも諏訪大社では下社春宮一の柱で死者2名を出す事故が発生したのだが、小宮でも建て御柱で死亡事故があったと記憶する。
続く
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