いつまでには「ここまでしよう」、そんなつもりで予定を立てるが、その通りにいかないのは、誰しも同じだろうし、そこにどの程度余裕を持たせられるかによっても、達成度は違ってくる。忙しければ忙しいほど、余裕はなくなり、結果的に目標の日までに納められなくなる。仕方ないから、休日はその調整日になる。この年末年始は、そういう意味では長い調整日だった。
正月元旦に届く年賀状の数は、ピーク時に比べればずいぶん減った。そもそも年賀状を書かない人が増えている。息子などは、一時は恩師からもいただいていたのに、返信もしなかったから、もはや年賀状とは無縁になりつつある(いまもって数枚届くが、その数は年々減り続け、いよいよゼロになるかも)。若者の世界から年賀状などというものは消滅している、と思っていたら、会社の若い人たちから年賀状をいただいた。かつてはそのほとんどが年上の人からの年賀状だったのに、考えてみれば、今はそのほとんどが年下の人になりつつある。もちろん自らが年を重ねた証拠だろうが、いよいよ高齢者の仲間になるのもそう遠くなくなっている。
このところ、年内に年賀状などとても手が出せずに、元旦に届いた年賀状に「返事を出す」ような格好で年賀状を書いて、急いで投函していたが、今年は元旦どころか、三が日の間にも返事は書けず、「今年は正月休みが長くて良かった」レベルでの返信になってしまった。最近は年内にちゃんと投函している妻とは大違いだ。
そうこうしているうちに、かつてやりとりしていた様々な方たちとの音信もなくなった。致し方ないが、おそらくそうした方たちはわたしよりは年上。「どうされているのだろう」、そんな思いが募るが、もう何年か繰り返している。やはり身内に亡くなった者がいて、年賀状を辞退していた時があると、疎遠感は募り、そもそも年賀状が億劫でならなくなる。きっと定年を迎えると、また少し考えは違ってくるのだろうが、今は目先のモノに振り回されている。間もなく定年を迎え、心模様にきっと変化が現れると、これまでできなかったことがたくさんできるのだろう、などと予測するが、それほど甘いものかどうか。とりあえず、正月休みの内に年賀状の返信ができたことに「安堵」。
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