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あまりひと目につかない印刷物 後編

2025-01-06 23:13:11 | 地域から学ぶ

あまりひと目につかない印刷物 前編より

 この雑誌、図書館で検索してみると蔵書として存在しているのは飯田中央図書館と高森町図書館のみ。後者は2010年から2011年までのものだけのようだが、貸出可能だ。いっぽう飯田中央図書館の方は、閲覧可能な書棚には71号以降だけで70号までは書庫のようだ。さらに館内閲覧鑿と言うことで貸し出しは不可である。まだえつらんできる図書館があるだけましなのかもしれないが、いかにひと目につかないかよくわかる。こうした印刷物、現在は長野県内を拠点としている八十二銀行が発行している『地域文化』に似ている。こちらも昭和62年3月から発行されていて年4回の発行。実は県内を網羅している銀行だが雑誌はあまり眼にしない。銀行の待合室に置いてあるという代物ではなく、とくに南信地域では認知度が低いのではないか。

 さて、なぜ妻の実家に取材があったかというと、記事の「土蔵のある光景喬木村富田 味噌蔵」のためだった。2006年と2007年の目次を見ると「土蔵のある光景」という記事が毎号掲載されている。ようはその一つとして妻の実家の「味噌蔵」が紹介されている。もちろん土蔵もあるが、併設して「味噌蔵」も設けられている。味噌蔵というくらいだから味噌を貯蔵するために造られたのだろうが、主に飲食物の貯蔵用にあると言っても良い。味噌蔵を専用に設けている家がどの程度あるかはわからないが、記事には次のように記されている。

 味噌蔵には、二年物、三年物の味噌や漬物の桶や樽、漬け込んだ年が記された積年ものの梅干やラッキョウの瓶、果実酒やマムシ酒も並んでいる。自給自足の時代から続く自家製自家用の味噌や漬物は、誰にも真似できない味に育てられ、〇〇家独特の風味を醸し出している。味噌蔵は、毎日の暮らしの味を貯蔵し、熟成した品々が眠るところでもある。

と。義理の母は記事にもあるように漬け込んだ年を、あるいは瓶詰した日を記したシールを貼ったものをここに貯蔵していた。そのせいで妻も同じようなシールを貼って貯蔵するが、義理の母はたくさんこうしたものを味噌蔵に納めていたものだ。妻の実家にはこうした味噌蔵があったが、祖父の代に別家した我が家には、土蔵はあったが味噌蔵は無かった。ただ、やはり併設して蔵風に造った「味噌部屋」というものがあって、妻の実家と同じような利用法をしていたものだ。やはり土蔵の中には置けない、あるいは置きたくない飲食物用の貯蔵庫は、かつては欲しかったわけである。

『飯田・下伊那 生活と文化』2006年秋号(飯田信用金庫)より引用

 


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