今年も今日でお終いである。昨日も記した通り、年老いて作業能力は落ち気味である。数日前に「何をしただろう」と、メモ帳に記録しようとしても、ペンが走らない。思い出せないのである。たいした作業をしていないからなのかもしれないが、その時はこう記そうと思っていたことが記憶に戻ってこない。ほぼ確実にメモにすることはできず、「何をやっているんだ」と憤慨する。したがって過去の日記を記そうなどと言うことは無理な話だが、それでもと思い試みる、そんなこのごろである。
初めて息子夫婦との大晦日を迎えるとあって、今日は大掃除である。もちろん全部は無理だから、見られる空間だけだ。いつもは洗濯物の干場であり、わたしの作業場でもある居間は、人には見られたくない、というか見せられる状況ではない。しかし、これまでのお客さん的な関係でいつまでもいるわけにもいかないので、大晦日はこれまでの座敷からキッチンに場所を変えることとなった。キッチンの隣が居間だから、居間とキッチンの間の戸を閉めておくわけにもいかないから、居間も見られる空間となる。ということで居間の大掃除なのである。居間を片付けるのはいつ以来か、記憶が戻らないほど昔の話だ。我が家では人が来なければ掃除をすることはない。たまには人に来てもらわないと、綺麗にならないというわけだ。
令和5年4月17日撮影
さて、今年の大きな出来事は、何と言ってもシロが亡くなったことだ。いつもその居間を走り回っていたシロがいなくなった。とりわけ四六時中一緒だった妻にとっては、シロが居なくなったことは大きい。あまり人懐こくなかったシロでも、お母さんのことは大好きだった。そのシロが居間から消えた。ここに家を建てたころからいた犬が居なくなったのは、言い難い寂しさがある。悲しい想いはしたくない、と妻は犬を飼うことをためらうが、やはり寂しい。
写真は亡くなるちょうど1年前に撮ったもの。以降亡くなるまで、あまりカメラに納めることはなかった。シロの居ない居間で、新しい年が来る。
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