今日のニュースで
大卒や短大の卒業予定者で
就職未定者の多くが
大学に残ることや就職浪人を選択せずに
専門学校に入学する学生が増加しているという
報道がありました。
手に専門技術を付けることを
念頭にしているようです。
こうなってくると
あくまで私見ですが、
我々が過ごした大学の自由さが
姿を消し
専門学校の延長のようなスタイルに
変化していくような気がしてなりません。
話が飛躍しますが
大学不要論も出かねません。
高校ないし中学を卒業したら
専門学校入学で就職に備えるか
技術を習得できる専門大学入学かに
なってしまうような
そんな気がしてなりません。
大学生活が今までのように
自由できままで
思いっきり限界を追及する場で
なくなっていくことに
少々がっかりするのでした。
親からすれば
お金を大枚はたいて
遊ばすなんて
言語道断というかもしれません。
私が言いたいのは
大学生活で体験した
「何かに心底打ち込める時間」を
体験することがなくなるということが残念のです。
例えば・・・
麻雀でも
競馬でも
バイトでも
恋愛でも
大学祭でも
ボランティアでも
旅でも
研究でも
対外交流でも
本を一日中読むにしても
学業でもなんでも
自分の限界まで
めちゃめちゃ一生懸命に打ち込むことが
のちに役に立つことが多いからなんです。
時間がいっぱいあるから
1つだけでなく複数体験するのです。
そういったことを
「無茶をする」とあえて言いますが
何故か
そういう「無茶をする」ときには
仲間が自然と出来るのです。
そして、夜通しその仲間と議論で盛り上がったり
ときには喧嘩しそうになったり
それもまた大事な要素だと思います。
確かに
就職できなければ
生計も立てられないし
親からの独立もままなりません。
今の学生が置かれた立場もわかります。
しかし、
職業訓練だけですごした学生生活が
のちの社会人としての
仕事としての業務起案に
おもしろさや新しい発想が
生まれてくるでしょうか。
それが心配なのです。
社会人になれば
1年目は新人でなんでも大目に見てくれますが
2年目以降はそうは行きません。
応用力や新しい発想は
遊び心や過去の経験から
生まれてくることが多いと
私は思っています。
昔のように
何でも人海戦術で対処していた時代なら
人に使われているだけの人間もありきでした。
しかし、現代はコンピュータ化され
人海戦術が必要なく
大きく外から全体を見届ける力のある人材が必要とされています。
例えば
経理などで
昔は、現金収入を毎日カウントし
現金支出や買掛金や売掛金や未収回収を担当が整理し、
貸借対照表と損益計算書の貸方勘定・借方勘定に正確に帳簿を付け
例月出納整理を行って帳簿を作成していましたが
今は簿記を完璧に理解していなくても
専用のシステムソフトが帳簿をを作成し管理してくれます。
お金も自動で計算する機械があり
表に数字を入力するだけで簡単に帳簿が出来上がります。
決算書は自動で作成されるし・・・。
細かい作業をする人がほとんどいらなくなったのです。
昔なら技術習得は就職に近道だったと思います。
今でも完全に否定はできないことも
わかっています。
自分の経験から
社会人になったら
必ずどこかで壁にぶち当たります。
必ず、
仕事をやればやるほど
成功すればするほど
上司から仕事を回され
しかも難易度が高く
分量も尋常でなくなることが
日常茶飯事になります。
前例のないプロジェクトも
まかされます。
そんな時、私には技術論だけでは
乗り越えられなかった壁がありました。
昔した夜通しの白熱した議論や
ボランティアの取りまとめのしんどさや
限界まで挑戦した深酒や
過労死でなく過遊死寸前まで
無茶した経験が
時間の割り振り、
年代を超えた人との交渉やコミニュケーション、
寝る時間を削れる範囲、
息抜きの方法、
助けを求めるタイミング等のことに役立ちました。
話は少し例えになりますが
こんなことがありました。
プロレスラーに
アントニオ猪木という選手がいました。
一時代を築いた偉大なレスラーです。
プロレスは一種のショーであり
格闘技スポーツでもあります。
プロレスの面白いところは
ルール上は認めていない反則行為な技でも
プロレスファンが認めれば
それは立派なルール上の正規の技になるのです。
猪木さんには必殺技がいくつかありますが
その中でも特におもしろいのが
「チョークスリーパー」という首絞め技です。
頸動脈を絞め反則攻撃を仕掛ける大技です。
レスラーの中には
「アントニオ猪木なら何をやってもいいのか」と
反旗を翻す選手も少なくありませんでした。
しかし、プロレスファンは
猪木さんがチョークスリ-パーを仕掛けるとき
最高潮に熱狂し魅了されるのでした。
そして敵をKOし勝ち名乗りを上げ
「1・2・3・ダァー」で会場が一体化し
大興奮するのでした。
猪木さんも
それを認めたプロレスファンも
技術論だけでなく
何をすれば場が盛り上がり
どうすれば成功するのか
心と体と経験が知っていたのでしょう。
何が言いたいかといえば
今、何が必要で
何をすればいいか
それをルールに直させてしまうだけの
人を惹きつけるだけの何かを生み出すことは、
一見そういった型破り的なことではあるが
実はそうでなく
そこのところから
生まれることが多いと言いたいのです。
。。。。。