役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

大震災から15年、テレビドラマを観て思うこと

2010年01月17日 01時03分27秒 | Weblog
土曜の午後9時から関西テレビ系で
神戸淡路大震災を新聞記者からの目線で
作成したドキュメントドラマが放送され
ていました。

自分の住む神戸が何もできずに壊れていく
そんな姿を目の当たりにしてもがく
記者と住民の苦悩と葛藤を描き
そこから希望の光がどのようにして
さしてきたかで綴った2時間ドラマでした。

昔、私も同じ時期に
神戸へ向かったことを思い出しました。

早い時期に
JRが芦屋まで開通したため
そこから10キロほど
歩いて神戸へ入りました。

飲み水とカロリーメイト、
軍手と防寒具、ラジオ、簡単な医薬品等
持参で。

途中東灘区や灘区を通り三宮の
市役所を目指しました。
なぜなら
ボランティアを統括する社協が
市役所内にあると聞いていたからです。

山手幹線と脇道に逸れていろいろな所を通りました。

電柱が倒れ
電線が地面を塞いでいたり
民家が半壊し
道路がひび割れ
自衛隊が救援物資を運ぶため
道路封鎖していたり
火災の後の独特の臭いが立ち込めていたり
車が潰れていたり
どす黒い血の跡がが点々とあったり
糞尿があふれていたり
割り箸や透明パックなどのゴミだらけだったり
ブルーシートで小さな避難村を形成していてたり・・・

やっぱり自分の足と地理が大事だと気付きました。

2時間半ほどで
市役所に到着しました。

その時のことを思い出すと
市役所の旧館が3階だったか4階だったかが
押し潰れて立ち入り禁止になっていました。
新館へ行きました。
安否や連絡先を促す張り紙が
いたるところに貼ってあり
無料で利用できる黄色電話が設置してありました。

センター街のアーケードが倒壊し
ビルが傾き
道路が盛り上がったり割れていたり
電柱が折れていたり
火災の跡が生々しかったり・・・・。

炊き出しをやってたので
お手伝いをしようと
中へ入って行きました。
そしたら
おにぎりを取りに行くから
一緒に手伝うように言われ
近くの小学校まで行きました。

ずっと義援金の収集のお手伝いを
していましたが
壮絶な現場を目の当たりにして
自分の小ささと独りよがりであった
ことに気が付きました。

公園のトイレが糞尿であふれ
人の文化的な生活とはかけ離れていました。

それでも生き抜き
先の見えない数日の生活から
絶望に打ちひしがれ
希望が見えない人間に対して
どう接すればよいか
当時の私には
対応する能力がなかった
その思いに打ちひしがれました。

帰りは阪神電車で梅田まで行きました。
大阪の地下街は
なんの影響もなく
普段のとおりでした。
デパチカは食品にあふれ
30キロ西の街では
死者が5千人以上けが人も多数・・・。

この現実が信じられず
茫然と地下街のあふれる人の波を
見た記憶を思い出しました。

そんな茫然とした感覚と
同じ感覚を思い出しました。
神戸の地震にまつわる
民間の伝え話が一つあります。

その話とは・・・。

地震発生から間もない時期
まだ瓦礫の下敷きになったままの多くの人が
生存していて助けを待っていた時のこと・・・。
家族は下敷きになった家族を助けようと
必死に瓦礫をのけようとするも
全く動かず・・・。
必死に助けを呼ぶも
その声も届かず・・・。
NTT電話は壊れ、携帯電話は不通・・・。
日は暮れ
また陽が昇り・・・
寒い中、生き続けるが誰も助けられない・・・。
急にどこからか火の手が・・・。
電柱が倒れ、家屋が倒壊し、
道がふさがれ、
消防を呼ぶ手だてがない。
消防にたとえ連絡できたとしても
水がない。
後からわかったことですが
その出火は
通電火災といわれ
停電が復旧した時に起こる火災だった。
火が倒壊した家屋に襲い掛かり
まだ、生きている下敷きの人々の
阿鼻叫喚が響き渡ったそうだ・・・。
日本人なら誰もが
こういった話は可哀想だと思う。
しかし、
この話は可哀想な話では終わらない。
隠された話がまだ続く。
出火前に話は戻る・・・。
地震後
神戸市役所のある職員は
まだ瓦礫の下に生存者がいることを知り
政府機関に自衛隊などの救援要請できないものか
上層部に伝達した。
役場内も庁舎が倒壊するなど大混乱だったが
政府の緊急対策室と連絡が付いていたようで
現場から自衛隊の出動要請があったことを知っていたようだ。
ところが
自衛隊が違憲だと
普段からわめいている団体や政党が
それを阻止することに躍起になった。
自衛隊は国道しか通れないので神戸には入れない。
ならば
海上からはと
海自と陸自が一体となって神戸港に入港するも
労働組合と教職員組合が主体となった組織が
「戦争を助長する自衛隊は帰れ」と入港を集団で阻止した。
人命救助に来た自衛隊を追い返したのだった。
マスコミはこのことを放置し
横並びでどこのマスコミも全く報道することはなかった。

どちらも同じ日本人であることを
理解しておかねばならない。

人間は「相手の立場に立って考えて」と
小さいころから教えられますが
それは無理だと思いました。
相手の立場でなく自分の領域でしか
判断できないと思いました。

自分が本当に災難にあってみないと
本当の気持ちはわからないものだと・・・

他人の
希望の見えない絶望なんて
絶対に理解できないと
痛感しました・・・。

記憶の図書館から
そんな思い出を
出してしまいました。

。。。。