徒然にっき'18

OCNブログから引っ越してきました。
文華の日常を綴った、プライベート日記です。

被災生活16日目~データ分析中

2011-03-26 19:55:00 | 日記・エッセイ・コラム
3月15日の夕方から、福島市の環境放射能測定値が急激に上昇し、その後なだらかに下降していった。
その原因が雨と地形、風向きによることを、テレビで専門家が指摘する前にすでに分析していた私。


今後の放射能対策のために、ここ2週間の「環境放射能測定値」を、Excelでまとめることにした。


福島県は放射能測定値を、初期の頃はExcelデータで公表していたのだ。
そのときのデータをもとに、自分が知りたい区域だけの一時間ごとのデータを入力できるよう改造。


しかし、二週間分なので、データはかなりたまっていた。
pdfデータを見ながら、数値を入力するだけでも一苦労。
本当は七カ所のデータをまとめ、分析する予定だったかが、途中で疲れてしまった。


本日の成果。
自分が住む福島市は、3/13~3/26(18時現在)で、累計約2400マイクロシーベルトの放射線を浴びていることが分かった。
2400マイクロシーベルト=2.4ミリシーベルト。
これは、一人あたりの自然放射線(年間:世界平均)と同等にあたる。
たった2週間で、一年間の放射線を浴びていることになる。
(もちろん、この2週間屋内退避が基本だが、木造アパートでは1割しか防げない。)


ちなみに、一週間ごとの放射能測定値の平均だが、先週が8.38μSv/h、今週が6.38μSv/hとなっている。
この調子で測定値が減少することを祈るが、仮に現状維持があと2週間続いたとする。
(現在の平均は3.8μSv/h)
3.8×24×14=1276.8(マイクロシーベルト) →約1.3ミリシーベルト
2.4+1.3=3.9(ミリシーベルト) 
まぁ、このぐらいの上昇なら、まだ許容範囲か。
しかし、この調子でもし1年続いたとしたら…。
3.8×24×365=33288(マイクロシーベルト) →約33ミリシーベルト
(数値が上昇していた頃の累計は除く。)
放射線業務従事者に認められている上限が、1年あたり50ミリシーベルトだから、空気以外の内部被ばく(水、野菜、土壌など)を含めるとぎりぎりってところか。


まぁ、これ以上原発が酷くならなければ「避難する」レベルではないことが分かった。
ただ、子どもや妊娠している方、これから子作りをしたい若者には危険な数値だよね。


いくら「放射性ヨウ素」に半減期(8日)があるとはいえ、ずっとふれている状態では減少しないだろうし、福島市の水から「セシウム137」(半減期30年)が微量ながら検出されていることも、報道ではなかったことになっている。
なので、専門家がいくら
「全く問題がありません。」
と主張しても、自分は鵜呑みにしないことにしている。
安心を求めたい気持ちは分かるし、過剰反応もどうかと思う。
自分は自分なりに情報収集し、納得いくまで分析するのが性に合っているようだ。


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最後に、写真について。
昨日、理科室の薬品を検量した。
話題の「ヨウ素(溶液)」、うーん、今まで何とも思わなかったけれどちょっと恐怖を感じたよw


被災生活15日目~被災時に役立つ食材

2011-03-25 21:19:00 | 日記・エッセイ・コラム
ここ2週間の生活で、肉を購入できたのは一度のみ。
しかも、停電が続いたためスーパーでの保存状態が悪く、疑心暗鬼のまま調理した。
幸い、おなかを壊すことはなかった。


まず、タンパク質源として非常に役立っているのは缶詰。
我が家の常備缶詰というと主に魚系が多いのだが、今回は弟がゲットした「スパム」が、肉代わりとして役立った。
適度な大きさにスライスし、小分けにして冷凍保存。
サイコロ状に切って、スープに入れたり、グラタンに入れたりできた。


次に重宝しているのが、乾物類。
普段から「昆布、乾燥わかめ、ひじき、干ししいたけ」などを常備していたのだが、震災後の買い出しの際、更にいくつか補充しておいた。
どうも被災生活=「カップ麺、インスタント麺、真空パックご飯」などというイメージが強いらしく、乾物は意外に売れ残っていることが多い。
「煮干し」は味噌汁の出汁&具となるので一石二鳥。
ここ3日は、「煮干し、凍み豆腐(高野豆腐を薄くした感じ。)、乾燥わかめ」の味噌汁が定番だ。


青森で買ってきた「乾燥野菜」も、非常に役立った。
自分が購入したのは、にんじん、ごぼう、だいこんの乾燥野菜のパック。
ちょっとずつ水に戻して、スープなどに利用した。
野菜の安全が疑われる中、これからは乾物の需要がますます高まるかもしれない。


最後に、米の産地が大打撃を受けている中、これから必要になってくるのは米以外の主食であろう。
我が家には今、パスタが三種類ある。
弟が購入してきた餅もある。
薄力粉、強力粉、片栗粉もある。
一番好きなのはやはり米なのだが、これから米が底をつくことを考え、他の主食をメインに食していきたいと思う。


ちなみに、今日は電子レンジでパスタ二人前を茹で、市販のソースで和えた。
そして、夕食、保存用(大)、お弁当用(小3)に分けた。
保存&お弁当用は冷凍する予定。


ある人から、suzu家は食材がありすぎだと言われたので、なるべく買いものは自重したいと思う。
明日、実家で米(以前ゲットした5キロ)と野菜を持ってきてくれるらしいので、しばらくはあるものでなんとかしたい。


被災生活2週間~久しぶりのコンビニ

2011-03-24 22:25:00 | 日記・エッセイ・コラム
今日は通勤の往復にタクシー相乗りを使用した。
金額的には、うーん、毎日は続けられないなってレベル。


近所のコンビニが開いていたので、2週間ぶりに利用した。
おにぎり、総菜、おかしなどを購入。
今日の夕食は久しぶりに手抜きモードにした。
レンジで温めだけれど、唐揚げを食べることができて満足、満足。


弟が明日自宅に帰ることになったので、今まで購入した食材を2分配した。
用心棒がいなくなるのは寂しいけれど、大食漢がいなくなるので、食事の心配が半分以下になるのは嬉しい。


原子力事故関連で悲しかったのが、作業員が被ばくしたというニュース。
もしかして、軽装で仕事していたのでは…とにらんでいたが、予想通りだった。
これだけ放射線被ばくに関するニュースが流れているというのに、作業員には、放射能の危険性を知らされていないのだろうか?
それとも、ちゃんとした装備で作業していたのに被ばくしたので、放射能測定値を隠蔽するために、軽装だったことにしているのか?


医大で除染中、という中継の内容が、
「除染には、一人あたり10トンの水を使用。時間は90分。スタッフは20~30人。」
というのを聞き、ますます恐ろしくなった。


誰か、放射能や放射線を除去する薬でも開発してくれないかな?
X線を医学で使用するようになってもう一世紀が経つというのに、放射線や放射能を体から除去する医学は、一世紀前となんら変わらない気がする。
どうか、世界中の人が「放射能」の恐怖から脱出できますように。


被災生活13日目~節目を迎えて

2011-03-23 22:52:27 | 日記・エッセイ・コラム
福島県の公立小学校では、本来卒業式が行われるはずだった日。
浜通りの学校では、卒業式ができないことはもちろん、すでに県外に避難している人も多く、新年度の見通しが立っていないとのこと。
福島市も「卒業式・修了式中止」のおふれが出たのだが、保護者からの要望があり、卒業生、保護者、職員のみで簡単に「卒業の集い」を行うことにした。


集い開始15分前。
約2週間ぶりに、ピアノを弾いた。
指の筋力が衰えていた。
まるで、生まれたての子鹿のようだ。
中ボスが、「ピアノ弾いていていいよ。」と言ってくれたので、開始直前まで指ならしをしていた。


式は、ささやかに行われた。
全員でお祝いできないのは残念だが、こうして一人一人卒業証書を授与できただけでもよしとしよう。


一応、「仰げば尊し」をデジカメで撮ってみた。
別の職員が気を利かしてカメラをいじってくれたので、最初の方は画面が揺れているが、どうかご了承ください。
「仰げば尊し」を式で弾くの自体、10年ぶりぐらいである。
シンプルな歌だが、心にしみた。




今日の昼食は、前々から頼んでいたちらし寿司を食する。
生もの久しぶり~♪
「次食べられるのはいつだか分からないから、写真撮っておく~。」
と言ったら、職員に笑われた。
だって…、海水汚染も出ているし、物流も滞っているし、寿司なんか食べられる状況ではないんだもの。
山奥まで届けてくれた寿司屋さんに感謝(~o~)


しばらく給油の見通しが立たないので、明日はタクシー相乗り出勤を試みることにした。
はてさて、どうなることやら(・ω・)


被災生活12日目~1週間ぶりの出勤

2011-03-22 21:51:00 | 日記・エッセイ・コラム
脳内が放射能に汚染された状況(w)で、1週間ぶりに出勤する。
山道迂回路は、相変わらずカオスだ。
片側通行なので、救急車ですら道を待たねばならない。
私は救急車の後ろをついていったのだが、あまりにもカーブが急すぎて、救急車がカーブを曲がる度にバックしていた。


職場では、残った箇所の復旧作業や事務整理にあたった。
「3/11の東日本大地震による臨時休業」の日数は、合計七日間だった。
今まで、台風やインフルエンザによる休校は体験したことがあったが、長期にわたる臨時休業は初めてだ。
改めて事の重大さを感じた。


明日は、本来ならば卒業式の日。
卒業生だけ来校し、簡単な集いを行うことになった。
震災以来一度もピアノは練習していないのだが、大丈夫かな?


退勤後、ちょっと離れたスーパーへ足を運んだ。
残念ながらすでに閉店していたので、そのまま帰宅した。
給料が入ったのに、物が買えないなんて(>_

我々の放射線や放射能に対する感覚も、だんだん麻痺してきた。
「直ちに…のその後、健康に影響するのが30年後だとすると、生きているかどうかも微妙じゃね?」
「この生活、疲れてきたよね。」
「水?普通に飲んでいるけど。」
できるはずのことが普通にできないって、ものすごーくストレスだよ。
それを東電さんやお国の方は、ちゃんと分かっているのかね?


最後に、初めて地震直後の写真をupしてみた。
地震で本が飛び出した図書館。
福島市は「震度5強」だった。
「震度6や7」って、どんだけ凄いんだろうって思う。
あの恐怖は二度と味わいたくないものだ。
※写真は後日アップします。