ヤフーニュースで
懐かしい人の名前を見つけた
歌手の菅原洋一(89)が26日、東京・なかのZEROで行われた日本歌手協会創立60周年「輝け!歌の祭典2023」に出演した。
89歳とは思えない歌声を聞かせた菅原洋一© スポーツ報知/報知新聞社
1968年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞した「誰もいない」を歌唱。「こんな寂しい歌が賞を取れると思っていなかったですから。うれしかったですね」と懐かしんだ。
大好きで一時よく聞いていた菅原洋一
収められたレコードの中で
見つけ出したこの「誰もいない」が
一番好きだった。
美しいメロディー
デモ、レコード以外で
歌っているの
聞いたことないのよね
ご当人が言われるように
寂しい歌で流行らなかったんだと
思っていたんですが
レコード大賞を取っていたとはね!
レコードで見つけ出した
これだけは今でも歌える
私の一番好きな歌です
何だか
今の私みたいですネ<笑
「誰もいない」
歌:菅原洋一
作詞:なかにし礼
作曲:大六 和元
誰もいない 誰もいない
長い長い 孤独の夜よ
寒い心に ひざかけまいて
宛名のない 手紙を書くの
誰もいない 誰もいない
信じられない 手品のようね
レースをあんで あんではほぐし
針の止まった 時計を見るの
誰もいない 誰もいない
遠い遠い 想い出だけね
涙をかくす 仮面をつけて
終わりのない 本を読むの
長い長い 孤独の夜よ
寒い心に ひざかけまいて
宛名のない 手紙を書くの
誰もいない 誰もいない
信じられない 手品のようね
レースをあんで あんではほぐし
針の止まった 時計を見るの
誰もいない 誰もいない
遠い遠い 想い出だけね
涙をかくす 仮面をつけて
終わりのない 本を読むの
本を読むの
旅の土産> と
ハリケーンが届けに来た
帰るとき
出なくていいよ>と言いながら
見送るのが当然とばかり<笑
振り返り片手を上げて帰っていく
子供の頃から続く別れの挨拶
この子いつまで続けるんだろう?<笑
菅原洋一…覚えていますよ。でもタイトルを知っているのは「知りたくないの」だけ。他にも聴いていたとは思うけど。
『誰もいない』…曲名通り寂しく儚い詞ですね。当時の歌謡曲らしく簡素にまとめ上げられてますね。菅原洋一の歌い方に合った曲だったのでしようね。
何せ’68といえば私はThe Beatles… etc.にうつつを抜かしていましたから。
あっ、そうだ、彼が歌っていた「知りたくないの」ってカントリー・ソングだって知ってました? それから「ラスト・ダンスは私に」は黒人のドリフターズと云うグループの曲。上手い事日本語の歌詞を付けたものですね。
それにしてもかなりの高齢になっていたんですね。音楽の世界は半世紀前とは全く違ってしまいました。今の音楽(とは呼べない)には拒絶反応を起こします。
青木一郎・三浦洸一・フランク永井・美空ひばり・菅原都々子……辺りがつばらさんの時代なのかな?
昭和…歌も何もかも、私は好きです。
覚えていますかとはなんと悲しいことを~。
覗きに行っては足音残せず帰ってますよ<笑
演歌はダメでした
菅原洋一・越路吹雪などでその前はタンゴ、
藤沢蘭子と早川真平、知らないでしょう?<笑
高校時代はタンゴに夢中で、それもアルゼンチン
タンゴね
藤沢蘭子がアンコールで歌った「ママ 恋人がほしいの」その時の熱気、思い出しますよ
知りたくないの・ラストダンスは私に>知ってます
グループ名までは無理だけど、あの頃は素敵な歌が
たくさんありましたね
私のあだ名をもじってふざけてた歌、
<ろくでなし>って歌知ってます?<笑
「誰もいない」
そう~、菅原洋一だからでしようね
早川真平…何処の誰?
うわ〜時代の差を感じる〜
何か判らない「悔しさ」みたいなものを覚える。
で〜も、『ママ恋人が欲しいの』はよ〜く知ってるヨ。と云うよりタンゴの中では好みの曲。あとね、エル・チョクロ、ガウチョの嘆き…、コンチネンタルでは、碧空、月影に咲く蘭の花、小さな喫茶店、バラのタンゴ…、ああだめ、書ききれないや。
こう見えてビートのある曲以外でも結構好きなんですよ〜。
お世話になった曲を並べてみると、そこに自分の歴史が見えてくる事って有りませんか? 私はそれを誇りに思っています。
あっ、そうだ、お元気ですか?
=音楽語り部・式部=より