けん爺さんのつぶやき

日々の出来事を徒然に。

久し振りに二日酔い

2019-09-20 15:39:53 | 日記
東京からの客と仕事を終えて、久し振りに広島駅にある飲食街で食事をした。
昼間の仕事の話もしたが、殆どが12年前まで広島勤務だった頃の思い出話じゃ。
お互いビジネスは51対49と心得る二人なんで遠慮はない。
楽しく食べたし飲んでしゃべった。

東京から来ると広島の魚の美味しさを痛感すると、広島の魚を褒めまくる。
広島人として悪い気がするハズもなく、次にはもっと魚の美味しい店を紹介したい。
彼は今の会社で大きな出世を遂げ、今も活躍中な身。
営業マンなんで、突然の客との飲み会とかもあるみたいじゃが
帰宅後は奥さんが用意してくれとった夕飯は必ず食べるらしい。
この点は感心するし、自分もそうすると思う。

彼はエキキタのホテルを取っていたので、帰りに改札口まで送ってくれた。
ワシが見えなくなるまで手を振って見送ってくれる彼に感謝。
あまりにも楽しく酔えたんで帰りの電車で居眠り、
不覚にも降りるべき駅を通過後、夢から覚めた。こんな事、初めての事じゃ。
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東京から

2019-09-19 02:33:59 | グルメ
明日は遠方まで現地調査に行く。
東京へ栄転して行った某商社マンからの仕事で、最初は断った。
彼とは広島へ転勤してきた時から気が合い、何度か一緒に飲んだ仲。
そして依頼した手前、彼もわざわざ東京からやって来るという。

そして調査終了後は広島まで来て一緒に食事をしようと言う。
そんな彼のビジネスマン的でないところが好きで、
彼の広島時代はよく一緒に食事をしたもんじゃ。

東京へ行ってからも更に出世したらしいが、そんな事は大した事じゃないと言う。
まだ50歳にも届いてないというが、どんな貫禄がついたか会うのが楽しみじゃ。
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どこかフラッと

2019-09-18 02:44:55 | 旅行
残暑が続いた今年の日本列島じゃったが、彼岸が近づいてくると
さすがに熱帯夜も影を潜め始めたようじゃ。
大きなイベントを1つ終えたが、1ヶ月後には秋の大祭がある。
大祭が終わったら、どこかフラッと温泉にでも出かけたい気分じゃ。

人の少ない温泉、最近はそんな処が少のうなった気がする。
全国の秘湯まで紹介する雑誌がようけ発行され、ネットでも紹介され、
最近はナビを頼りに、どんな山の中でも遠方から探してくる人も多い。

そんな中で、昔は賑わいのあった温泉街なのに、建物が老朽化してきて
宿泊客が年々減少しとる温泉がある。
そんなところへ2泊か3泊ゆっくりとしてみたいね。
観光とかもせず、宿の近辺を散歩したり、書き物したり、ネットしてみたり
ふだん見る事のないテレビを1日中見たり・・・。

じっとしとれん性格じゃけぇ、する事なかったら、部屋の掃除したり
宿の裏方をじゃまにならんように覗かせて貰うたり、手伝える事があったら
じゃまにならん程度にやらせて貰うたり・・・。
村人になったつもりで近所のお年寄りを訪ねてみたり、
そんな1日2日があっても人生に彩を添えるんじゃないかね?
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原爆の日の思い出

2019-09-17 02:38:03 | 日記
東京で弁護士事務所を開く従姉妹と叔母が、わが家に来たいというので待った。
広島に住む兄とその娘もやって来て、叔母の姉に当たるウチの母親の話になった。
母親が広島に原爆が投下された時、爆心地から約1km離れた横川の駅舎にいた。

当日の朝まで国鉄職員として横川駅で働いていた母親は勤務交代し非番となり
汽車で帰宅しようと時間まで駅舎で横になって待っていた時に
突然閃光が走り、ビックリして飛び起きようとした時に
爆風でぺしゃんこになった駅舎の下敷きになったらしい。

額に梁が落ちてきて頭蓋骨が少し陥没するほどの重賞を負った母は
どなたかに助け出され、山の方へ運ばれたのを薄れゆく意識の中でかすかに覚えていると、
ワシが小さい頃、少しへこんだ額の生え際のキズを見せながら体験談を語ってくれた。

母が疎開していた廿日市では、5歳年下の叔母は何かの用事で学校に行っとったらしく
閃光とキノコ雲に続いて物凄い爆風によるものと思われる揺れで
校舎の窓ガラスは全て割れ、それでも揺れはしばらく止まらなかったらしい。

これはただ事ではない! と疎開先の家に戻り、家族とウチの母親の安否を心配し
救助に向かおうとすると広島方面からゾロゾロと歩いて逃げて来た被爆者に遭遇したらしい。
逃げて来た人は一様に髪はボサボサ、服はボロボロ、肌は焼けただれ
それは、それは酷い光景じゃったと、叔母が今日話をしてくれた。

力尽きて亡くなった人を集めて焼く毎日、そんな光景を見慣れた頃に
消息をたずねていた疎開先に病院から母親が重体じゃが生きているとの知らせがあったらしい。
3日間意識不明の重体が続いていたんで、病院としてのどこの誰かも分からなかったが
意識を回復した母親が名を名乗ったので、やっと家族と連絡がとれたらしい。

そんないきさつをワシは母親がなくなって8年経った今日、初めて聞かされた。
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夫婦で乾杯!

2019-09-16 03:09:58 | グルメ
今日は朝からワシら夫婦が属する秋祭り保存会が5年ごとに開催するイベント
『神楽祭り』のため夫婦で朝からお出かけじゃった。

女房殿も朝食の片付けをしたら掃除洗濯も後回しにして神楽祭りのスタッフとして
会場に張り付いて頑張った。
前日の準備作業から、今日の片付けまで働きっ放しよ。

片付けが終わったら、スタッフ全員で打ち上げもあるんじゃが、
わが家では野菜や庭木に水遣りなど、誰もしてくれる者はおらんので
片付けが終わり次第、急いで帰って、今日も炎天下の中頑張ってくれた
野菜や庭木に冷たい地下水をプレゼント。
しなだれた彼らも生き生きと元気を取り戻す。

それらの用事が済んでからでも打ち上げに参加して、みんなと美酒に酔いたいんじゃが、
一人苦手な人がおり、そいつがまた宴席でワシにばかり話しかけてくるのよ。
そいつは、とにかく自分をアピ-ルしたい性格で、今日のようにスタッフの一人として
働いたら、自分は何をした、それがいかに大変だったかを伝えたがりなのよ。

ワシだけじゃなくみんなも閉口しとるみたいなんじゃが、
何故か特にワシにそれを知って欲しいらしく、話しかけてくるのよ。
毎回じゃけぇ、ワシもイヤになって
「分かった! 分かったけぇもうその話をするな!」と
煙たそうに言うんじゃが、
『じゃあ一言だけ』とか言うて、その場は済むが
他の話題で他の者と話をしとったら、またそこに割り込んできて
『ねぇねぇ聞いて、○○さん!』とワシの名前を呼ぶのよ。
無視するんじゃが、それでもしつこく『ねぇねぇ聞いて!』と話しかけてくる。

せっかく皆と美酒を味わいたいのに、こいつがおるばかりに
その場に居たくない、不愉快な思いをするなら夫婦二人で乾杯した方がええ。
今日も不愉快な思いをしたくないので、二人で外食しました。
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