終わった、終わった
事故もなく、大きなトラブルもなく終わった秋祭り。
ウチの家族の殆ど全員が参加の秋祭り。
息子んとこの次女は、
今日は新人戦の試合があったらしいが、
誰も見に行ってやれなんだ。
秋祭りに参加のためじゃ。
息子はワシが地元の秋祭り復活に
力を注ぎ始めてから、ずっと協力してくれとる。
息子と兄弟のように育ったYっちんも一緒じゃ。
最初は『何で?』みたいな反発も
あったように感じたが、
昭和の父親の権限で
無理やりレールに乗せた感じじゃった。
今では一家で応援してくれとる。
ワシとしては感謝しかない。
孫娘は生まれた時から
秋祭りの中で育ったようなもんで、
秋祭りが大好きじゃ。
今では生活の一部になっとるようなもんで、
ワシとしては大満足な孫娘です。
午前中、子供の俵みこしの
組み立てを手伝い、
その後、友人の父親が亡くなったんで、
モノを言いに行き、
午後からは子供の俵みこしについて周った。
天気が良すぎて日に焼け疲れた。
夕方からの大人の俵みこしの
組み立ては殆ど手伝えんかったが、
懇親会には出席。
日焼けに弱いねー!
明日は、朝早い!
今夜5時前頃、神社に行ったら、
すでに東地区から2名の
役員さんが来ておられた。
輿蔵のカギは、前日ワシが
神主さんから預かっておいた。
続々と西地区、北地区からも
仲間が集まってきたんで、
鍵を開け、神輿を運び出し、
組みたて作業が始まった。
今年は神輿の順番を
くじ引きで決める事としとったが、
結局、話し合いで決めた。
神輿の台座の裏側に
『弘化3年』の墨書きが見え、
当時、神輿を作る費用を寄贈した
人たちの名前も墨書きしてある。
弘化3年とゆーたら江戸時代じゃ。
NHKの大河ドラマで以前やった
『八重の桜』(?)の主人公の
山本八重(後の新島八重)が
生まれたのが弘化2年らしい。
その頃からの先輩たちの
汗がしみ込んだ神輿を、
今、ワシらも担がせてもろーとるんじゃねー?
秋祭りの花集めに周ると、
ご近所の人らとの僅かな会話が楽しい。
話し込んどったら他の花集めに
周れんようになるんで、
一言二言の会話なんじゃが、
『あぁ、お婆ちゃん元気そうじゃった』
『このお爺ちゃん、そんな趣味を
持っとってんじゃ!』とか、
年に1度の会話で、
その人との世界が僅かに広がる。
朝晩涼しゅうなったとはいえ、
日中の日差しはまだまだ暑い。
ゆんべ飲み過ぎたアルコールが
汗と共に身体から抜けて行くんが分かる。
長い距離を歩くと、
足はだるうなって疲れるが、
二日酔い気味で重かった身体は、
どんどん軽うなって行くんよねー?
今日も大勢の人と会えてエカッタ。
東京からのお客さん二人と庚午のマンションを現調。
念入りに見させて貰うたけど、後日、
また専門職の職人さんと
何度か訪れることになるじゃろうね?
その後、お施主さんを市内のホテルまでお連れし、
もう一人横浜からの建材商社関連会社の
社長さんは駅近くのホテルにお連れし、
後程、広島駅で再会する事を約束し、
ワシは車を置きに五日市へ帰った。
車を置いたら、すぐチャリに乗り換え、
JR五日市駅に行き、広島駅で合流し、
祭り仲間に紹介してもろーた
魚の美味しい店に直行したが、
予約しとらんかったため、
満席で入れず、また駅北に戻った。
『焼酎はボトル入れた方が安いよ』
とか、そこまで飲まんじゃろうと思いながら、
また次にいつ来るか分からんのにボトルキープ。
じゃが、あっという間にボトルは空き、
更なるボトルをキープ。
ワシじゃーないんよ、
その横浜のシャッチョーさんよ。
ワシはおこぼれを少々いただくだけ。
しかし料理は殆どワシが食べた(痩せんわけじゃ)。
普通は、「ほいじゃあ帰ろうか?」で
家路に着くんじゃが、
横浜のシャッチョさん
『これから流川に行こうよ、
その後でもう一軒広島ラーメンでも
食べて帰りましょう」
タフなんだわ、この人。
結局最後は広島ラーメンではなく、
広島つけ麺の店に。
横浜のシャッチョさんが
過去に行ったことがあるらしく、
店を探し回るのにくたびれたが、
やっと探して、注文してくれた。
辛さのランクがいろいろあるが、
『激辛』の上に『無限』とかゆーのがあって、
またこのシャッチョさん、
その無限を二つ注文してしまいました。
出てきたのは真っ赤な、
いかにも辛そうなタレ。
おそるおそる箸の先でちょっと舐めてみた。
辛い!辛い! 二人とも
辛いを連発しながらも完食。
とうぶん口の中がヒリヒリしとりました。
このあと、まだ続きがあるんじゃけど、
長うなるんで、また来週!