例えば、何か悪い事をした人がいるとする、
「でも、あの人にはいい所もあるのだから」
悪い事をした事と、いい所がある事と、それは同じラインで語れるものだろうか?
「蜘蛛の糸」という芥川竜之介の小説がある
たった一つのいい事が、その人を救う為の理由になるという話?
では、例えば片方で悪事を働き、片方で善を為す
善を為した事によって、悪は相殺されるのだろうか?
否、悪は悪として厳然とそこに存在するのではないだろうか?
逆に言えば、「ある人はいい所がある、けれど、その人は悪事を為した」
なら分かるけれど、
「悪事を為したけれど、その人にはいい所がある」、
これでは、いい所がある事はその免罪符になるのだろうかという疑問が生じる
つまり、問題は、悪事を為すか為さないかの線引きでしかない
いい所があろうとなかろうと、その人間が悪事を働く事のでき得る人間であるか否か
ラインを超える事のできる人間か否か、
いい所があると、免罪されるのだろうか
あるいは、悪事を働くに相当する理由と思われるものがあれば、
免罪されるのであろうか
あるいは、本人がそれを悪事と気づかなかった、で、済む話だろうか
「でも、あの人にはいい所もあるのだから」
悪い事をした事と、いい所がある事と、それは同じラインで語れるものだろうか?
「蜘蛛の糸」という芥川竜之介の小説がある
たった一つのいい事が、その人を救う為の理由になるという話?
では、例えば片方で悪事を働き、片方で善を為す
善を為した事によって、悪は相殺されるのだろうか?
否、悪は悪として厳然とそこに存在するのではないだろうか?
逆に言えば、「ある人はいい所がある、けれど、その人は悪事を為した」
なら分かるけれど、
「悪事を為したけれど、その人にはいい所がある」、
これでは、いい所がある事はその免罪符になるのだろうかという疑問が生じる
つまり、問題は、悪事を為すか為さないかの線引きでしかない
いい所があろうとなかろうと、その人間が悪事を働く事のでき得る人間であるか否か
ラインを超える事のできる人間か否か、
いい所があると、免罪されるのだろうか
あるいは、悪事を働くに相当する理由と思われるものがあれば、
免罪されるのであろうか
あるいは、本人がそれを悪事と気づかなかった、で、済む話だろうか