「エホバの証人 諦めたのは何故?」
15/05/18記↑ですが、↓
>>>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>>>15/01/20
>>>15/01/27
>>>15/02/24
>>>15/03/10
>>>次はあるでしょうか?
>もう、完全に来ないと確定しましたが、
最後に来た日から4ヶ月経って、この猛暑の中来訪・・
エ「ご無沙汰していますー」
私「えっ?何で?」
エ「新しいお話があるので」
私「もう、来ないと思ってたのに。何で来たんですか?」
エ「来るなとおっしゃっていたので。でも、近くに来たので寄ってみました」
全然めげてないです、というか
顔に出来ていた出来物が良くなっていて、それを言うと
「よく覚えてますね。胃腸の調子が良くなったので」
胃から来てたんだ・・・。
で、新しい話とは、医師による解説動画がアップされたので
見てくれ、と
何がどうあろうと、輸血禁止の時点でアウトだと言いました
大体イエスが「血を避けよ」と言った言葉が
どーして、輸血禁止になるのか理解できない
そうしたら「ソーセージに血を入れない」とか何とかで
話が分かれたとか言ってましたが
「そもそも聖書を読んでいないで批判するのはおかしい」
とか言うのですが
まず、たくさんあるキリスト教の宗派?で?
輸血禁止と言ってるのはエホバの証人だけじゃないですか?
おかしいでしょう
師匠は一緒で弟子の解釈が違うのであれば、どちらかが間違っているし
多数決ではないけれど、あまりにエホバの証人の主張は特殊で
輸血禁止で血しょうはいいとか、勝手なことを言ってまんがな
キリストの時代に輸血はなかったのに
何で輸血禁止にするのかわからん
それが「血を避けよ」と言った言葉に由来するとか
私の主人曰く「感染症防止の言葉ではないか?」
血によって感染する病気はありますよね
昔はそれらを特定することも出来なかったはず
だとしたら、血を避けるのは賢明な予防法かもしれません
それを、輸血も以前は肝炎やエイズなどの感染症をチェックできずに
悲惨な事故は起きましたが、今はある程度のチェック機能は働いている
それを、何だというのだ?
ああ言えばこう言う式の返答が返って来るようになってきました
例えば私が
「この一点が(輸血禁止)なければ、もう少し何とかなるかも」
と言えば
エ「それは聖書に書いてある通りにしているだけだ」
私「その一点がなければ布教ももう少し楽なのに」
エ「不利なのにやっているのは、何故だと思いますか?」
・・・・・
エホバの証人をやっていることによる家庭不和の話がネットにあって
それを尋ねたら「大丈夫です」
私「ご主人は入っているのですか?」
エ「いえ、入ってないです」
私「仏教ですか?」
エ「・・・(私)さんと同じ無宗教です」
私「ご主人は反対しないんですか?」
エ「色々勉強しています」
私の感想
「ご主人はやめさせようとして説得に失敗し、
それがどんなものか散々調べて、
まぁ、仕方がないか、と諦めた」
ですね。
いつも二人でセットで来ますが
今日来た人は初回と同じ取り合わせ
メインの人はいつも同じで、主たる人がいつも話をする
もう一人は、後ろに控えて頷いたりニコニコしたりしてますが
どうにもこうにも「信仰心厚く」私の手には負えません
何でこの人たちは、このような宗教に取り憑かれているのだろうか?
何か悩み事でもあったのだろうか?
もしも、今度来たら聞いてみようか?
冬か秋か、来ないか知れないけども・・・
あぁ、今日は
「ポジティブになれば病気にもならない」
とか言ってましたが、それは、事実みたいですが
15/05/18記↑ですが、↓
>>>ちなみに備忘録として、来訪日を記しておきます
>>>15/01/20
>>>15/01/27
>>>15/02/24
>>>15/03/10
>>>次はあるでしょうか?
>もう、完全に来ないと確定しましたが、
最後に来た日から4ヶ月経って、この猛暑の中来訪・・
エ「ご無沙汰していますー」
私「えっ?何で?」
エ「新しいお話があるので」
私「もう、来ないと思ってたのに。何で来たんですか?」
エ「来るなとおっしゃっていたので。でも、近くに来たので寄ってみました」
全然めげてないです、というか
顔に出来ていた出来物が良くなっていて、それを言うと
「よく覚えてますね。胃腸の調子が良くなったので」
胃から来てたんだ・・・。
で、新しい話とは、医師による解説動画がアップされたので
見てくれ、と
何がどうあろうと、輸血禁止の時点でアウトだと言いました
大体イエスが「血を避けよ」と言った言葉が
どーして、輸血禁止になるのか理解できない
そうしたら「ソーセージに血を入れない」とか何とかで
話が分かれたとか言ってましたが
「そもそも聖書を読んでいないで批判するのはおかしい」
とか言うのですが
まず、たくさんあるキリスト教の宗派?で?
輸血禁止と言ってるのはエホバの証人だけじゃないですか?
おかしいでしょう
師匠は一緒で弟子の解釈が違うのであれば、どちらかが間違っているし
多数決ではないけれど、あまりにエホバの証人の主張は特殊で
輸血禁止で血しょうはいいとか、勝手なことを言ってまんがな
キリストの時代に輸血はなかったのに
何で輸血禁止にするのかわからん
それが「血を避けよ」と言った言葉に由来するとか
私の主人曰く「感染症防止の言葉ではないか?」
血によって感染する病気はありますよね
昔はそれらを特定することも出来なかったはず
だとしたら、血を避けるのは賢明な予防法かもしれません
それを、輸血も以前は肝炎やエイズなどの感染症をチェックできずに
悲惨な事故は起きましたが、今はある程度のチェック機能は働いている
それを、何だというのだ?
ああ言えばこう言う式の返答が返って来るようになってきました
例えば私が
「この一点が(輸血禁止)なければ、もう少し何とかなるかも」
と言えば
エ「それは聖書に書いてある通りにしているだけだ」
私「その一点がなければ布教ももう少し楽なのに」
エ「不利なのにやっているのは、何故だと思いますか?」
・・・・・
エホバの証人をやっていることによる家庭不和の話がネットにあって
それを尋ねたら「大丈夫です」
私「ご主人は入っているのですか?」
エ「いえ、入ってないです」
私「仏教ですか?」
エ「・・・(私)さんと同じ無宗教です」
私「ご主人は反対しないんですか?」
エ「色々勉強しています」
私の感想
「ご主人はやめさせようとして説得に失敗し、
それがどんなものか散々調べて、
まぁ、仕方がないか、と諦めた」
ですね。
いつも二人でセットで来ますが
今日来た人は初回と同じ取り合わせ
メインの人はいつも同じで、主たる人がいつも話をする
もう一人は、後ろに控えて頷いたりニコニコしたりしてますが
どうにもこうにも「信仰心厚く」私の手には負えません
何でこの人たちは、このような宗教に取り憑かれているのだろうか?
何か悩み事でもあったのだろうか?
もしも、今度来たら聞いてみようか?
冬か秋か、来ないか知れないけども・・・
あぁ、今日は
「ポジティブになれば病気にもならない」
とか言ってましたが、それは、事実みたいですが