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キリストの言葉より

2014-08-11 16:45:37 | 宗教関係

ヨハネ15章13

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

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これですか。

これをどう解釈するかという話なんですかね?

もしも、お互いが相手の為に命を捨てようとしたら、どうなりますか?

よくある事ですが、宗教はその「教祖」が何を言い、どういう意味を持った言葉を発したか

それを伝える事が正確にできているか、どうかという話があります

キリストが果たして本当に言ったのか、どういう意味でその言葉を言ったのか

それを正しく弟子は人々に伝える事はできるのか

自分なりの解釈で、違った事を伝えてはいないのだろうか?

相手の為に死ぬことを、両者が考えたらどうなるのか?

私はもう「偉人伝の世界の人」ではありません

もしも、この言葉をキリストが自分の事として伝えたのならわかります

自分は皆の為に死んだ、という意味なら

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イエス・キリストの十字架刑死は、友のために命を捨てるという行為です(13節)。ギリシャ語の前置詞 ヒュペルは、「代わりに」「ために」「せいで」の意味を持ちます。キリストの十字架はそのすべての意味であてはまります。これ以上の大きな愛を誰も持つこ とはできません。

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一般的に言って、「人が友のために自分の命を捨てる」のは、愛の究極の姿であるとして、「これより大きな愛はない」と言えます。ヨハネはこの一般的な命題 をイエスの死に適用して、イエスは友のために自分の命を捨てられたのだとし、弟子たちをイエスの「友」の立場に置きます。

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問題は、皆にそれを求めることを説いたのか、です

何だか聖書の言葉を読んでいると、命令形なのが気になりますね

そして、妙に皆従順で、ウーン、やっぱり私には宗教を信じる事はできないのかも知れません

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