キリスト、自己犠牲、愛、と
キリストの自己犠牲は愛なんだそうだ、究極の愛は自己犠牲
これが納得の行かない私は色々検索してみると、「納得が行かない」人が多くあり
そんな事を言われてはたまらん、という感じの書き込みだ
そうあからさまに書いているわけではないが、本音はそうだ
納得が行かない、そんなものできるわけがない、
又自己犠牲が愛だ等と言われた日には、愛とはそんなに辛いものなのか、と書いている人もいる
今日、宗教に興味を持って、色々本を読んでいる友人から電話があったので
ついでに聞いてみた
そうしたら、キリストそのものの存在すら、今のヨーロッパでは疑念が生じているという
まして、その「言った言葉」の信憑性などわかろうはずもない、と
ただ、「砂漠の民」であるキリストが、当時の厳しい状況下から
戒律を厳しく、教えを厳しくせざるを得ない背景があった、と
温暖な気候のアジアの宗教である仏教との成り立ちの違い、風土、環境の違い
そういったものを考えに入れて考えないといけない、と
遠藤周作の書いた「人間キリスト」や「沈黙」という小説を読めば
キリスト教の厳しさや、キリストの人間的な部分もわかろうかと
又、マグダラのマリアとの婚姻説もあるという
確か、数年前の映画にそういった内容のものがあったような気もする
「曽野綾子はおかしいですよ」とか言われた
主人は「あれはマゾだ」と言うし・・・
夕顔