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「原発を誤ったら何千の命が死ぬ」2 有馬頼底 

2016-02-08 14:47:54 | 宗教関係
続きです  

ー 中国の臨済宗ゆかりの寺の再建にも力を注いできた。

 中国はね、八十回以上行っている。相国寺の名前をもらった
開封の大相国寺をお参りに行ったときのこと。
案内を願うと、「ここはお参りするところではない」と言うんですね。
「表の看板を見てこい」と。
それで看板をもう一度見ると、共産党の事務所になっていました。
まあ、中を見るのはかまわないということで、
でも、本心ではやっぱり寺として復興してもらいたいということで、
中国仏教協会の力添えを得て復興した。
このほかにも、寺の復興資金をつくるために、
臨済宗の各宗派管長と茶の湯の裏千家、表千家の家元に
書を書いてもらい、販売したりした。
それを北京に行って寄付した。
 そしたら「これは共産党に対する政治献金として受け取ります。
寺の復興は(日本からの寄付ではなく)わが政府が
責任を持ってやります」と。
「何でもええやないか、復興するなら」と思いましたけど。

      ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 ー 八歳で寺に入った。きっかけを教えて下さい。

 母親の実家は徳川家康の生みの母に連なる家系でね、
絵ばかり描いていた。おやじは母を女として認めていない。
女のはしごをしていた。ろくなやつじゃないですよね。
小さいときは母親の実家の蔵に入って遊んでいた。
おもしろい絵とかがいっぱいあるんですよ。
大人たちが私を捜しても見つからない。
夕方になると蔵から出てきた。
「どこ行っとった」と聞かれると「蔵へ」と。
骨董が好きな、変わった子どもでした。
両親が離婚するとき、私をどうするかが問題でね。
私にどうしたいと聞かれた。
私は「一休さんのようになりたい」と言うてしもうたんです。
で、寺に入れられたんです。
 修行では、若いころはずいぶん仕込まれました。
師匠なんて殴る蹴るは当たり前。
ぬれぞうきんで殴られると、本当に痛い。
箒(ほうき)の柄のほうで殴りよるんです。
たまったものではないですよね。
でもそれがなかったら今の私はない。
武家の子どもは常に一人で何でもできるように仕込まれるんです。
師匠もね、一人前にしてやらないかんと。
おかげで私は貧弱な子から強く、頑丈になった。
虐待とは違いますよ。
虐待やったら、私は逃げ出していた。
師匠は涙を流しながら殴るんです。
弟子は分かるんです。
山門の柱にも何度もくくられました。
道行く人がね「小僧がくくられちょる」と見ていく。
「助けてやろうか」と言う人もいたが、連れの人が
「ほっておきなさい」と。
一時間ごとに師匠が見に来ていました。
で、変な話ですが、時間がたつとくくられたところが
自然とだんだんほどけてくるんです。
でも師匠が出てきたら、くくられたふうに装う。
そういう知恵も出てきましたね。
 修行ではぞうきんがけが大切でした。
一 掃除
二 信心 というて。
掃除ができないとだめ。
今でもしますよ。
朝の四時半か五時に起きてね。
 (つづく
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