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聖人と自己犠牲とキリスト教と、

2014-08-16 15:37:20 | 自己犠牲について
ルルドの泉の話を読んできました。
その他も少々

結局、聖人と自己犠牲は繋がりますね
で、普通のキリスト教徒は聖人ではないから、特別な自己犠牲をする事はない?

シエナのカタリナ、リマのローザ、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6

「聖シエナのカタリナを見習い、彼女は秘密の苦行の一つとして週に三度の断食をしていた。彼女は家族と友人の反対を押し切り、髪を切り落とした。両親の非難から、ローサはコショウとアルカリ液で顔を醜くするため傷つけた。ローサは美しく、他者を助けるために自分を傷つけたことから、とても体の具合が悪くなった。 ローサは幻視、天啓、天恵、そして声を、彼女の両親が懺悔のしきたりを以前以上に嘆き悲しむよう、話し始めた。」

何が何だかわかりません。
自分への虐待みたいに見えます。
一体どうなっているのか、皆目わかりません。
これって、緩慢な自殺行為と違いますか。

何故、こんな行為を続け、それが聖人であると認定されるのか、全く理解に苦しみます。
北原怜子さんの自虐的とも思える献身度合いとか、思えば
これらの聖人達の行為に似たり、という事になりますね
断食云々の話に至れば、ノイローゼか精神疾患ではないかとさえ思われますが

ルルドの泉の話は本当らしいですが、聖母マリアと会った少女は
後にシスターになり、35才の若さで亡くなっています
持病の喘息が悪化したらしいのですが、何でルルドの泉を飲まなかったのか、と
ごく素朴な疑問が生じましたが、それについて書かれた文章を見ました
騒がれるのが嫌いなその女性は、他の場所に救いを求め?
ルルドには行かなかったそうです
しかも、その遺体は腐敗せずに、そのままの形で残っているとか
だんだんわけのわからない事を見聞きして、気味が悪くなってきて
こんなに悲惨な歴史のあるのが宗教なんですか?と
ため息が出ました

だから、キリスト教が自己犠牲を尊いとしている事と
キリスト自身が信者に自己犠牲を勧めてはいないであろう事と
過酷なまでの自己犠牲を伴った聖人と呼ばれる人が多くいた事と
北原怜子さんと、コルベ神父と、その他色々な聖人達と

曽野綾子氏がマゾ的思考形態を有する事と無関係ではないな、と
で、これらの事を考え合わせると、私、門外漢と致しましては
もう、「畏れ多い」のでありまして、滅多な結論は出さない方がいい、という
結論になりました。

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日本の聖人、というのを見たら、秀吉に磔の刑にされ殺された人達
中には10代半ばの子も
何て秀吉は酷いのか、と調べたら、今度はイエズス会の人身売買の話
日本人を捕まえて奴隷にする為
一体どっちが悪いのかわからないではありませんか
(当然磔の刑に処された人達は無関係ですが、いい迷惑の殺人事件です)

この上もう、何が何やらわかりませんようになりました。
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