どうも引っかかってならないので、再度検索して色々読んでみています
それは何故か?
北原怜子さん、享年28才、ゼノ修道士享年90才
随分生きた時間が違います
ゼノ修道士が北原怜子さんと出会っていなければ、
等と思ってしまうのです
そして、ゼノ修道士と北原怜子さんについての記事、というか書き込みは
その殆どの人がキリスト教の人か、 あるいは褒め称える人のものであって
昔の私ならそうしたでしょうが、今の私にはそれはできません
私にとって、この話は今では「美談」ではなくなっているからです
私もどちらかというと、北原怜子さんの側に近いタイプかも知れません
私が救おうとしてきたのは、「猫」なんですが、今は体を壊して何もできません
出来ない事を大変残念だとは思っていませんが
どちらかというと「ナイチンゲール」タイプの私が、北原怜子さんの事について
何故か今気にかかり(単に曽野綾子から派生した話なんですけど)
その自己犠牲に対して疑問を生じているという事なのです
そして、アリの町の人の話と、北原怜子さんの心境などを考え合わせると
単純な美談の話で済むのだろうか、とか思ってしまいます
そんな事をいう事に少々の罪悪感を覚えながら
命をかけて人を助けようとし、志半ばで夭折した心清らかな娘さんの話ではあるのですが
困りましたね
どなたか、感想なり、ご批判なり、書いていただけないでしょうか? 私は不遜な事を書いたりしているのか、どうか、等と