広島一敷居の低いインテリアコーディネーターのここ20年間の記録。

うっかり木工所に嫁いでから走り抜けた20年の記録。気づいたら、医療系から転身してインテリアのプロになってましたとさ。

15年前の 広島 と 私

2009-04-04 19:14:02 | 思ったこと

4月 新生活の季節です。

15年前 都会に憧れて。
高校卒業と同時に、山間部の過疎の町を後にして、
広島に来ました。

当時の私、超田舎者からすれば
広島はまさに"大都会"でした。
なんせ、実家は土葬の風習が残っているほど山奥ですから・・・。

バスセンターから降り立って見たそごうの前の交差点。
どう考えても故郷の夏の風物詩「根雨まつり」より
はるかにたくさんの人、ひと、ヒト。
一緒に田舎から広島に出て来た幼馴染と二人で
今日はなんのお祭りかねぇ?!とまじで話しましたもん。

いきなり街中に住むのは勇気がいりすぎるので(笑)
たった1年ほど、ほどよく田んぼに囲まれた西条に下宿。
これがちょうどいい「都会生活への慣らし期間」となる予定でした。

その後、広島市内に越してきて東雲→横川→五日市(現在)と
15年の間にしだいに西に進出して現在に至ります。


そんな 15年前の記憶をたどると。

1994年という年は
秋に広島でアジア大会が行われた年でした。

それにともない、新しいホテルが次々と建ち
アストラムラインが開通しました。

パルコもパセーラも確か私が広島に来てから
早々にOPENしたような気がします。
ハンズもその後を追っかけるようにOPENした記憶が・・・。

そういえば
まだキング&クィーン(ディスコ)がありましたよ!


そうそう!
忘れもしない、サンフレッチェがシリーズ優勝した年です。
まだ試合が観音のスタジアムでも行われていて
西条から観音やビッグアーチに何度も通ったものです。
そのうち、サッカー好きが講じて、
サッカー選手に会えるかもしれないと淡い期待から
アジア大会中はバイトのため連日ビックアーチ通い(笑)

さらにその後は、まかないと晩酌付きに目がくらみ
薬研堀でバイトを始めてしまい
結局毎日のように西条と広島市内を右往左往。

なんで市内に住まなかったのか~と激しく後悔の1年間でした。
超田舎モノ、広島になじむの早すぎっ(笑)

今思えばバブルがはじけたとはいえまだまだ景気がよくって
流川や薬研堀もたくさんの人でにぎやかでした。
接待のおじさま方や会社の領収書をくれという人も多かったなぁ。
(結局4年間バイトしたのですが、
  その間にだんだん人が減りました・・・さみし。)



そんな15年前。
どこで何をしてましたか?

懐かしいネタ大募集~!!
もしかしてまだ幼稚園に通ってたって人もいるのかしら?!

私のブログ読者は年齢層高いからそれはないか(爆)



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コメント (13)
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