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今朝4時半に街をでて家にかえり、支度をして、
今日は実家の父や兄弟たちと母と甥っ子の納骨に、京都の大谷本ちょうまでいってきた。
小さなかけらになった母と甥っ子をここにおさめる。
母は亡くなって7年、甥っ子は18年。
紅葉の美しいこのお寺のマンションみたいな一室に眠るのが、門徒である村の寺のならい。
故人が望んでようと望むまいと
兄弟四人集まってもさしたる会話もないが。
わたしら三姉妹はさいきんはつきいちは集まるようなもんだけど。
母と甥っ子はさるとき不幸にもなくなり、まだ生きているわたしたちがいる。
生きているんだな、まだ、と
小さなかけらをみて感じ、
行列をつくり、納骨の受付をするあまたの家族たちをみて思った。
でもこんな納骨の場所を持った人間はたぶん幸せなのかな。
家族が小さな箱を大事そうに かかえて、わざわざやってくるのだから。
だれも引き取り手のない、無縁仏もこの世にはたくさんいる。
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紅葉真っ只中で京都のすごいひと。
父がペットボトルで喉が乾いたとのんでいたのが水だとおもいきや、焼酎の水割りだった。
それをラッパのみして悪酔いして、
夕方はわざわざ料理屋へ鍋を食べにいったが、大事な話をすると意気込んでたのに、なにもできずじまいだった。
しかも早食いで1時間でお開きになった。
でいまはひっそりいえ。
自分ちはいいわ。
夫は今日からまた夜勤で、今回の納骨は参加できなかった。
またあとから父をみにいかないと。
大丈夫かな。
酔っぱらって足取りもふらふら。支えなしでは歩けないくらい。
なんだか年月を感じた。
故人がいたむかしがよみがえり、わたしはなにをしてきたのか、とふと思ったり。
生きていかなきゃな、生きてるかぎり。
母と甥っ子の骨はお墓や遠いお寺にいってしまったけど、
わたしは千の風のうたのように、
すぐそこに魂はあるんだとおもう。