相撲碑
向って左りの自然石、その中央に『早霍(そうかく)』右横下に『角力 門ノ中』、左に『俗名』『中井儀左衛門』と銘刻されている。中央の字は産・靇‥の字にも読めるが、難解なくずし字である。一応、霍と解読する。
右の石塚の銘文ははっきり読み取れますね『志賀の浦塚』、右横下に『角力連中』と銘刻する。二基とも間違いなく郷土相撲力士の塚である。地元の古老に聞くと、若森地区の方が不定期ではあるが塚に花を手向けにこられているそうです。
中央に『早霍(そうかく)』右横下に『角力門ノ中』、左に『俗名』『中井儀左衛門』
おきた地蔵 ねむた地蔵
二基の石造物は山形の板石塔婆です。主に供養塔として使われる。頂部、山型の部に二個の〇が付いている。これは日輪で太陽をあらわしてると思われる。 板碑に刻まれた銘文を解読すると。
枠内の上部中央にキリーク(阿弥陀)の梵字が見られる。その下部に文字らしきものがあるが、判読不可に近い。汚れを落とせば何とか解読可!程度。枠外右側に建立の年代が読み取れる。何とか二十は判読可、歳(年)と読める。二十から年号を割出すと、寛永20年(1643)癸未、享保20年(1735)乙卯、明治20年(1887)丁亥に絞られる。さて枠外側(左)には造立した月日・干支が刻銘されるのが一般的である。この板碑にも銘刻があるが判読できたのは十月吉日のみで他は判読不可。汚れ洗いをすれば判読可と思われる。
*左の山型の石板碑には『帰依佛(きえぶつ)』と刻銘、基壇に蓮華が深く付けられている。造立年月日は見当たらない。
※帰依とは神仏や高僧などのすぐれた者を信じ、それによりすがること。
*どちらが『おきた地蔵』か『ねむた地蔵』かは、地元の人でも分からない。摩訶不思議な地蔵さん。
追記:地蔵の前の道が旧篠山街道(旧山陰街道)です。昔の四尺道で、大八車が通れる道幅ですね。
愛宕信仰の石燈籠
この石燈籠は元埴生郵便局前の旧篠山街道沿に立っている。
愛宕信仰の石燈籠
正面には『宝永七(1710)庚寅年願主』
左側に『十一月十一日 施主 七人』
刻銘されていることから判断すると、308年前に建てられた愛宕さん信仰のものと思われる。
11月11日に施主7人が建立したことがわかる。
かなり風化が進んでいるが、なんとか解読可です。読める方は解読にチャレンジして下さい。