ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

園部の『米かみ岩』

2020-12-30 | 伝承
神坂峠『米かみ岩』
園部町宍人(ししうど)から半田に出る神坂峠(府道454号線・村境)に大岩が横たわっている。この峠にまつわるむかし話を追ってみた…
『昔、園部の殿様は徳川家の家臣で、譜代大名でした。元和五年(1619)に出石から移付され園部に入部しています。小畠に2年間住み、それから小麦山に陣屋を築城しています。三万石であるが分家に三千石を与え、実質二万七千石であった。藩主の家族・藩士・卒を合わせ832人、家来衆をみんなつれ来たので実質九千石と貧しい藩であった。そのため藩財政は大変苦しかった。従って年貢の取り立ても…厳しかったようです。
ある年、年貢を何とか少なくしてもらえないだろうか…と、百姓衆は話し合っていました。この時、一人の百姓が「生きるか死ぬかの問題だ、私がお殿様に直訴(じきそ)するといい出した」この場にいた百姓三人で申し出ることにした。村人たちは大喜び、三人は食糧の焼き米を袋にいれて園部へ向かう。大粒の汗を流し…細い峠道を越え峠の中腹「神坂峠」で、大きな岩(石)に腰をおろしていっぷくをしていました。三人は腹がへり腰から焼き米を取り出し…ポリポリ食べ始めました。一人が「まてよ、直訴したら首をバッサリ切られるだけだ…」と、いい出した。直訴は幕府の御法度である。命あっての物種だあぶない、あぶない三人は正気に戻りやっぱり止めておこうと、その場から引き返し一目散に家に引き返したという』

それから、この岩を「米かみ岩」と呼ばれるようになった。峠道は人を考えさせる思案の峠でもある。
【地元の古老の記憶も…遠い話の事ゆえ、斑の記憶。園部町図書館より郷土の昔ばなし等の冊子を参考にさせていただく】