うれしたのしおいし

風の吹くまま気の向くままな日々

薬師寺@春旅5

2019年04月04日 | 旅メモ 三重以西

     修二会花会式の期間中でしたが駐車場もすんなり駐車できました。  





中門の左側奥の塔が西塔、右側の覆い部分に東塔があります。
創建当初から唯一現存する建物という東塔は
現在史上初の全面解体修理が行われており
来年の春に落慶法要の予定だそうです。


金堂の前には花会式の奉納行事の為に舞台が設えてあります。
この日は、池坊専好さんの献華でした。
日没の法要が始まったので金堂の中に入り声明に聞き入りました。

             *HPから


花会式では1日で初夜しょや半夜はんや後夜ごや晨朝じんじょう日中にっちゅう日没にちもつの合計6回の法要があり、六時の行法と呼ばれます。十人の練行衆と呼ばれる僧は不休で法要を行います。
初夜と半夜、後夜と晨朝、日中と日没のように、1度の入堂で2回の法要を行います。
中でも圧巻なのは午後7時からの初夜・半夜の行法です。







食堂(右側の赤い建物)でハープの奉納演奏が行われました。
2017年に再建(新築)されたもので、
内部は中央に阿弥陀三尊浄土図、左右に遣唐使の姿や藤原京・平城京の風景など
仏教が日本へ伝来する時代の様子が描かれた全長50mの壁画になっています。
阿弥陀さまと共に聞くハープは沁みました。

                           *HPから

最後にお目当ての玄奘三蔵院







玄奘塔の奥(後ろ)に 大唐西域壁画殿があります。
八ヶ岳の平山郁夫シルクロード美術館で習作(?)を見て
こちらに奉納されたものを見たいと思っていました。
・・・壁画との距離があり過ぎて




金堂付近は昼間の行事が終わったので閑散



法相宗という宗派は知りませんでした。

法相宗はインド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承したことから、「唯識宗」という別名を持つ宗派です。

また応理円実宗や慈恩宗といった呼び名もあり、日本国内では奈良仏教のうちの1つとされています。
この宗教は唐で生まれたものですが、主な宗旨はインドの弥勒菩薩や無着菩薩、世親菩薩によって大成されたものが主体です。この後さらに、護法菩薩の手によって1つの唯識教学へと発展を遂げました。西遊記でも知られる唐の僧・玄奘が、7世紀初頭にインドへと渡り17年間に渡る研鑽の末にこの唯識教学から仏教教義を修得します。
その後に唐へと戻った玄奘は翻訳に全力を注ぎ、この教義を広める役割を弟子である慈恩大師へと託しました。慈恩大師は師である玄奘より伝授された法統を整理し、645年に法相宗の開創へと至ったのです。

法相宗が日本へと伝わったのは、飛鳥時代(653年)と伝えられています。
日本の僧の1人である道昭が唐へと留学し、玄奘に師事してその教えを受けました。
道昭の帰国後飛鳥法興寺にて広め、同様に入唐した智通も5年後の658年に帰国して元興寺にて法相宗を広めています。
さらには、道昭はのちに大僧正となる行基にもこの教えを伝えており、寺院や橋の建設などさまざまな功績を果たす行基の礎となりました。

法相宗の目的は、伝来元であるインドの思想・「唯識論」を研究することです。唯識論の「唯識」とは、「ただ(唯)心(識)だけが世界に存在する」という意味を持つ言葉で、「この世の中にある全てのものに関しては心が創り出したものである」という考えを展開します。
また宗派の名前である「法相」は、存在そのもののあり方についてを指し示す単語です。

人間は肉体など物理的な存在だけでなく、心理的な存在も存在現象として認識しているのではないかという唯識論の研究を発展させ、最終的にはこの世の全ての存在が「識(心)」であると考えることが法相宗の極意とされています。
たとえば、私たち人間は自分自身の指を見た時に、「これは自分の指である」と心の中で認識するのが普通です。
この時に「自分」と「指」の2つの単語を分けて考えるならば、「指」や「手」は自分の目で視認することができるため、物理的な存在として認識できます。
しかし、前者である「自分」という単語は目で認識することができず、言葉の存在つまり心(識)の中だけで存在するものです。
これらを踏まえて、法相宗では仏教の根底に流れる発想である無我の境地、「自分は存在していない」という考えに至るとされています。このような教えは数ある宗派の中でも珍しいもので、哲学でありなおかつユニークな考え方として広く認知されている宗派です。

法相宗の修行方法は、玄奘の弟子であり宗祖である慈恩大師によってまとめられた五重唯識観があります。

五重唯識観とは5つの瞑想で構成された修行方法のことです。
1つ目の瞑想で遍計所執性の幻を捨てることができ、2~4つ目の瞑想において依他起性が深められるとされています。そして、5つ目の瞑想では円成実性だけが現れるというのがこの修行法の極意です。

遍計所執性とは、法相宗の源流であるインドの唯識論における仏教用語であり、分別によって構成された性質を指します。世俗的な生活で経験されるあらゆる事象は、主観の妄執によって構想されるものであり、1つ目の瞑想によって捨てられる幻とはこの主観の妄執と言えるでしょう。

依他起性は同じく唯識論で依存して生起する性質を指し、万物は主観の作用の中にこそ存在し、因果関係によって他者に依存して生起していることを言います。2つ目から4つ目にかけての瞑想で、一切の存在が縁によって起こったものとする考えが深められるということです。

円成実性とは円満と完成、そして真実の性質のものという意味を持つ仏教用語であり、5つ目の瞑想によって文字通り円満と真実を悟ることができます。1つ目の瞑想で虚妄の存在、2〜4つ目の瞑想で相対的存在が浮き彫りとなり、この両者の無自性を正しく認識することで修行の完成、つまり絶対的様相である円成実性が浮かび上がるという訳です。




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2 コメント

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私も6年前に行きました (閑人)
2019-04-05 06:44:43
 私も6年ほど前に薬師寺を訪れました。
足が大分覚束なくなった母を同道しました。
歩くのが辛そうだったので、入口で車いすを借りて境内を見学したのを思い出します。
 当時はまだ東塔が工事中でした。
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思い出ですね。 (うれし)
2019-04-05 15:04:04
我が家の94歳になる父は平地ならなんとか1キロ弱は休憩を入れつつ歩けますが、傾斜があると・・・。

お寺へ行くと思います、元気なうちじゃないと無理ねって。檀家制度の無いお寺だそうですが、次々に新しい伽藍ができるのに驚きです。
HPには、日本人の美しい心の結晶とありました。
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