おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

またこんな話でもうしわけなく…

2024年09月05日 | 雑談

ちょっと忙しく、

またこれも

書いておく時期になってしまい…

一部のひと向け記事なので、

立ち寄ってくださるかたには

申しわけなく。

 

この記事は

「大本教」に関心のあるかたのみ

お読みください。

 

非常に短い期間で

日本に予言宗教

(宗教のカテゴリのひとつみたいな)

を、立ち上げねばならなかったのです。

ひとつには、

日本に聖書の内容を広める必要があった。

歴史をかえりみても、

なかなかひろまらなかったのは、

みなさんもご存じの通りです。

聖書によって待望せられる

その時が差し迫っていたから、

その世界のひとたちは、

日本もその世界に組み入れようとした。

移住した自分らが

暮らしていく国だからね。

そのためにはどうしても、

予言を成功させなければならなかった。

折しも、第二次大戦の時代です。

これを利用しない手はない。

実際、例えば日中戦争の現地に、

日本側の高官として、石原ほか、

大本教のシンパが名をつらねていた。

きっかり6年後の予言として、

真珠湾から

ミズーリ上の降伏文章サインまで、

日付でバチバチと当てたわけですが。

それなしには、

予言宗教たり得なかった。

そして前から何度も書いてますが、

人事はどうにでもなるんです。

現代の日本人が、予言と、

もはや茶飯事のように付き合うようになった

のは、大本教があったからです。

 

大本教から予言を取り払っても、

なお興味のあるかたは、

ここで読むのをお止めください。

おそらく普通の宗教として

関わっておられるのでしょう。

この記事は、普通の宗教については

何も書いておりません。

 

しかし大本教から予言を取り去ったら、

もう何の興味も無いというかたは、

もう少しおつきあいのほど。

上のようなので、

こと世界大戦に関わる予言は、

予言ではなく、計画通りです。

なので、あなたがもし、

大本教が残した

予言を知りたいと言われるならば、

まず、大本教が為したことから、

世界大戦に関わる「予言」を

すべて取り除く必要があります。

これらはお膳立て。当たって当然。

日付や場所を当事者の内輪で取り決めた

計画通りの出来事でした。

そうすると、

残されるのは、わずかなものになる。

そういうものをひとくちに言うと、

自然現象を扱ったものになります。

誰かの誕生とか死去

(自刃、殺害など人為的なものは除外)。

あと、自然災害ですか。

地元の大洪水、関東大震災くらいは、

大本教の本に書いてありましたが。

大本教はそれらを、

予言宗教として立つために

利用できていません。

地震の予言が元で

軍部との間に亀裂が入ったとか、

そんな話もありました。

喜三郎がわざわざ生年月日をずらしたのは、

ちょうど百年後の

誰かの誕生を予告するためです。

元男が旭川の西にある倉敷から出たのは、

誰かの生誕地を予告するためです。

大盤振る舞いの王仁も、

王仁の元を去る日出麿も、

この世と人との様子を描いたに過ぎない。

もしも、

大本教に着目する意義があるとすれば、

それは予言ではなく、

こうした地味な芝居に対してです。

どうぞみなさん、

せっかく大本教に興味をお持ちですから、

そういう、

大本教が本当に見せたかったものに

目を向けていただきたい。

王仁がつかさどる大本教は、

この世の鏡です。

喜三郎ではなく、王仁ですよ。

信者らは、この世に生きる人々の姿です。

王仁が、大本教のことを「だいほんきょう」

と言っていたことを、思い出してください。

本当に見てほしかったのは、

予言ではなく、台本なのです。

大本教が信者を巻き込んで演じ切った、

壮大なドラマ。

でも「台本教」という

大きなヒントを用意しても、

なかなか世間には伝わない。

それでわざわざ映画部を作って、

七福神とか撮った。

霊界物語は予言書ではありません。

何かの出来事の予言を汲み取ろうとしても、

そんなものは元より書かれていない。

その名の通り、物語です。

大本事件が終わって、

王仁がはっきりと、

大本の役割は終わった

と公言しています。

大本教の仕事は、そこまでです。

岡本天明があとを継ぎましたが、

これもただその名前が、

ある人物の消息を伝えるのみです。

ノストラダムスの例の詩集を

思い出してください。

あれだけの分量がありながら、

意味のあるものは数えるほどしかない。

大本教についても同じです。

明治大正昭和と、

あれだけの出来事を積み重ねながら、

意味のあるものは、数えるほどしかない。

特高に調書をとらせ、

膨大な裁判記録を残させたのは、

大本教が演じてきたことを、

のちに改変される危険からできるだけ離れて、

後世に残すためでした。

王仁が茶碗を作ったのも、

我々は入れ物を作ったということを、

公言するためです。

箱舟を作ったということです。

いずれこの世が終わるまでに、

この世とは何だったのか、

その何がいけなかったのかを、

みなさんが考え、理解するための手がかりを

大本教はみずからを箱舟として

そのなかに仕舞った。

大本教を予言宗教だと思っている限り、

それら残されたものを

紐解くことはできないのです。

(追伸)

んー……

そこまで言わなあかんのやろか?

大本教のモットーは、

良いことも悪いことも

キチッと残すってこと。

王仁の作った器は

どう見たって汚いです。

それ見えてますか?

あそこの飯は不味い

みたいに言えてますか?

 


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