巨大ヒロイン・コミック計画

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創作における鬱っぽさから立ち直る方法

2015年04月18日 00時07分22秒 | 3D作業


 本日は、ちょっといつもと違う切り口での話題を書いてみたいと思います。

 それは『創作における鬱っぽい状況から立ち直る方法』です。

 と言っても、これは私なりの方法です。
 すべての人に効くかどうかは、わかりません。
 あくまで、参考のひとつとして読んでください。
 それでは始めます。


 私は、以前に『創作において鬱っぽい状態』になったことがありました。
 やりたいことが何もなくて、ネタ切れを起こしたような状態です。
 そういうときって、何をやっても自分の内面や環境がどう変わるわけでもないし、やるだけ無駄なんじゃないかと、あきらめの境地というか、無気力な状態になってしまうんですよね。
 さらには他の何をしても、つまらなくなって、世の中が灰色に染まったような感じに見えてしまうという恐ろしい状態に陥るのです。

 そこから治るのに、かなりの時間を要しました。
 いろんなことを試していったのですが、それらの過程は長くなるので割愛して、結論を先に書きます。
 治る方法は、以下の3つでした。


【1】自分が責任を持つ状況に追い込む

 個人制作というものは、実にアバウトな制作環境です。
 自分で締め切りを決めて、何を描くかを決めて……と、すべて自由です。
 自由なのですが、逆に自由すぎて無責任になりがちです。
 ズバリ、自分で自分を甘やかしてダメにしていっちゃうんですね。

 そこから脱却するためには、作品を完成させないとマズイという状況に、自分自身を放り込んでしまうことが必要でした。

 そのために私はどうしたかというと、いきなり畑違いの演劇を始めたのです。
 役者をやるんじゃなくて、脚本と演出をやるプロデュース公演をやったのです。
 ちょうど友人に役者さんがいたので、いろいろ紹介してもらったりして。
 役者さんを集めて、お金を用意して、小劇場を予約して日取りを決めてしまうと、もう逃げられません。自分で責任を持って脚本を書き下ろし、さらに演出(稽古を導くこと)をしないといけません。
 この責任感はすごいプレッシャーでしたが、やりがいもありました。
 お客さんも満員になって、公演の当日はその光景に興奮したものです。
 そしてまた観劇アンケートの書き込みでは、お客さんからの容赦ないストーリーや演出へのツッコミや指摘があり、それが他では味わえないほどの刺激となりました。
 その味が忘れられず(次回はもっとお客さんに誉められたいとも強く思って)、その後も公演活動を続けていったのですが、次第に資金不足と仲間割れが起きて、劇団は解散になってしまったのです。
 でも、この経験は私にとって大きな勉強になりました。

 個人制作に戻った今、同じように「責任を持つ状況」とは何だろうと思います。
 それは、たぶん「お金をもらうこと」だろうと思います。
 100~200円くらいの少額でもいいから、自分の作品に値段をつける。
 責任感をそれで持つようにさせるのです。
 さらにシリーズでそれをやれば、完結をめざさないといけなくなる。自分が途中で死なないかぎり(笑)、続けないといけないという別の責任感も芽生えてくるのです。
 そういう意味ではコミケに出るのが、一番ですね。
 でも、私はあの異様な混雑ぶりがダメでして……。
 ゆえに演劇に走ったようなものでした。

 現在はインターネット上でも、コミケに参加するのと同じような活動が出来るので幸せだと思います。
 いや、幸せすぎて、何か落とし穴があるのではないかと警戒するくらいです(笑)。
 私は、けっこう用心深い性格なのです。

 だから、インターネットで販売することについても、自分なりのルール(例えば、自分を見失わないよう、いくつかの決めごと)を考えてみました。
 それは以下のようなものです。


◆二次創作はやらない
 なぜなら元ネタがウケているのか、自分のアレンジしたことがウケているのかわからなくなるからです。
 せっかく持った責任感が揺らぎます。
 自分がやらなくても、別の人が似たようなネタの続きをやるだろうと思ったら、とたんにモチベーションが下がりますから。
 なので、元ネタから派生した別の新しい世界=オリジナル作品に近い状態をめざすことがいいでしょう。
 世界観や設定、お約束のルールも元ネタから発展させて変えていきます。もちろんキャラも別人に変えてしまいます。
 気がつくと、元ネタのエッセンス(テイスト)が残ってる程度でいいと思います。
 そうなるとストーリーも、基本的な大筋は似ているけど、細かいエピソードは異なって展開するようになり始めます。
 ここまでやれば、これは自分が完結させないと、誰も代わりにやってくれないからという責任感を回復させられます(笑)。

 もちろん二次創作でもオリジナリティのあふれる作品はありますが、私は用心深いので、そのようなコンセプトで、逆に自分のヤル気を掘り起こしていこうとしたのでした。
 結果的に、それは今回の『ウルティマゴッテス』で良い方向に流れ出していると手応えを感じてきています。


◆身内には教えない
 お客さんが身内や知り合いだと、お義理で買ってもらっているということに、いつしか甘えるようになります。
 バッサリとリセットして、お客さんをゼロから開拓することが大事です。
 本当に、そのジャンル(作品性)が好きな人と出会うこと、または見つけていただくことが、その作品を成長させることにつながるからです。


【2】自分の原点に戻る

 ネタ切れの対策です。
 やりたいことが見つからないときは、自分が影響を受けた作品を読み返したり、見たりします。
 自分の読書履歴を振り返り、さらに映画やテレビドラマなども含めて、自分が好きだった作品、もっとも影響を受けた作品を、もう一度見るんですね。
 要するに、自分の人生(歴史)を振り返るわけです。
 そうすると、そこにネタって転がってるんですね。
 自分の足跡というか、進んできた道のりには、必ずネタになるヒントが落ちているものなんですね。本人が忘れているだけで。
 それを1ヶ月とか3ヶ月とか、あせらず余裕を持てる期間をもって、振り返る旅に出かけるわけです。図書館や漫画喫茶に通ったり、レンタルDVD借りたり、映画館へ行ったりして……。
 すると、たいてい、ふと思いつくものなんですよね。
 自分でハッと発見してしまうというか。
 その「ひらめき」こそが大事なんです。


【3】自分が見たいと思える組み合わせを探す

 最後に必要なのが「ワクワク感」です。

 自分で「その作品を見てみたい!」と思えることが、モチベーションにつながります。
 例えば、自分が過去に好きだった作品を取り上げ、「もしも○○だったら?」という疑問系の視点(切り口)を付けてみたり、あるいは2つ以上の作品を組み合わせてみたり……といった、食材の料理方法を考えるわけです。
 ワクワクして作れる料理方法が探せたら、もう迷うことはありません。
 自分が見たいと思う作品のイメージに向かって、それまでに培ってきたテクニックを用いて挑むまでです。

 私の場合は、「ウルトラマン」と「まどか☆マギカ」を組み合わせた作品が見てみたいと強く思いました。
 ワクワクしました。
 どんな風になるんだろうと興味も持ちました。
 たぶん、それは誰も作らないだろうから、自分で作るしかない。そうした使命感(笑)みたいなものも芽生えました。
 安くていいからシリーズものとして売っていくことで、責任感も芽生えるだろうと予想しました。
 現在はまだ小説版だけですが、買っていただけた方がいるという事実に、もちろん責任感が思惑どおり芽生えてきています。

 また自分の原点である「ウルトラマン」への再確認と言いますか、再発見もあり、「こういうアレンジを加えてみたらどうだろう?」「こういった原作へのツッコミどころを逆にエピソード化したらどうだろう?」と、新たなアイデアが次々に生まれてくるようになりました。
 例えば、ウルトラマンが人間の姿に戻れなくなったらどうするんだろう? とか。
 また自分の意志とは別に、いきなりエネルギーの漏洩(暴走)で巨人化し始めたら、きっと慌てるだろうなぁ、とか……。
 そういう、ちょっとした思いつきがどんどん膨らんでアイデアになっていくのが面白いし、楽しいです。
 おかげでネタに困るどころか、どんどんシリーズの構想が長くなっていっています。

 これは、うれしい悲鳴です。
 自分の築き上げようとしている世界観で、酔いしれて楽しみ始めているのですから。



 私たちは、自分たちの暮らす日常とは異なる『空想の世界観』に酔いしれたいんですよね。
 漫画はキャラクターが要だと言います。
 映画はシナリオが要だと言います。
 でも、その縛りから外れてみるのも一興ではないかと思っています。
 セオリー(基本)も大事ですが、それをひっくり返すことも、クリエーターがこじんまりとしないためには必要なことではないかと考えるようになったからです。


 最近Twitterで拾ったのですが、エヴァンゲリオンの庵野監督がこんな言葉を残したそうです。
 以下、引用します。

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ストーリーの存在というのは、僕は物語にケリをつけることだと思う。
基本的に『エヴァ』は僕の人生をフィルムに引き写しているだけなんで、僕が生きているわけだから、物語は終わらない。
それでも番組を終わらせなければいけない。そうなったら、ストーリーが必要になってくる。

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 私は、この言葉に共鳴しました。
 ストーリーありきではない、柔軟な発想……。
 すごいと思いました。
 その驚きとともに、私も自作に対して、先入観(常識)を取り外して柔軟に発想したいと思ったのでした。


 その願望に近いことは、漫画『アイアムアヒーロー』を読んだときにも感じました。
 あれは漫画家志望の青年の屈折した青春ドラマかと思わせておいて、いきなりゾンビが現われて、逃亡するドキュメンタリーへと大転換して進行していく変わった異色の漫画でした。
 そこにはストーリーという予定調和よりも、現象に呑まれていかないよう、どうやって逃げるかという、まるでアドベンチャーゲームを体感しているようなバーチャル性の濃さが、とても魅力的に感じました。

 私がシナリオや、漫画的キャラクターの勢いを優先せず、むしろ世界観や状況の展開に重きを置いて、酔いしれられる方向をめざしたいなと思うようになったキッカケの漫画でした。
 つまり、ゾンビを怪獣に置き換えたような恐怖やバーチャル感(映画『クローバーフィールド』も感覚的に似ていますね)を出せる方法を研究していきたいなと思うようになったのです。

 それには視点の切り替えが大変ですが。
(ウルティマゴッテスで主人公を双子にしたのは、ウルトラメガミの巨人側の視点と地上の人間の視点を切り替えやすくするための工夫のひとつでした)

 うまくいくかどうかわかりませんが……でも、そうした切り口の表現達成も目標にしたいものです。

 要は、ウルティマゴッテスで作る世界観に、制作者(私)が酔いしれることを優先したいんですね。
 作品の舞台(シチュエーション)に酔いしれたいから、ストーリーが必要になるという……庵野監督の言葉を借りれば、私個人が仕事の合間に夢見たい空想の世界観(箱庭)なんですよ。

 だから開き直っています。
 評価されることが目的でもなく、お金をたくさん儲けることでもなくて、ただ自分専用のバーチャル空間を作って、余暇はそこへ旅立ちたい。
 もし、この同じ世界観が好きな方がいたら、そこの扉を開けられるチケットを安価でお譲りしますって感じでしょうか。

 創作は苦しんでやるものじゃなくて、どうやって本人が楽しむか……。
 その楽しむ方法を見つけるのが大事なんだと思います。

 すでにコミケに参加されている方は、その方法をつかんでおられることだと思います。
 でも、中には私のように用心深かったり、わかっていながらちょっとした理由でつかみ損ねてる人たちもいることでしょう。
 そうした私に似た方々に、今回の投稿が何かの参考になれたら幸いです。


 延々と偉そうなことを書いてしまって、失礼しました。

 創作の皆さんへ……。
 お互いに頑張りましょう。


 ではではまた! ^▽^/