昨夜放送のドラマ「石ノ森章太郎物語」がとても良かったです。
姉のために描き続ける――の部分は、数日前に「好きな人に読んでもらうために創作する幸せ」をこのブログに書いた自分の思いとシンクロして、余計に引き込まれました。
やっぱり好きな人のことを思い浮かべて描きたい、好きな人をモデルにしたキャラクターを作品世界の中で息づかせたい、そうした思いは創作の原動力になり、出発点にもなると思います。
放送されたドラマは赤塚不二夫氏との友情も丹念に描かれ、まさにトキワ荘の青春ドラマとしての輝きが表現されていました。
そして圧巻なのは、サイボーグ009と仮面ライダーの構想が練り上がっていく過程。原作の基礎となるキャラクターたちが誕生する瞬間は観ていて鳥肌が立ちます。
とくに苦心した仮面ライダーの設定については、姉の魂が大いなるヒントを与えるというドラマのキモにまでなっていました。
少年時代から風が吹いていたという伏線の演出も1本の縦軸となって繋がり、大きな感動を呼ぶクライマックスへと仕上がっています。
時間が短く感じるくらいにクォリティーの高いドラマでした。
そういえば思い出します……。
実家の農家を継ぐために帰っていった知り合いで、仮面ライダー好きの人がいました。
その人が、仮面ライダー好きが昂じて自主制作の映画を撮る決意をします。
友達になったJAC(当時ジャパンアクションクラブ)の若手研修生たちも協力してくれると言います。
ロケ地候補も決まり、衣装も借りて何とかなり、バイクも手作りのサイクロン号が出来て順調だったのですが……ひとつだけ何ともならないことがあったそうです。
それは脚本でした。
いろんな案が出すぎて、まとまらないというのです。
良い案はたくさん出ていたのですが、予算的に無理だとか、様々な事情で撮れないとのことで、その人は頭を抱えていました。
私は当時、本かCDを借りる目的でその人のマンションを訪ねていったのですが、そのときに仮面ライダーの自主制作が暗礁に乗り上げそうだという悩みの数々を聞かされたのでした。
そのときですね。
人のために何かを描けたのは……。
仮面ライダーを愛してやまないこの人のために、役に立ちたいという気持ちが働いて……気が付くと、近くにあった紙(たしかスケッチブック)とエンピツを手に取って、なぐり書きでシナリオを書き始めました。
なんでそんなことが出来たのか、自分でもよくわかりません。
とにかく気がついたら、自然に手が動いていたのです。
そして私は、その人に「実際に撮影で出来ることと出来ないこと」を訊ね、そこからアイデアをひねり出していきました。
例えば、その人自身が主役で本郷猛の役を演じたいと言えば、では「本物の本郷猛が姿形を変えたストーリー設定にしましょう」という、いろんな人の都合や希望に合わせて改変させていくアイデアです。
そのようなやりとりから出来ていったストーリーの骨格は、以下のようなものでした。
「仮面ライダー・本郷猛は、ショッカーを倒したあと、その基地に残された施設を利用して自動改造手術を受け、自分のパワーを弱めることとショッカーとの闘いの記憶を消し、さらには顔も整形して別人の顔となった。正義の使者、仮面ライダーとしての役目を終えた彼は、一般人として平和になった社会に溶け込む決意をしたのである……」
「だが、ショッカーは完全に滅びていなかった。わずかだが残党が生き残り、そして仮面ライダーへの復讐を企てていた。彼らショッカーの残党は必死になって本郷猛の行方を追い、ついに名前や姿形を変えてひっそりと暮らす本人を見つけ出したのだった……」
……と、こんな感じの物語設定でした。
一般人に生まれ変わって普通に暮らしていたつもりの本郷猛に対して、ショッカーの残党は次々に怒りの言葉をぶつけていきます。
「ショッカーが滅んでも、我々には仮面ライダーを倒せという首領からの命令が、まだ胸の中に残っている! それを果たさぬかぎり、我々は死ぬことなど出来ないのだ!」
「お前が仮面ライダーを捨てても、我々にとっては永遠にお前はライダーなのだ! 忘れたというのなら、思い出させてやる!」
「平和がそんなにいいのか? お前は正義の名の下に、オレの同胞をあんなに殺戮してきたではないか? お前は闘うことだけに価値を見いだせる男よ! 思い出せ! オレもお前も、そこから逃げ出せることは出来ないのだ!」
こうしたショッカー側からの恨み節を受け取りながら、次第に記憶を取り戻し、仮面ライダーへと戻っていく主人公……やはり風を受けて、本来の力を取り戻すシーンを書くときは、私も何かに取り憑かれたように我を忘れて、夢中で書いていました。
最初は、知り合いの人を助けるためと思っていたのに……いつしか自分がすっかりハマって、自分の心へ投げかけているようなセリフの応酬となっていきました。
午前中にちょっと寄ってすぐ帰るつもりだったのに、気がつくと夜になり、知り合いの人が腕によりをかけて夕食を作っている時間帯となりました。そのとき、台所で手作り料理をするその人の姿は実に楽しそうだったのを憶えています。
こうして書き上がったシナリオをアクションチームの若手研修生の皆さんが読んで納得。ノリに乗って、大きなトランポリンやマットなどを自費で運搬してきてくれるほど撮影は本格的になっていったそうです。
そして完成した自主映画は、仮面ライダーコンテストに応募して、見事「石ノ森章太郎賞」をいただけたのでした。
実物の石ノ森先生はすごく風格があって、話し方にも厳しさが感じられるけど、でもそれら言葉の裏には愛がこもってました。
漫画界という巨大なものというか、歴史そのものを背負われているようなオーラが半端なくて圧倒されたのを憶えています。……いえ、お会いできた瞬間、ほとんど固まってしまって記憶があまり定かではないのです。
受賞後の打ち上げは怪人役を演じ、さらに監督さんだった方の自宅で行い、お母さんから大歓迎を受け、トキワ荘に負けないくらいの大変な盛り上がりとなりました。
アクションチームの若手研修生の皆さんから脚本を誉められたのも、うれしかったです。
そして石ノ森章太郎先生が、私たち若手のみんなが勢いだけで作った映像作品を観てくださった、そして認めてくださったことが何よりの宝となりました。それを、みんなで共有できた場でもあります。
こうした思い出が、昨夜の「石ノ森章太郎物語」を観ていてよみがえり、モノ作りへの愛情を感じさせる内容に、うれし涙がたくさんこぼれました……。
ホント……心にジ~ンとくる、いいドラマでした。