平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

京都花街の特徴

2011年04月14日 | 池波正太郎 江戸時代

 京都花街は五花街といわれるように、上七軒、祇園東、祇園甲部、宮川町、先斗町からなり、それぞれに伝統・格式、気楽さ、落ち着きといった特徴をもっている。 芸舞妓さんの人数は大正時代には1200人程度であったが、いまでは300人に満たない。 芸妓が200人、舞妓が80人くらいである。 芸舞妓さんにかかる費用を花代といい、2,3時間の拘束で3万円くらいというが、食事や祝儀などをいれると10万円くらいは必要であろう。 江戸時代から大阪や東京にも京都花街に並ぶような花街があり、昭和の半ばまで隆盛を誇っていた。 大阪には5300人の芸妓さんが、東京には7500人の芸者さんがいたという。大阪で日本を代表するお茶屋としては大和屋があった。当時千数百人いた芸舞妓さんも、今では20人程度しかいない。 この傾向は東京でも同じで、花街風情が残る神楽坂では一般の人でも参加できるイベントも催されるらしい。 ところが、大阪、京都に比べると京都花街の場合は芸舞妓さんの減少傾向は緩やかである。 デビューする芸舞妓さんの数も毎年20名ほどいるらしく、全国から集まってくるという。 京都にはこうした何の経験もない素人が1年の修行のあと立派に仕事をこなしていく育成システムがあるために、芸舞妓さんの減少が食い止められているのである。 

たしか、祇園甲部の芸舞妓さんだったと思います 八坂神社にて

コメント    この記事についてブログを書く
« 京都花街が350年続いた理由 | トップ | 舞妓さん »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

池波正太郎 江戸時代」カテゴリの最新記事