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紀伊磐代にある有馬皇子の石碑

2017年06月18日 | 奈良・飛鳥時代

 有馬皇子は大津皇子とならんで悲運の皇子と言われている。父は第36代孝徳天皇で、中大兄皇子とは従兄弟にあたる。当時、つまり645年の大化の改新後は、皇極天皇は孝徳天皇に譲位し、都を飛鳥板蓋宮から難波長柄豊碕宮たものの、葛城皇子(中大兄皇子)は孝徳天皇の意に反して皇極や間人皇女(孝徳天皇の皇后であり中大兄皇子の妹)の他、多くの官僚を率いて飛鳥に戻ってしまう。天皇はこれを恨みに思いながら654年に難波の宮殿で崩御したのである。このように第35代皇極天皇の息子である中大兄皇子が政治の実権を握っており、孝徳天皇は傀儡の天皇であり、決して良い関係ではなかった。そして、有馬皇子の変が、孝徳天皇がなくなった後の657年に起こった。 有馬皇子は孝徳天皇の皇子であるから難波宮を捨てて、飛鳥へもどった斉明、中大兄皇子には恨みを抱いていた。 母子が紀伊の温泉に湯治に出かけて飛鳥を留守にしていたとき、有馬皇子のもとに留守官の蘇我臣赤兄が訪ねてきて、斉明の失策について語り、政治の批判を行った。 味方を得たとした有馬皇子は早速挙兵を決意する。 ところが蘇我赤兄により邸宅を包囲され謀反を女帝に通報されて初めて、赤兄の謀略としった有馬皇子は、紀伊の温泉のもとへ送られ尋問されるが何も答えず、紀伊の藤白坂で絞首刑に処された。有馬皇子が旅路の途中の磐代で詠んだといわれる有名な歌が「万葉集」にある。

 磐代の浜松が枝を引き結び真幸あらばまた還りみむ

 もともと有馬皇子のもとにやってきて斉明の政治批判を行った蘇我赤兄が云うように、斉明は興事が好きであった。飛鳥周辺に王宮を造営し、飛鳥全体を石で飾った。 飛鳥板葺宮が焼失したときに岡本宮につくった後飛鳥岡本宮をはじめ多武峰には両槻宮、吉野には吉野宮を造営し、香具山から石上山までの12kmに渡って溝を掘り運河とし、宮の東山に石垣を作ったという。 これらは近年発見され誇張ではなく記紀、万葉集に記載された内容と一致していることが証明されている。 明日香村の板葺宮は現在伝承板葺宮跡と名づけられているが、下層部分は640年前後の造営、上層部分は660年前後、つまり斉明朝にあたり後飛鳥岡本宮の時期にあたる。 さらにその後東南にエビノコ郭が増設され、この宮殿跡は694年の藤原遷都まで存続することがわかっており、飛鳥浄御原宮ということになる。 従来、飛鳥のこれらの王宮は異なる場所に営まれていたと考えられていたが、すべてここ伝承飛鳥板葺宮跡に所在していた。

 斉明が建造した石造物には 板葺宮東の丘陵の酒船石がある。 記紀の記述と一致する石垣の一部である。 石上遺跡(斉明朝の最後の時期に整備される)に見られる須弥山石など導水設備は聖化の為の設備であったのかもしれない。

                                  阿部倉梯麻呂
仏教賛成派             ┏ 吉備姫王  ┗ 小足媛624-
蘇我稲目-579            ┃   ┣ 軽大郎女 ┣ 有間皇子639-   ┓
 ┣ 蘇我堅塩媛?-?        ┃   ┣ 36孝徳天皇(軽皇子)594-654 ┓┛
 ┃ ┃     ┏━━━━━━━━━┛  ┃  飛鳥宮 ┏漢皇子     ┃
 ┃ ┣ 桜井皇子            ┣ 35皇極天皇(宝皇女)594-661 ┃
 ┃  ┣ 炊屋姫(33推古天皇) -628   ┃  ┃板葺宮 (37斉明)       ┃
 ┃  ┃       ┃      大俣女王┃  ┣ 間人ハシヒト皇女628-665  ┛  ┓
 ┃ ┃      ┣ 田眼皇女  ┣ 茅渟王   ┣ 40天武(大海人皇子)630-686┃
 ┃ ┃       ┣ 竹田皇子 ┃     ┃   ┣ 十市皇女648-678     ┃┓ 
 ┃ ┃           ┣ 尾張皇子  ┃          ┃ 額田王631-689       ┃┃
 ┃ ┃       ┃      ┃     ┣ 38天智(中大兄皇子)626-671┛┃
 ┃ ┃       ┃息長真手王 ┃     ┃乳母は蘇我,葛城で育つ ┃┃  ┃
 ┃ ┃       ┃  ┗広姫 ┃     ┃   ┣ 大友皇子648-    ┃┃  ┛  
 ┃ ┃       ┃    ┣押坂彦人皇子  ┃ 宅子娘┣葛野王669-705┃┃
 ┃ ┃       ┃┏━━┛  ┃     ┃      十市皇女648-678 ┃┃
 ┃ ┃       ┃┃小熊子女?┣ 34舒明天皇(田村皇子)593-641      ┃┃
 ┃ ┃       ┃┃┃    ┃    ┃ ┣ 古人大兄皇子  622-   ┃┃
 ┃ ┃       ┃┃┣ 糠手姫皇女-664 ┃法提郎女         ┗ 倭姫王┃
 ┃ ┣ 31用明天皇┃┃┃ ━━┓      ┣ 蚊屋皇子                 ┃
 ┃ ┃宣化     ┃┃┃   ┃     蚊屋采女            ┃
 ┃ ┃ ┗┓    ┃┃┃     ┣ 来目皇子                             ┃
 ┃ ┃石姫皇后   ┃┃┃     ┣ 殖栗皇子 ┏━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃ ┃ ┣ 30敏達天皇538-585┣ 茨田皇子 ┣大田皇女644-667 石川郎女
 ┃ ┃ ┃          ┃      ┃  ┣大伯皇女661-701┣-
 ┃29欽明天皇509-571        ┣ 厩戸皇子 ┃ ┣大津皇子 662-686 
 ┃ ┣穴穂部間人皇女-621  ━┛     ┃  ┃ ┣-     長娥子(不比等娘)
 ┃ ┣穴穂部皇子                   ┃  ┃山辺皇女663-686(天智娘)  ┃
 ┃ ┣宅部皇子             ┃  ┃    御名部皇女(天智娘) ┃
 ┃ ┃                 ┃  ┃          ┣ 長屋王
 ┃ ┃                 ┃  ┃尼子娘(胸形君徳善娘)┣鈴鹿王 
 ┃ ┣泊瀬部皇子(32代崇峻天皇)      ┃  ┃  ┣ 高市皇子654-696  ┓ 
 ┣ 小姉君                     ┃天武天皇631-686        ┃
 ┣ 石寸名郎女                      ┃┃┃┃┗ 刑部皇子665-705(忍壁)┃ 
 ┣ 境部臣摩理勢(蝦夷が滅す)        ┃┃┃┣但馬皇女-708      ┛
 ┃  ┗ 蘇我倉麻呂            孝徳┃┃┃氷上娘-682(鎌足娘)
 ┃     ┃              ┃ ┃┃┣長皇子-715
 ┃     ┃              ┃ ┃┃┃┣智努王693-770(文屋真人)
 ┃     ┃              ┃ ┃┃┃┃┗三諸大原-806
 ┃     ┣ 蘇我倉山田石川麻呂━━━┓ ┃ ┃┃┃┗大市王704-780
  ┃     ┣ 蘇我日向                ┣乳姫┃┃┣弓削皇子-699
  ┃     ┣ 蘇我赤兄623-            ┃  ┃┃大江皇女-699(天智皇女 川島妹) 
  ┃     ┃ ┣常陸娘              ┃  ┃┃         長屋王
 ┃   ┃ ┃  ┣山辺皇女         ┃  ┃┃         ┣膳夫王-729
 ┃   ┃ ┃天智天皇          ┃  ┃┣ 草壁皇子662-689 ┣葛木王
 ┃   ┃ ┗大蕤娘669-724     ┃   ┃┃ ┣ 吉備皇女683-707
 ┃   ┃    ┣紀皇女       ┃    ┃┃ ┣ 軽皇子683-707(42文武)
 ┃   ┃    ┣田形皇女      ┃   ┃┃ ┣ 氷高皇女  (44元正)
 ┃   ┃    ┣穂積親王          ┃   ┃┃ 阿閉皇女661-721(43元明)
 ┃   ┃    ┃  ┃┗但馬皇女  ┃   ┃┃        聖武天皇
 ┃   ┃  天武天皇┣大嬢 二嬢   ┃   ┣41持統天皇645-703  ┗井上内親王
 ┃   ┗ 蘇我連子  大伴坂上郎女  ┃   ┣健皇子649-658
 ┗ 蘇我馬子(嶋大臣)551-626        ┣蘇我遠智娘-649
      ┣ 蘇我蝦夷587-645          ┗姪娘
   ┃  ┣ 蘇我入鹿605?-645豊浦宮
   ┃  ┗ 蘇我畝傍 
   ┣ 河上娘(崇峻天皇妃)
   ┣ 法提郎女
      ┣ 刀自古朗女-623
   ┗━━━━━┓
阿佐姫(弓削氏)  ┃
 ┣物部守屋-587 ┃
 ┣布都姫    ┃
 ┃  ┣物部鎌足姫大刀自
 ┣石上贄古大連(物部守屋の同母弟)
物部尾興?-?(安閑・欽明朝の大連で中臣鎌足と廃仏主張)

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