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間人皇后・聖徳太子母子像

2019年06月10日 | 奈良・飛鳥時代

 京丹後市丹後町には「間人(たいざ)」という地名が残されている。聖徳太子の母・穴穂部間人皇女と深いつながりがあるという。穴穂部間人皇女は、6世紀末、大和政権の蘇我氏と物部氏との争乱を避け、今の丹後町間人に身を寄せたと伝えられている。村人たちの手厚いもてなしへのお礼にと、この地を去る際、皇后は自らの名「間人」をこの地に贈った。しかし村人たちは畏れ多いことから、皇后が退座したことにちなみ読み方を「たいざ」としたとされている。一般的には間人で獲れる「間人蟹(たいざがに)」は松葉ガニの中でも希少価値が高い蟹として知られている。間人ガニは緑のタグが目印となっているらしく、漁は鮮度を落とさぬよう日帰り操業を基本とし、漁獲量も少ないことから貴重なカニとして珍重されていて、幻のカニと称されている。

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