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赤穂坂越-3 児島高徳公と和田範長公の墓

2020年06月09日 | 奈良・飛鳥時代

 赤穂坂越の大避神社の奥に進むと妙見寺といって坂越浦を望む景勝地が宝珠山中腹に位置する。寺伝によれば8世紀中期、行基を開山として創建されたもので、大避神社の神宮寺であったという。ここに児島高徳(-1382)の墓がある。旧坂越浦会所の館長さんも行っていたがこの地方では有名な御方だそうで、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えたことから忠臣として讃えられた。

 児島高徳公の義父にあたる和田範長公は、尊氏方へ恩賞の勧誘を断り大義名分を重んじ、後醍醐天皇に味方すべく坂越浦へたどりついたという。熊山城の夜戦で重傷の児島高徳を妙見寺の僧に託すと少ない手勢を率いて那波浦を駆け抜け、赤松円心の追手勢と十数回の合戦の末、力尽きて、1337年一族5名自害討死したという。昭和55年になって、ここ五輪塔が発掘されたという。墓所内の五輪塔は左側から、和田備後守範長公、今木太郎範季公、今木次郎範仲公、中西四郎範顕公、松崎彦四郎範代公のお墓。

坂越浦を望む妙見寺にある児島高徳の墓

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