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11月 「罪の贖いが今でも現存します」
「人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことできない。たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。」(詩篇49篇7,8節)
不幸な大震災が起こって8か月たった。復興の課題に放射能の放散の結果が日々報じられています。大変な多くの市町村民、県民がいることはまさに災禍です。私は福島県相馬市中村町出身です。先だってわれらは遅まきながら高齢域に達した我々夫婦で里のお見舞いに車で行くことができました。浜から奥まった中村町は、津波は届かなかったが、家屋の内の倒壊、外の亀裂などが走っていました。浜辺はテレビで報じられている通りです。自分はわずかの義援金をする程度で、この際必要な物質的な無力さを痛く感じざるを得ません。
10年初夏、常磐線を使って帰省した時、ここに大津波が襲ったら大変だなと強く思わせられていました。郷里がさびれることは悲しいことです。神からの強い慰めを祈る者です。たくましく立ち上がって行くことを願わされます。
冒頭のことばは旧約聖書、詩篇49の7、8にある句節です。放射能までの「贖い」はとてつもない高額の出費がかかり、全く元通りになるのは不可能に近いのではと思わされます。当事者や復興に携わる方々の、ひいては国民全体もこれからも大変だと。経済が追いついて贖うことは例えできたとしても、その損失は得したもの以上になるのではないか。
人の罪は世と人類の歴史にまたがって来ました。それからの救いはお金では決してできません。人の非情な罪深さが事件となっていて、罪の汚染を恐れてきました。人の罪はすべての人に残されています。この代価は御子キリストの十字架の死の代価を払ってしか解消しません。しかも、それを払って余りある恵みをまで。
根本にこうした必要を色々の世界に日々見せられます。霊的に人を生かす神を、その福音を聖書に見ていただきたくお勧めします。
宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会
牧師 山 田 隆