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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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ふれあい

2013年02月16日 05時40分38秒 | インポート
〈イエスは涙を流された〉(ヨハネの福音書11章35節)
 これはおそらく聖書の中で一番短い節で、原語でたった二語です。
 これほど端的に強烈に、イエス・キリストが神でありながら、完全な人間となられた事実を指している言葉はないでしょう。
 全知全能、全権をもってすべてを支配し、所有される創造主なる神が、身をかがめ、人間となって世にくだられた。
 それゆえに、罪のない唯一のお方として、私たち罪人の、過去現在未来、すべての罪の身代わりを、その十字架の死で成し遂げ、私たちを完全に救い得るのです。(ヘブル人への手紙9章12節)
 イエスが涙を流されたのは、愛するラザロが死んで墓に納められて四日、死体がもう臭くなっている、その墓の前でした。
 何故イエスが涙を流されたのかを考え、三つの事に思い至りました。
①愛の涙
 やはりイエスは、涙を流さずにおられないほど、個人的にラザロを愛していらした。そしてこの私をも個人的に愛してくださると思うと、心が一杯になるのです。
②祈りの涙
イエスがゲッセマネの園で祈られた時、愛する父なる神にさばかれ、捨てられる十字架を前にして、つらい祈りをなさいました。血の汗が流れました。しかし、私たち人類を愛して、その救いを願い、涙を流してとりなしてくださったのです。聖書はその涙の祈りが聞かれて、救いの道が開けたと書いてあります。(ヘブル人への手紙5章7節)私のために涙の祈りをしてくださったイエス。私も友のため、涙の祈りをする人になりたいです。
③心を溶かす涙
イエスが涙を流されるのを見て、多くのユダヤ人が心溶かされ、神を、イエス・キリストを信じました。
 私の固い頑固な憎しみ一杯の心も、私に福音を語ってくださった老婦人宣教師B先生の、大きな目からポタリポタリ流れ落ちてやまなかった涙を見た時、溶かされて、開きました。心にイエス・キリストをお迎えしたその晩から、私と家族は変わり始めたのです。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル人への手紙4章15、16節)

「ふれあい」ラジオメッセージ第7集 羽鳥 明著 太平洋放送協会より引用・要約しました。A.O