【先週の礼拝説教回想】 11月 9日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ホセア書14章1~9節
・説教題 主による背信の癒し
▼聖書を残らず学ぶ、説教するというのは願わしいことです。しかし、解説書などを読み、大づかみに理解してかかりますと分かりやすいものです。
預言者ホセアの活躍は紀元前750~720頃の、主に北イスラエルの預言者です。北王国の霊的実情は衰退して、やがてアッシリアの侵入を受け、捕囚にされて王国は壊滅させられます。
ホセアの家庭は、国状を象徴した大変困難なものでした。神によって強いられてそうされ、彼はそれを貫きました。1:2、「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」と。そして、ゴメルという女性と結婚しかわいそうな名を神から受けてその子につけました。1章をご覧ください。預言書は大小を問わず、ほとんど神からのきびしい断罪を伝えますが、同時にそれにまさる優しい回復を告げています。14の4、5節「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。
わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。」
▼これは今日の罪の世の中、人類にも当てはめられる断罪であり、癒しの福音です。御子を代わりに断罪させ、私たちの罪を帳消しに、癒し、栄えさせてくださるのです。今日、神の民のために、労する信者や働き人は十字架として人々の重荷を霊と肉体で担わされているのではないでしょうか。信者といえど、未完成の間、苦しい戦いが課題となりましょう。神の御子を心と体と教会の組織体でいただいております。互いに信仰と希望と愛をもって、励まし合わなければなりません。
▼神無し、その戒めなしで生きて行くことは、何かを神としていくことになります。真の神をそっちのけにして、人、先祖とか、自分自身とか、無神論とか、お金とか、人が造った像などに頼ることになります。良いものではない、悪い霊が支配し、罪に負けてしまいます。イスラエルの教訓は新約聖書時代の教訓として書かれています。罪深い世です。このままで神に断罪されます。しかし、神は慈悲深くあられます。
▼神が嘆き、人が過ちを犯す「偶像礼拝」を脱して、背反の罪を癒されましょう。
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ホセア書14章1~9節
・説教題 主による背信の癒し
▼聖書を残らず学ぶ、説教するというのは願わしいことです。しかし、解説書などを読み、大づかみに理解してかかりますと分かりやすいものです。
預言者ホセアの活躍は紀元前750~720頃の、主に北イスラエルの預言者です。北王国の霊的実情は衰退して、やがてアッシリアの侵入を受け、捕囚にされて王国は壊滅させられます。
ホセアの家庭は、国状を象徴した大変困難なものでした。神によって強いられてそうされ、彼はそれを貫きました。1:2、「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」と。そして、ゴメルという女性と結婚しかわいそうな名を神から受けてその子につけました。1章をご覧ください。預言書は大小を問わず、ほとんど神からのきびしい断罪を伝えますが、同時にそれにまさる優しい回復を告げています。14の4、5節「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。
わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。」
▼これは今日の罪の世の中、人類にも当てはめられる断罪であり、癒しの福音です。御子を代わりに断罪させ、私たちの罪を帳消しに、癒し、栄えさせてくださるのです。今日、神の民のために、労する信者や働き人は十字架として人々の重荷を霊と肉体で担わされているのではないでしょうか。信者といえど、未完成の間、苦しい戦いが課題となりましょう。神の御子を心と体と教会の組織体でいただいております。互いに信仰と希望と愛をもって、励まし合わなければなりません。
▼神無し、その戒めなしで生きて行くことは、何かを神としていくことになります。真の神をそっちのけにして、人、先祖とか、自分自身とか、無神論とか、お金とか、人が造った像などに頼ることになります。良いものではない、悪い霊が支配し、罪に負けてしまいます。イスラエルの教訓は新約聖書時代の教訓として書かれています。罪深い世です。このままで神に断罪されます。しかし、神は慈悲深くあられます。
▼神が嘆き、人が過ちを犯す「偶像礼拝」を脱して、背反の罪を癒されましょう。