【キリストに倣って】
「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ人への手紙5章2節)
使徒パウロはエペソ人への手紙5章の中で3つの歩みについて語っています。その第一は怒りの子(5:8)として。しかし、それに先立って勧められていることは、「愛のうちに歩みなさい」(5:1)
私たちは光の子としてきよく、賢い人として時代を識別して歩むことが大切ですが、また、クリスチャンとして、愛のうちに歩むことの大切さも教えているのです。
「歩む」とは生活することを意味しています。クリスチャンは、「愛の中に生活すべきなのです。
それは、愛される神の子として、神に倣った生活をすることです。それは、また私たちを愛してご自身を十字架につけられた、イエス・キリストのお姿に似る道なのです。
キリストが、ご自身を十字架につけられたとき、それは、キリストを信じ、従うものへの模範となってくださったのです。それは、
第一に、神へのささげものでした。
キリストにとって、神こそ、愛の対象であり、愛の目標でした。主イエスは全身、全性、全霊を神にささげて、父なる神を愛しておられました。私たちも、キリストに倣って、全身を、全性を、全霊を神にささげて、神を愛すべきです。それは神を第一とした生活をいっているのです。
第二に、神の供え物として。
主イエス・キリストは、私たちの贖罪のために、神のみ前に全き犠牲の供え物となってくださいました。それは自己を犠牲にしたささげものでした。それは全くご自身を無にした供え物であり、愛の献身でした。
私たちも、キリストに倣って、全部を神にささげる、すなわち、愛情も意志も、所有物も時間もすべてを神に明け渡した生活をすべきなのです。供え物とは犠牲にするものをいっているのです。
第三に香ばしいかおりです。
香ばしい香りは、人の心も喜ばせます。まして、神へのささげ物は神の御心を喜ばせます。私たちの供え物は、自分の意図に従うのではなく、神ご自身の御心にそうことなのです。それは、神に喜ばれる奉仕をいっているのです。自分を犠牲にした奉仕こそ、神の御心を喜ばせているのです。
このように、クリスチャンはキリストにならって、全く自分自身を神にささげ、神を第一とし、無私の生活、無我の奉仕をすべきなのです。これが愛の中に生きる生活です。
本田弘慈著「十字架の奥義」より引用・要約しました。
A.O
「また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ人への手紙5章2節)
使徒パウロはエペソ人への手紙5章の中で3つの歩みについて語っています。その第一は怒りの子(5:8)として。しかし、それに先立って勧められていることは、「愛のうちに歩みなさい」(5:1)
私たちは光の子としてきよく、賢い人として時代を識別して歩むことが大切ですが、また、クリスチャンとして、愛のうちに歩むことの大切さも教えているのです。
「歩む」とは生活することを意味しています。クリスチャンは、「愛の中に生活すべきなのです。
それは、愛される神の子として、神に倣った生活をすることです。それは、また私たちを愛してご自身を十字架につけられた、イエス・キリストのお姿に似る道なのです。
キリストが、ご自身を十字架につけられたとき、それは、キリストを信じ、従うものへの模範となってくださったのです。それは、
第一に、神へのささげものでした。
キリストにとって、神こそ、愛の対象であり、愛の目標でした。主イエスは全身、全性、全霊を神にささげて、父なる神を愛しておられました。私たちも、キリストに倣って、全身を、全性を、全霊を神にささげて、神を愛すべきです。それは神を第一とした生活をいっているのです。
第二に、神の供え物として。
主イエス・キリストは、私たちの贖罪のために、神のみ前に全き犠牲の供え物となってくださいました。それは自己を犠牲にしたささげものでした。それは全くご自身を無にした供え物であり、愛の献身でした。
私たちも、キリストに倣って、全部を神にささげる、すなわち、愛情も意志も、所有物も時間もすべてを神に明け渡した生活をすべきなのです。供え物とは犠牲にするものをいっているのです。
第三に香ばしいかおりです。
香ばしい香りは、人の心も喜ばせます。まして、神へのささげ物は神の御心を喜ばせます。私たちの供え物は、自分の意図に従うのではなく、神ご自身の御心にそうことなのです。それは、神に喜ばれる奉仕をいっているのです。自分を犠牲にした奉仕こそ、神の御心を喜ばせているのです。
このように、クリスチャンはキリストにならって、全く自分自身を神にささげ、神を第一とし、無私の生活、無我の奉仕をすべきなのです。これが愛の中に生きる生活です。
本田弘慈著「十字架の奥義」より引用・要約しました。
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