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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・今月のことば

2016年04月04日 06時05分02秒 | メッセージ
今月のことば
牧者の広場 2016年4月 
「無慈悲な富んだ人の悔い」
 アブラハムは彼に言った『もしモーセと預言者とその教えに耳を傾けないのなら、たとえだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない』。
 このくだりは、富んだある人が、死んで地獄に落とされた人への最後通告。主イエスのたとえのお話。アブラハムは言うまでもない、イスラエルを奴隷だった地エジプトから導きだした言わばイスラエルの救世主。ここでは神の代行に引き立てられています。そのふところはいわば天国。そこには富める人の門前にいたラザロと言う人がアブラハムのふところに憩っているのを見て、『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先で水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません』と叫び求めたのでした。これに対してアブラハムは『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。そればかりではなく、私とお前たちの間には、大きな淵があります。こちらからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えてくることもできないのです』と告げました。それで彼はねばって、生きている兄弟5人がこんな場所に来ることがないように、ラザロに遣って言い聞かせてくださいと哀願したのですが、『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たとえだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない』と結ばれました。
「モーセと預言者は聖書に記されています。この、御子イエスのたとえは厳粛に受け留める必要があります。神の存在やその愛や罰を分からなくされている時代です。富のみに生き、ラザロのような食べ物さえ困窮する人々を思い遣り援助もしないで、貧しい心でこの世を送ることは、大損で取り返しのできない悔いとに結びつくことを教えております。個々が考え直す必要がないでしょうか。

宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会   牧師 山田 隆