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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝説教(要約)

2017年02月20日 07時31分37秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】2月12日
・説教者  山田 隆牧師
・引照聖句 黙示録21章1~8節
・説教題  二つの最後
▼クリスチャンと言えども、死は口にしたくないものです。そこには経験したことのない境地と試練がありましょう。詩篇90篇でモーセは、人の生のはかなさを述べ、3節「あなたは人をちりに帰らせて言われます。『人の子らよ、帰れ。』と。10節には「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」と。
死に臨んでの行程は、臨床心理学的に、キリスト者にも共通の部分がありましょうが、5段階だという。否定、憤り、取引(医者に寿命を少しでも延ばしてくれたら、いくら、いくら上げると取引することだそうです)、次に意気消沈、受領(受け入れ)。
 死はだれにとっても試練の行程と申せましょう。
 しかし、使徒パウロはピリピ3:21に「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」と獄中から書いています。
▼さて、黙示録21章の本日の箇所は、新天新地が世の終わりの艱難時代を過ぎて、出現することが書かれています。ここには、キリストを受け入れた人々は、新しい天と新しい地とが出現しています。従って、ここには今の宇宙、この地・地球は存在しなくなります。2つ目は、4節「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」とあります。私たちは、イエス・キリストを信じて、生きている現在も、死を通してもいのちと慰め、本日は開かれなかった箇所に、都と住い、神ご自身のいのちの明かりで生きること、もはや死は無くなることが啓示されています。
▼古くされ、罪と死によって汚されてきた、この地球・宇宙は最後に、新しい天と地が出現すること、人の死は、我ら御子を信じた人々には永遠にいのちに転換されることになります。
▼しばし、罪の支配する世に生き、死を共同のものとして生き、苦しみや、悲しみ、労働や病などで過ごしましょうが、神の約束と希望、現在の父と御子の霊によって生きる私たちが一層の望みに輝いて全うされようではありませんか。