マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

「紅の豚」と作詞作曲事始め

2021年12月16日 | 本や映画

 

 

「紅の豚」は、

数あるジブリアニメの中でも

ちょっと毛色の変わった作品だと思う。

主人公が少年少女や若者でなく

中年の男女である点が、

他のアニメと大きく異なっているのだ。

 

 

空飛ぶ豚、ポルコ・ロッソは、

中年男のカッコよさとダメさ加減を

一身に体現している。

作品の中で飛行艇乗りの男は

戦争ごっこが大好きで、

生き方の美学にこだわるロマンチストで、

女への純粋な情熱はあっても臆病で、

そのくせ

「女を桟橋の金具くらいにしか思って」ない

という、どーしよーもないやつで、

それでもそれだからこそ

愛すべき存在に描かれている。

一方、女は現実にしっかりと根を下ろし、

男とは違う行動力と度量の大きさで

人生を生きているようだ。

久石譲の音楽も素晴らしく、

映画館で封切られたとき、          

子供に見せに行ったつもりが

こちらがすっかり引き込まれた。

とても魅力的な大人の映画だと思った。

 

 

60歳代の半ば頃、習っていた歌の先生に、

この「紅の豚」の楽曲に勝手に作詞したものを

見せたことがある。すると、

「今度は他人の曲でなく、

自分の曲に詞をつけなさい」

と言われた。

わたしは音楽の専門教育を

受けたことはなかったが、

若い頃にヤマハのピアノ演奏グレードと

指導グレードを取った時、

楽典とコード(和音)については勉強していた。

当時の教材を本棚の奥から引っ張り出して

ちょっとがんばってホコリを払った。

 

2曲ほど作詞作曲すると、今度は先生から

「この曲、記念にレコーディングしてみない?

いいプロデューサーを紹介するわよ」

といわれてレコーディングが始まった。

なんかうまく乗せられた感じもあったが、

乗せられてよかった!!

それからは作詞作曲が面白くて

もうどっぷりとはまった。

 

「紅の豚」の曲に触発されてなかったら、

わたしの作詞作曲はなかったと思う。

もちろん、好きで、尊敬して、

触発されたからと言って、

似た感じの曲を作ろうとは全く思わない。

人は人、わたしはわたし。

 

たしか「紅の豚」には、

「子供はわからなくていいのさ」という

コピーがついていた気がする。

このアニメは子供が見て面白いだけでなく、

大人だからこそわかる部分も多い。

「紅の豚」を見るたびに

懐かしさと深い感慨が湧き上がってくる。

 

 


色鉛筆画とデッサン2点

2021年12月14日 | 絵・デッサン

 

1996年、ン十年ぶりに

「絵を描きたい」発作がおこり、

色鉛筆画を何枚か描いたことがあった。

  記事はこちら → 色鉛筆画2点

 

その時の色鉛筆画をもう一枚、↓

 

 

 

それから18年後の2014年のある日、

今度は突然にデッサンしたくなった。

手元にあったBの鉛筆で

文具など身近なものを書いてみたら

とても楽しかった。

 

 

 

 

で、思い切って

通信のデッサン教育サイトに入会した。

本格的に美術の基礎を教えてくれるサイトで

教材もかなり専門的だった。

テキストを勉強してから

課題の写真を見てデッサンし、

それを撮影して提出すると

ネットで公開批評が受けられる。

それなりのお金を払った。

鉛筆、消しゴムはちゃんとしたものを買い、

スケッチブックは100均で済ませた。

その時提出したハンマーのデッサン↓

 

 

基礎からしっかり学ぼうという姿勢は

我ながら見上げたものだと思う、

長続きしないだけで。

 

自分の性格をよくわかってなかった。

結局3、4か月で挫折し、

元は全然取れなかった。

今となっては、

描いたデッサンはすべて

兵どもが夢の跡。

 

ブラシのデッサン  ↓

 

 

「絵を描きたい」発作の周期が

18年くらいなので、

私の人生で、もう一度描くことは

おそらくないような気がする。

というか、

そこまで生きているのは

ちょっとしんどいなあ、

というのが本音かも・・・

 

 


徒然草・神無月のころ

2021年12月11日 | 古典の朗読

 

 

徒然草・神無月のころ~

(大意)

10月ごろ、栗栖野の先の山里に

ひっそりと住む人の

庵を訪ねたことがある。

そこで、

苔の細道も静かな庵のたたずまいも

なんと風情のあることかと感じ入った。

が、庵から離れた庭に 

蜜柑の実がいっぱいなっている木があり、

取られないようにと

厳重に囲われているのを見て、

せっかくの興も

いささか冷めてしまった。

こんな木、なければよかったのに。

 

 

徒然草・神無月のころ

 

 

(原文)

徒然草(第11段) 神無月のころ~

神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、

ある山里に尋ね入る事侍りしに、

遥かなる苔の細道を踏み分けて、

心ぼそく住みなしたる庵あり。

木の葉に埋もるゝ懸樋の雫ならでは、

つゆおとなふものなし。

閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、

さすがに、住む人のあればなるべし。

かくてもあられけるよと あはれに見るほどに、

かなたの庭に、大きなる柑子の木の、

枝もたわゝになりたるが、

まはりをきびしく囲ひたりしこそ、

少しことさめて、

この木なからましかばと覚えしか。

 

 

 

オチというか

作者の言いたいことはよくわかる。

同感である。

が、わたしはそれよりも、

苔の細道や

ひっそりとした庵の描写の方が好き。

短い文章なのに

情景がありありと浮かぶのだ。

 

 

 


徒然草・堀池の僧正

2021年12月08日 | 古典の朗読

 

 

徒然草・堀池の僧正

(大意)

良覚という名の偉いお坊さん(僧正)は、

とても怒りっぽい人だった。

住んでいる僧房の傍に

榎の大木があったので、

人は彼を「榎木の僧正」と呼ぶようになった。

けしからんと思って

その木を伐り倒させると切り株が残り、

今度は「切杭の僧正」と言われることに。

ますます腹を立てて

切り株を掘って捨てさせると、

その跡が大きな穴になったので

とうとう「堀池の僧正」と

呼ばれるようになった。

 

 

 

最初の「榎木の僧正」って、

そんなにひどいあだ名なのかなぁ・・・.

僧正はいい年した大人なんだから、

からかい半分のネーミングに

いちいちオーバーリアクションせずとも

よいものを。

無論、

読むにはその方が面白いけれど。

 

 

徒然草・堀池の僧正

 

 

著者の吉田兼好(兼好法師)は 

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての

官人、歌人、随筆家。

「徒然草」は、

清少納言の「枕草子」

鴨長明の「方丈記」と並んで

日本の三大随筆の一つ。

 

・枕草子(春はあけぼの~)は →こちら

・枕草子(九月ばかり~)は →こちら

・枕草子(五月ばかりに~)は →こちら

・方丈記(行く河の流れは~)は →こちら

 

 

   

「堀池の僧正」は、

中学の古文の教科書で初めて読んだ。

実話らしいが、一読して

フィクションなら未完だと思った。

で、ひそかに教科書の隅に書き加えた。

以下、

原文と私の落書きを追加したもの。

(緑字は原文、赤字は私の加筆

 

  腹あしき人 = 怒りっぽい人

  きりくひ (切杭) = 切り株

 

堀池の僧正

公世の二位の兄に、良覺僧正と聞えしは

極めて腹あしき人なりけり。

坊の傍に大きなる榎の木のありければ、

人、榎木の僧正とぞ言ひける。

この名 然るべからずとて、

かの木を切られにけり。

その根のありければ、

きりくひの僧正と言ひけり。

いよいよ腹立ちて、

きりくひを掘りすてたりければ、

その跡 大きなる堀にてありければ、

堀池の僧正とぞいひける

その堀を埋めたりければ、

埋め立ての僧正と言ひけり。

 

 

 

半世紀以上前を振りかえり、

書き加えたわたし、案外さえてた?

などと思ったのも束の間、

TVアニメ日本昔話で 

同じことをやっていたと知る。

しかもアニメでは、

埋め立てた後に立札を立て、

「立札の僧正」にまでなっていた。

わたし、完敗。

お呼びでない。

これくらいのこと、みんな考えるんだよね・・・

というお話でした。

 

 


平家物語・敦盛最期

2021年12月06日 | 古典の朗読

 

 

 

小学唱歌「青葉の笛」の一番は、

この「敦盛最期」を歌にしたものである。

 

♪青葉の笛  作詞 大和田建樹

一谷の軍(いくさ)破れ

討たれし平家の

公達(きんだち)あわれ

暁 寒き 須磨の嵐に

聞こえしはこれか

青葉の笛

 

 

 

 

平家物語・敦盛最期

一谷のいくさに敗れた平家は

海へと敗走する。

源氏軍の熊谷次郎直実

(くまがえのじろう なおざね)は、

波打ち際で、豪華な装束の敵武者を組み伏せる。

そして首を切ろうとしてよく見ると、

わが子と同じ年頃の美しい若者であった。

助けたくとも源氏軍がそばまで迫っており、

直実は、覚悟を決めている若武者の首を

泣く泣く切り落とす。

 

 

後にわかったのは、

討たれた若者は

平経盛の子息の敦盛(あつもり)

弱冠十七歳。

錦の袋に入れた笛を腰に差していた。

それを見て、

暁に敵陣から聞こえたのは

この笛の音だったと直実は知る。

小枝(さえだ)という名のその笛は、

鳥羽の院から笛の名手の平忠盛へ、

その後、同じく名手である孫の敦盛へと

受け継がれたものであった。

 

 

平家物語・敦盛最期

 

敦盛の装束、武具、騎馬の立派さや、

直実との今わの際の一問一答が

哀れを誘う。

 

 

 

坂東から来た歴戦の荒武者と

いくさに慣れない若者とでは

所詮、勝負にならない。

敦盛は、逃げられたかもしれないのに、

わざわざ引き返してきた・・・

 

 

 

この後、

直実は武家に生まれたことに

無常感を持つようになり、

遂には仏門に入った。