アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

日本に帰国して矛盾だと感じたこと、人生における発見や日常のことなど色々語ります

愚民の上に苛(から)き政府あり

2010年12月01日 | 政治・国際情勢について

福沢諭吉の名言にこんな言葉がある。

「愚民の上に苛(から)き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。故に今、日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。」

つまり、今の日本の政府の状態は、今の私達国民の状態の反映であり、国民自ら招いた結果なのである。リーダーシップのない首相がコロコロ変わり、政治家による失言・失態が目立ち、お互いに悪い所をみつけては足の引っ張り合いをする。国会答弁ともなれば、人の話を最後まできちんと聞かずに、自分の意見ばかりを言いまくり、挙句の果てには野次を飛ばす。議員達の質問を聞いていると、感情だけをぶちまけているお粗末な議員達もいる。また、質問に対してちゃんと答えない、答えようとしない政治家も多い。

このような現象は国会の中だけではあるまい。学校でも会社でも、いじめや自殺、過労死、鬱病、学級崩壊、モンスターペアレントの出現といった様々な形で出ている。

また、社会の最小単位と言われている家庭の中でも起こっている。家庭の大黒柱の役割が変化し、結婚の在り方も変化し、離婚率、家庭内暴力や虐待が劇的に上昇、親がしっかりとした価値観を持てず子供の育て方が分からない親、また親子の縁が希薄になっている家庭が増え、現在では、家庭が家庭として機能せず、崩壊しているところが多い。そのような家庭で育った人が将来、家庭や社会、国を背負っていけるだけの人物になれるのであろうか?

もう一方で、今やグルメやエステ、温泉にファッション、若返りといった表面的な快楽を人々が求めすぎ、それが人間としての士気や覇気を低下させている。今の雑誌やテレビ番組は、そのような浅い内容を扱ったものが非常に多く、くだらないバラエティ番組も後を立たない。国民がそれを求めているからであろう。視聴率や雑誌の売り上げを上げなくてはいけないのだから。


そんなような環境にさらされている国民が、果たして今の日本がどれだけの危機的状況にあるのか、諸外国からどれだけの嘲笑の的とされているのか、分かっている人はどれだけいるのだろうか?また、そのような国民が、本当に日本の将来を考えて、選挙の時には誰を投票するのか、真剣に考えている人がどれだけいるのだろうか?どうせ誰を選んでも変わらないから選挙に行かない、とか、自民党が駄目なら民主党、民主党が駄目ならまた自民党に乗り換えるという安易な気持ちで政治家を決めるという事は、自分達の国民としての責任を放棄しているのと同じである。このような人達が、安易に政党を非難したり、政治家を批判したりしているのだ。こんなことばかり続けていては、この先、この政治の混乱は続くだろう。そしてこのまま続いて、日本は遅かれ早かれ、壊滅的な状況に陥るに違いない。

今の日本は、ローマ帝国の滅亡と非常によく似ている。ローマ帝国が衰退期に入った時は、国民は快楽にふけり、自堕落な生活を送っていた。政治は混乱と分裂を極め、トップがころころと交代し、50年間になんと26人ものトップが変わったということである。同時に人口が減少し、結果、労働力が減り、産業が衰退していった。

また、古代イスラエルの滅亡も同じ現象が起こっている。イスラエルの王が短期間でコロコロ変わり、国民はモラル・貞節を失い、自堕落な生活を送っていた。結果、精力を急速に伸ばしたアッシリアによってイスラエルは滅ぼされたという歴史的事実もある。

まさしく、今の日本はこのローマ帝国やイスラエル王国のように、衰退への道をじわじわと歩んでいるのである。こんな今の日本の状態を、もっと更に悪い状態で私達の子孫に残してもよいのか?

私達国民は目を覚まさなくてはいけない。今の政治家が、今の私達国民の状態であるならば、私達は自分の足元を見る必要があると思う。人間として私達はどうあるべきか、どう生きるべきか、その生き方や考え方に共感できるまともな政治家は誰であるのか、きちんとした目でもって見極める必要がある。選挙の時に深く考えもせず選ぶから、簡単に批判したり、他の政党へ乗り換えたりするのだ。選べる政治家がいないのであれば、自分が立候補すればいい。今の日本を変えるにはどうしたらよいか、私達国民は一体何ができるのか、何か小さなことからでもできることはないか、これは私自身も含めて、考えていきたいことである。