日本でグローバル人材、リーダーシップという言葉が蔓延してかなり久しく、企業でもそのような資質を持った人材の需要は高いが、果たして、本当のグローバル人材、リーダーシップのある人間とは何なのか?会社の企業研修や外部セミナーなどで、グローバル人材育成セミナー、などとうたって、あちらこちらでこのような研修やイベントが開催されているものの、果たして日本でそのような人材が育っているのか、はなはだ疑問である。
私自身、以前ある会社でコンサルタントとしてグローバル人材に関するセミナーを企画したり、企業にそのような研修を進める仕事をしたことがある。また大手企業に勤めていた時、社内研修でそのようなセミナーも幾つか実施しており、またダイバーシティ部門など設けて、人材の多様性などに取り組んでいたが、どうやらこれらは全て形ばかりで、実際にそのような人材が育ったとはとても思えなかった。
また、「グローバル人材」「リーダーシップ」の定義も曖昧である。英語が単に出来る人がグローバル人材なのか?海外経験がある、留学の経験がある、だけでグローバル人材になれるのか?研修を受ければ自然とグローバル人材になれるのか?社内に英語を導入すれば、海外研修を導入すれば、グローバルになれるのか?
私も長年、模索していたが、これらの答えははっきり申し上げてノ―である。
その前に、グローバル人材になるよりも何よりも大切なのは、自分自身がどのような人間になりたいのか、自分の有様を問うことが非常に重要だと感じている。どんなに英語が出来ても、たとえ頭が良くても、困難に立ち向かえない人、自分自身を冷静に見つめられない人、弱者を思いやる気持ちがない人、いつも相手の立場にたって考えられない人、など、このような人間性では、たとえ仕事ができても、周りがついていかないし、尊敬も集められないだろう。
ある本にこのような事が書いてあった。「立派なリーダーになる為に出来ることは簡単だ。その人を、到底自分では立ち向かえない困難の中で苦労させることだ。」と。
これは非常に的をついていると思った。人間は所詮、恵まれている環境の中で成長することはたかが知れている。しかし、困難な中で学び、成長することは図り知れない。人間というものは所詮、自分自身が辛い環境に置かれることで、ようやく他人の痛みが分かったり、自分自身を振り返って色々と反省できるものなのだろう。また、そういう中でしか、深みのある人間として成長することはできないのだ。
過去の偉大なリーダー達を見てみると、彼らの成功の裏には想像を絶する程の苦難や困難を経験していることが分かる。
今の日本は恵まれすぎているので、このような環境の中で本当に世界に通用するグローバル人材、尊敬されるリーダーが出てくることは難しいだろう。日本人はそういった大変な事や面倒な事に直面するよりも、とりあえず手っ取り早く、研修やある方法などでグローバル人材になろうとしている傾向があるように見えるが、そんな安易な事ばかりをしているようでは、とても育つとは思えない。
残念ながら、ピアノレッスンの現場でも似たような事が起こっているのではないかと思うことがある。今やピアノの弾き方に関する情報がインターネットやら書籍など、数限りない程あるが、残念ながらその情報どれを見ても、ピアノの「弾き方」ばかりで、その裏にある、練習に向かう心のあり方とか、レッスンやピアノに対する心構え、などといったものが書かれているものが非常に少ない。
従って、今の生徒さんはどうしても安易な方向に向かいがちで、すぐに上達しないと練習を嫌がったり、ピアノを辞めたりする。今の子供達の多くは、面倒な事、嫌な事は出来るだけ避けたいのだ。苦労して何かを得る、という価値観がなおざりにされている。しかし、ピアノの上達法は今も昔も変わらない。それは、毎日コツコツと練習することだ。方法論や教授法ばっかりが目につき、こんな単純な事実がなおざりにされている今の日本。ピアノレッスンに関するセミナーも沢山ありすぎるくらいだが、そのほとんどは方法論ばかりが多いので、私もセミナーに関しては本当に価値のあると思われるものを、慎重に選んでいる。
話が少しずれてしまったが、私自身も今の自分では、とても足りず、立派な人間などとても程遠いが、足元をしっかり見つめて、今できることを精一杯やっていきたいと思う。日本人の中で、世界で活躍したいと思っている人、根性のある人、今の日本に疑問を感じ、変えたいと思っている人は、ぬるま湯状態から飛び出し、どんどん海外に出て、色々苦労をし、経験を積んでいってもらいたいものである。
私自身、以前ある会社でコンサルタントとしてグローバル人材に関するセミナーを企画したり、企業にそのような研修を進める仕事をしたことがある。また大手企業に勤めていた時、社内研修でそのようなセミナーも幾つか実施しており、またダイバーシティ部門など設けて、人材の多様性などに取り組んでいたが、どうやらこれらは全て形ばかりで、実際にそのような人材が育ったとはとても思えなかった。
また、「グローバル人材」「リーダーシップ」の定義も曖昧である。英語が単に出来る人がグローバル人材なのか?海外経験がある、留学の経験がある、だけでグローバル人材になれるのか?研修を受ければ自然とグローバル人材になれるのか?社内に英語を導入すれば、海外研修を導入すれば、グローバルになれるのか?
私も長年、模索していたが、これらの答えははっきり申し上げてノ―である。
その前に、グローバル人材になるよりも何よりも大切なのは、自分自身がどのような人間になりたいのか、自分の有様を問うことが非常に重要だと感じている。どんなに英語が出来ても、たとえ頭が良くても、困難に立ち向かえない人、自分自身を冷静に見つめられない人、弱者を思いやる気持ちがない人、いつも相手の立場にたって考えられない人、など、このような人間性では、たとえ仕事ができても、周りがついていかないし、尊敬も集められないだろう。
ある本にこのような事が書いてあった。「立派なリーダーになる為に出来ることは簡単だ。その人を、到底自分では立ち向かえない困難の中で苦労させることだ。」と。
これは非常に的をついていると思った。人間は所詮、恵まれている環境の中で成長することはたかが知れている。しかし、困難な中で学び、成長することは図り知れない。人間というものは所詮、自分自身が辛い環境に置かれることで、ようやく他人の痛みが分かったり、自分自身を振り返って色々と反省できるものなのだろう。また、そういう中でしか、深みのある人間として成長することはできないのだ。
過去の偉大なリーダー達を見てみると、彼らの成功の裏には想像を絶する程の苦難や困難を経験していることが分かる。
今の日本は恵まれすぎているので、このような環境の中で本当に世界に通用するグローバル人材、尊敬されるリーダーが出てくることは難しいだろう。日本人はそういった大変な事や面倒な事に直面するよりも、とりあえず手っ取り早く、研修やある方法などでグローバル人材になろうとしている傾向があるように見えるが、そんな安易な事ばかりをしているようでは、とても育つとは思えない。
残念ながら、ピアノレッスンの現場でも似たような事が起こっているのではないかと思うことがある。今やピアノの弾き方に関する情報がインターネットやら書籍など、数限りない程あるが、残念ながらその情報どれを見ても、ピアノの「弾き方」ばかりで、その裏にある、練習に向かう心のあり方とか、レッスンやピアノに対する心構え、などといったものが書かれているものが非常に少ない。
従って、今の生徒さんはどうしても安易な方向に向かいがちで、すぐに上達しないと練習を嫌がったり、ピアノを辞めたりする。今の子供達の多くは、面倒な事、嫌な事は出来るだけ避けたいのだ。苦労して何かを得る、という価値観がなおざりにされている。しかし、ピアノの上達法は今も昔も変わらない。それは、毎日コツコツと練習することだ。方法論や教授法ばっかりが目につき、こんな単純な事実がなおざりにされている今の日本。ピアノレッスンに関するセミナーも沢山ありすぎるくらいだが、そのほとんどは方法論ばかりが多いので、私もセミナーに関しては本当に価値のあると思われるものを、慎重に選んでいる。
話が少しずれてしまったが、私自身も今の自分では、とても足りず、立派な人間などとても程遠いが、足元をしっかり見つめて、今できることを精一杯やっていきたいと思う。日本人の中で、世界で活躍したいと思っている人、根性のある人、今の日本に疑問を感じ、変えたいと思っている人は、ぬるま湯状態から飛び出し、どんどん海外に出て、色々苦労をし、経験を積んでいってもらいたいものである。