アメリカ帰国者が日々の出来事・人生・世の中などを語るブログ

日本に帰国して矛盾だと感じたこと、人生における発見や日常のことなど色々語ります

安倍総理の支持者とトランプ大統領の支持者は似ている

2018年08月11日 | 社会・人生について

今月7日に更新された世論調査を見ると、先月は安倍総理の不支持率(44%)が支持率(39%)を上回っていたのに、今回は両社とも支持も不支持も同じ41%になっていた。つまり、支持率が2%上がり、不支持が3%下がり、これをどう見るかはその人によるものかもしれないが、統計上では2~3%程度の違いなら誤差範囲で同程度、つまり、あまり変化がないとみなす。

しかし、昨年からの内閣支持率の動向を見てみると、不支持よりも支持の方が高い時期が多い。様々な国会での強行採決、森友や加計学園問題、西日本豪雨への対応、大臣や議員の数えきれない失言など、はっきり申し上げて、やりたい放題の政治だとしか思えないのだが、それでも何故、安倍総理を支持する人達が多いのだろうか?そして、自民党の中にも、今回の総裁選では、石破氏よりも安倍支持の方が多数派になっている。

私からすれば、石破氏の方がよほど見識も良識もあり、人として最もまっとうな方だと思うのだが。実際、私の周りでも、ほとんどの人が安倍総理は早く辞めて欲しいと言っているだが、何故、未だに彼を支持する人が多いのだろうか?

これはこれまでの世界の歴史を振り返ってみた私の推測であるが、今、世界が非常に混沌とした状態になっている。また、それに加えてテロ事件、地気温暖化による異常気象や災害の大規模化、そして北朝鮮の脅威など、世の中は暗黒になりつつあると感じている。これらの出来事は、聖書では既に2000年以上も前に預言されていたことで、残念ながら今後の世の中はますます不透明になり生きづらくなるのは必須であろう。そして、このような世の中になると、人々は地味でまともな政治家よりも、派手な政治家、口の達者な政治家を好む。

この最も良い例が、ドイツのヒットラーであるが、彼は非常に演説が上手だったという。何をしゃべれば人々を惹きつけることができるか彼は非常に良く知っており、どうすれば国民を煽り、自分の思い通りの政治ができるか大変熟知しているのである。しかしその後、彼の政権が実際に何をしたのか、彼自身がどうなったのかは、皆さんご存じの通りであるが。

日本の安倍総理、そしてアメリカのトランプ大統領も似たようなことがないだろうか?安倍総理は、「一億総活躍社会」、「全ての女性が輝く社会」、「働き方改革」、「アベノミクス」、などいかにも国民の関心が集まりそうなキャッチフレーズを声高にあげているが、ふたを開けると、それらのどれも国民の生活の現実に沿ったものではない。

働き方の多様性と言いながら、一億総活躍社会、とは何なのだ?国民全員働かなくてはいけないのか?生き方の多様性は認められないのか?女性は働かないと輝けないのか?そして、アベノミクスの効果も一般の国民は何も感じていない。給料が上がらない、しかし社会保険料は上がる、税金は上がる、教育費も上がる、食費も上がるばかり。結果、年金支給額の低下、老人の貧困や子供の貧困、非正規社員の増加、介護費用の増加、老老介護で親子共倒れ、などで国民の生活はちっとも楽になっていないのが現状ではないのか?

そんな状況にあるにも関わらず、国民の多数は安倍政権に対してNOと言わない。安倍総理に代わる人がいないからだというが、自民党には石破氏を始め、まだまっとうな政治家が存在する。にも関わらず、安倍総理を支持するのは、ヒットラーを支持した当時のドイツ国民の様に、日本国民の半数が既に洗脳されてしまったのではないからではなかろうか?

アメリカも非常に似たような現象が起こっている。トランプ氏は、歴代の大統領とは違い、非常にはっきり物を言う。政治家は嘘つきが多い、ということを考えると、彼は非常にストレートに物を言い、時に過激な発言をするので、今のこの混沌とした状況を打破できるのは彼しかいない、と勘違いし、そのリーダーに対して過剰な理想を抱いてしまうのであろう。ヒットラーと同じように、トランプも非常に派手な人である。そして、暗黒の時代には、国民は地味でまっとうな政治をしてくれるひとよりも、彼のように口達者で行動力が抜群そうな、派手なリーダーを好むのである。

これは非常に危険な方向へ行っているとしか言わざるを得ない。しかし、これも聖書で預言している通り、これらのことは今、確実に起こっていることで、私達ではもう止められないことなのだろうかと無力感を感じる。

安倍総理とトランプの支持者たちの知的レベルが似ているのではないかという記事をたまたま見つけたが、私と同じようなことを考えている人がいて驚いた。興味のある方は、下記の記事をご覧ください。これが事実かどうかは、それぞれの判断に任せますが。

トランプ支持たちの知的レベル

 


患者、顧客の過大な要求が過酷な労働環境を生み出している

2018年08月08日 | 仕事・働くことについて

東京医科大学の入試試験で、女子が一律減点されていたことが発覚した。女性の合格率が男性よりも高くなってしまったということが原因らしいが、女性の方が優秀な人達が多いということの現われであろう。実際、フィンランドなど他の国では、男性よりも女性医師の数が上回っており、ラトビアでは、なんと75%、ほぼ8割が女性医師で占められている。

世界各国比較:医師の男女比ランキング

これを見ると、日本のランキングはOECD諸国の中で最下位という不名誉な結果となっている。

しかし、これに対して日本の現役医師の6割が、この一律減点に関して「理解できる」としており、医師でタレントの西川史子氏は、女性ばかりになると皮膚科や眼科が増えるとか、外科医は男手が必要なので減点は仕方ない、とまで言う始末。それが真実だとしたら、ラトビアやフィンランドなど女性の割合が多い国の場合はどう説明するのか。これらの国では皮膚科や眼科医ばかりなのか、耳を疑ってしまう。

それに対して、ある報道番組のコメンテーターからまっとうな意見が出た。

そもそも医療現場の過酷な労働環境が問題で女性医師が辞めざるを得なくなっているのに、女性医師がいるせいで男性医師の負担が増える、というのは間違っている。女性にも働きやすい職場環境を作ることに目を向けなくてはいけないのに、入試の段階で女子を排除しようとするのは間違っている、と。

全くその通りだと思う。時代錯誤も甚だしい。

しかし、この現象はなにも医療現場だけでなく、一般の会社にもある程度の不正操作があるのではないかと感じている。実際に、全く同じ能力を持った男女の求職者がいた場合、会社側は男性の方を採用することが多いのではないか。それに、日本ではどこの会社を見ても、特に営業部門は女性よりも男性の比率が圧倒的に多い。管理職、役員レベルでも未だにそうだ。そして、事務職の仕事は女性が多い。今は大学を出ている女性も多いのに、昭和の時代からこの現象が変わっていないのは、採用する側に意図的な操作があると疑わざるを得ない。

では何故、医療現場も、多くの会社においても過酷な労働環境がなかなか改善されないのか。それは、

顧客(もしくは患者)側の過大すぎる要求が、過酷な労働環境を生み出している

からだと確信している。

日本の会社は、クライアント側からの無理な要求、無理なスケジューリングに対して絶対にNOとは言わない。アメリカで働いていてつくづく感じたのは、アメリカでは発注する側と受注する側は対等なパートナーであり、日本のように上下関係ではない。従って、アメリカでは顧客が無理な要求、課題な要求をするとはっきりNOと言うが、日本はNOとは言えない。当然、受注する側は仕事を回すだけで精一杯になり、仕事に対する誇りややりがいを感じられなくなり、長時間労働で疲弊し、最悪の場合は過労死に至ってしまう。

これは病院でも全く同じことが起こっている。日本では国民皆保険なので、諸外国と比べると医療費が断然安い。昔の1割負担から3割負担に増えたものの、それでもアメリカと比べても全然安い。だから、大した症状でなくても病院に行ったり、はてまた高齢者の方達は寂しさ紛れに病院へ行く人もいるようなので、患者数は増え、医師の負担は増え続けるだけなのである。

それに加えて、高齢化に伴い、入院患者数が現時点においても既に高齢者の割合が非常に高い。私は去年の夏、1か月ほど入院をしたが、8~9割が高齢者ばかりでびっくりした。高齢者は介助を必要とする人が多いので、医療スタッフの負担は大変なものであると肌で感じた。

入院する患者さんを制限できないが、少なくとも外来患者数を抑えたり、海外からも医師を採用して医師の数を増やす、という手があるのではないのか?外来患者数を抑えるには、医療費負担を欧米並みに高くすればたちまち減るかもしれない。これについては、国民から大反対されることが予想されるが、大したことないことで医療機関にかかる数は激減する効果があると思う。

しかし、そもそもこんなことをしなくても、患者側が常識的な人達ばかりだったら、医療費を上げなくてもよいのだが、残念ながら非常識な人達が存在する限り、他の人達にしわ寄せが来るのは致し方ないと思う。

会社においても、クライアントからの無理な要求を断れば、残業時間などたちまち減らせるのだ。断ることで、クライアントからの受注がこなくなれば、それはそれでよい。対等な立場でビジネスできる相手と仕事をした方が、よほど仕事の質は上がるし、従業員の満足度も高いだろう。そして、無理な受注を断る企業が増えれば、無理な要求をするクライアントはブラック・クライアントとなり、発注することさえもできなくなる。そういう状態にならないと、日本の労働環境はなかなか改善しないと思う。

私が以前、働いていた調査会社もいわゆるブラック企業だった。クライアントからの無理な要求ばかりに答えていたからだ。それでも、私は当時、マネージャーとして権限を持たせてもらったので、過大な要求をするクライアントにはこっそりNOと伝えていた。私の下で働いている部下達の疲弊をこれ以上招きたくなかったからだ。それでも彼ら(と私)の残業がなかなか減らなかった。そもそも業務量がスタッフの人数に対して既に過剰な状態となっていたからだ。人員を増やせばいいことなのだが、外資系企業となると、すでに毎年人員の枠が厳しく定められており、融通が利かないので、なかなか増えない。

今の多くの病院もそうではないかと推測する。病院側の利益を上げたいが為に、男性医師を優遇し、職場環境改善どころか、患者を増やし、不必要な投薬、手術をする。病院、医師の倫理観、良識が問われる問題だ。

従って、これらの要因を考えると、今回の東京医科大学の入試一律減点はあってはならないことであり、決して正当化できることではない。正当化する人達は、問題の根本に目を向けておらず、一律に女性が問題、だから排除する、という短絡的な思考になっているのだ。

 

 

 


在宅ワーク、フレックスタイムの導入が遅い日本~本当の意味での多様な働き方とは~

2018年08月05日 | 仕事・働くことについて

7月に入ってから日本は異常な暑さが続き、ここ東京でもついに36度を超える日が来てしまった。昨年、脳脊髄液減少症を再発してしまった私にとっては最悪の事態になってしまった。

ここ最近、毎日のように頭痛が続き、倦怠感が半端なく、体を引きずるようにして出勤していた。しかし、先週、ついに体が動けなくなって4日間、仕事を休み、先週も2日間、仕事を休む羽目になってしまった。休んでいる間は病院へ点滴を入れに行っていたが、通う回数が増えると、それだけ医療費が膨れ上がる。一方で、仕事を休んでいるから給料も下がる。

私の仕事は市場調査のデータ分析、翻訳などが主な仕事なので、会社に行かなくても自宅で十分仕事ができる。にも関わらず、会社はそれを認めてくれない。それで、他にフレックスタイムを導入しているところ、在宅ワークを導入している就職先を探しているが、本当に数が少なく、見つかってもすぐに人が埋まってしまう状態だ。

幸い、私の病気は軽度なので、何も症状がない時は普通に仕事ができる。しかし、暑さが続いてしまうと体から水分が奪われ、髄液のレベルも落ちてしまい、時に激しい頭痛が襲う。しかし、自宅で安静にしているうちは、仕事はなんとかできるので、その機会を奪わないでもらいたいと思うのに、会社側は一向に考えようとしない。

一体、多様な働き方とは何なのか?働き方改革、と政府が声高々に言っているが、現状を見てみると、女性には子供を産め、子供を保育園に預けて働け、家事もちゃんとやれ、男性も子育てに参加せよ、高齢者も働け、としか聞こえない。仕事はフルタイムの仕事が多く、週3日くらいの仕事になるとバイト並みの仕事しかない。欧米では、週3~4日でも、自分のスキルが活かせる仕事が存在するのに、日本ではそのような仕事が皆無と言っていい。たとえあったとしても、ボーナスや他正社員並みの待遇は受けられない。なんてひどい社会なのだろうかと思う。

私の様な病気を持っている人に対する働き方、がん患者の働き方、障害者の働き方、などその人の状態に合わせた多様な働き方が全く実現できていない。高齢者も働け、と言っておきながら、彼らに合った仕事や働き方が一体、どれくらいあるのか?

日本政府は結局、声を上げるだけで、まだ何も抜本的な改革など進んでいない。関東の通勤ラッシュは相変わらずひどく、小池東京都知事は時差通勤を奨励しているが、結果は何も変わっていない。何故なら、会社側がフレックスタイム制や在宅ワークを導入しようとしないからだ。これは、本来、企業を巻き込んで行わなければ根本的な問題解決にならないのに、単に時間をずらして出勤しましょう、と言っても説得力がない。

政府は高度プロフェッショナル制度をついに可決してしまったが、日本の働き方改革というのは、結局は国民をただ疲れさせるだけの改革ではないだろうかと感じている。非正規社員を増やし、残業を増やして、日本国民の弱体化を図っているのではないか、と勘繰ってしまうのは考えすぎだろうか?