夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

木造建築の長所(法隆寺)

2024年04月17日 00時05分02秒 | 歴史
令和6年4月16日(火)

雨だれ

ポト、ポトと雨の雫が心に鳴り響き

気だるさと、開放感に満たされ

心に潤いと、平安が沁みわたり

生命の泉を、どこどこまでも遊泳し

何処に、行き着くのだろうか

このまま、雨だれと共に

全てを、神様にまかせたい




松の簡単な剪定がやっと2本済みました

後5本は厳しい。



隣の家の屋根の葺き替えをしている業者さんが

私どもの紋入りの瓦屋根を見て一度無料で点検しますと言うことで

明日来ることになりました。

最近の屋根はメンテンナンスが不要な材料があるという事で、

施工期間が短くて驚きました。

建坪60坪の瓦屋根は丈夫そうに見えますが、

大国柱が丈夫でないと瓦の重みで家を押し下げます。

遠くから観察して屋根の峯と峯の間の谷の銅版に緑青が出ている事と

鬼瓦の漆喰が痛んでいるようだと言われます。

また最近は瓦の生産はしていないと言われます。

木造建築の弱点は雨に弱いということです。

世界最古の木造建築の法隆寺が1300年程長きにわたり続いてきた所以は、

これまでに何度も修理、修復、再建を繰り返してきた結果だといえます。

又その費用も賄えたと云うことです。

木造建築の長所はこのように鉄筋コンクリート建設と違い

メンテンナンス施工に向いている事だと思われます。

それと古代から木造建築の技術力が優れていたと思われます。




霊感に溢れたヨハネによる福音書
                                                                        
言(コトバ)が肉となった

初めに言(コトバ)があった。言(コトバ)は神と共にあった。

言(コトバ)は神であった。

この言(コトバ)は初めに神と共にあった

万物は言(コトバ)によって成った。

成ったもので、言(コトバ)によらずに成ったものは何一つなかった。

言(コトバ)の内に命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇(くらやみ)の中で輝いている。

暗闇(くらやみ)は光を理解しなかった。



豆畑(半開化の畑)

2024年04月15日 19時24分12秒 | 誌編
魅惑のポピー

待ちわびたポピーよ

魅惑の細い脚線美を風にまかせ

舞い遊ぶ花びらの麗しさよ

太陽の熱きまなざしを受け

喜びに満ちたポピーよ




昨日畑の雑草を刈り取り、畑に雑草を積み上げ
日に晒し乾燥してから始末しようと思いましたが
空模様が怪しくなり、生の雑草を袋に入れました。




豆畑(半開化の畑)

わたしは諸君に、もしできるなら霧があるうちに

すべての諸君の仕事をするように忠告したい

ー わたしの畠の高慢な雑草の列を切りたおし、

その頭に砂をなげかける仕事にかかった。

しかし時刻がうつるにつれて日はわたしの足を焼いた。


・・・・・・・・英国乾草の収穫は克明に計られ、

水分も珪酸塩も加里も計算される。

しかし森や牧草地や沼沢のすべての谷あいや池の隅に

ゆたかでとりどりな実りがあるのだが、ただ人が取り入れしないだけなのだ。

わたしの畠はいわば自然の畠と人為のそれとの中間的存在だ。

ある国々が文明であり、他の国々が半開化であり、

また他の国々が野蛮未開であるように、

わたしの畠は悪い意味ではないが半開化の畑であった。

・・・・・・・・・畠が農夫の納屋をみたすかどうかは比較的に大した問題ではない。

真の農夫は思いわずらうことをやめるであろう。

リスが今年は森で栗が実ろうが実るまいが知らん顔をしており、

一日一日でその労働を終わり、

彼の畠の産物に対するすべての権利を捨て、その心のなかで、

彼の最初の実りばかりでなく最後の実りをも犠牲にしているごとく。

ウォールデンソーロー





京への想い

2024年04月12日 22時26分55秒 | 誌編
令和6年4月12日(金)

雨の散華

見上げては麗しき喜びの讃歌を詠い

はかなくも身を大地に捨てては慈しみを

清らかな生命を無限に生きるあなた。






京への想い

神祭り しんなりと弾く 三味線や


帝の移り香が薫る鴨川に光る燈篭。

清水で清められた坪庭にカラカラと格子戸が開き、

『おいでやす』 としんなり(神成り)と

快い舞妓さんの声

艶かに座る佇まいに煌めくかんざし、

振袖をたぐる白い指先がしなやかにしなり、

『ほなおおきに』 と優しく、

円やかではんなりとした振る舞い、

和み、淡い旋律となり心の奥底に響く、

長閑な平和と、温かい

はんなりとした文化が祇園の石畳みにひろがる。

八坂神社を仰ぐ門前町、いにしえよりの文化が色濃く残る

祇園に倭姫の『神よび』の火打石がひかり、

連綿とした伝えて来た祇園祭り、生活文化、

優しくも、尊さに溢れた上品な京ことば。




自然界の不思議(自然農法)

2024年04月10日 23時26分13秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月日(水)

自然界の不思議(自然農法)

庭の芝刈り、7本の松の剪定を始めました。

去年は庭木の剪定、小さな畑も休耕していましたので大変です。
しかし不思議なことに、休耕していた畑に今まで見たことがない花々が咲き、
植えもしない、肥料、水もやらないのに大きな一本の大根が実りました。
帰省した何人かの孫達がやっとのことで引き抜きました。
孫達には大変貴重な体験でした。
自然界は不思議なものです。



1854年に出版されたウォールデンソーロー作 『森の生活』で書かれた
自然農法を思い出しました。

1854年に出版されたウォールデンソーロー作 『森の生活』
1879年5月16日改変第冊発行 岩波書店
ウォールデンソーローは神秘主義者の『ラルフ・ワルド・エマソン』からも多大なる影響を享けました



芸術・自然・唯一つ心

画家が自然を見てその意義を表現する場合、彼が自然に内在する意義を捕捉することが出来るのは、自然そのものの中に『則ち心的なるもの』があるからである。
自然も決して機械的偶然の物質集合体ではないのである。






肉体的な現象世界を失う事で、かえって心の中(うち)に浄められた 美しいものが目覚めます。

2024年04月07日 21時26分09秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月7日(日)

肉体的な現象世界を失う事で、かえって心の中(うち)に浄められた
美しいものが目覚めます。

今日は半身不随で言葉が出ない、息子の面会日である。
人は当たり前の生活をしていて、
或る日突然にその生活を悲劇的に失う事で、
肉体的にも精神的にも、どん底に追い込まれますが
しばらくすると心の奥底から
きよらかな浄められた精神が目覚め、
周りに清々しい息吹が広がります。
人間の素晴らしい心根です。



心の法則を知るものは運命の自由を得るのである。

心こそ自分である
心ひとつで幸福になれる。
心に輝く喜びの時刻だけを記憶しましょう。
朗らかに笑って、明るく陽気に生きる



天は高く地は低く、
天に太陽輝き、
地に水分潤う。
陽気を受けて、地にものが育つのは
永遠にかわざる真理である。




心に禍を描かない!!

2024年04月05日 15時13分15秒 | 日記・エッセイ
令和6年4月5日

長年冬眠状態のブログを冬眠明けの亀のようにゆっくりと再開します。
3月末で35年勤務した病院を退職の予定でしたが・・・・・
事情により年休を取得して4月末までの勤務となりました。
現在、3年前から隣街に住んでいます。
この街は国の施設が多く桜の木が沢山植えられていて
桜見には恵まれており、家内も喜んでいます。
また全国でも珍しく人口が毎年、着実に増加している街です。
大きな屋敷の旧家が多く、公民館には『和を以て貴しとなす』
の額が掲げられた、保守的な町に住んでいます。
冬眠期間の4年間は世界、日本共々に激しい変化と変貌があり、
困難な状況に置かれていますが、
明るく、希望に満ちた世界が開かれる事を切に祈るばかりです。
そう願われずにはいられません。



心に禍を描かない

『心に禍を描いたら、最初は主観的のみに存在する禍が客観的に形造られ、
禍の渦巻きの中にみずから溺没する』

自分の心をきよめることによって、全世界を浄めることが出来るのである。







形骸の文明である物質文明から精神文明へと導くコロナの教訓

2020年08月16日 17時03分08秒 | コラム・人文
院内にコロナの陽性患者を受け入れ、緊張感が走りましたが、落ち着いてきました。

外来患者さんも新しいシステムに慣れて、

依然の混雑した外来風景が一変し、

人々が整然と行動する節度ある姿に人間の素晴らしさを感じました。

質素な慎ましい生活を育み、

皆が『肉の手』では無く『心の手』で共に携えて生きる『

精神文明』の夜明けだと思われます。

神恩

『因果の法則』の悪い半面で言うと悪い因縁をつくると悪い結果があらわれる。

それを人格化したものが『悪魔』ということになり、

因果の法則の善い半面で言うと善い因縁をつくると善い結果があらわれる。

それを人格化したものが『観世音菩薩』ということになります。

観世音菩薩は人々の心の苦しみなどの響きを観じて

自由自在にその心の姿の通りに顕れて世の中を救いとる菩薩様であります。

観世音菩薩は単なる『因果の法則』、

あるいは『心の法則』のようなものではありません。

それは神、佛が一切衆生、有情非情生きとしいけるもの

ありとしあらゆるものを救いとる『大慈大悲』のおはたらきの一面なのであります。

『因果の法則』・『心の法則』を超越した“今“此処に置かれた場所に『神恩』がある。

悲しみを捨てよ、怒りを捨てよ、憎しみを捨てよ、

そしてみずからを祝福し、みずからを歓喜せよ、そこから天国浄土が実現する。




いかならむ ことある時も うつせみの 人の心よ ゆたかならなむ

                明治天皇御製 明治四五年 御製 『心』



感謝すべき点をさがしたら無数にあるのである。
感謝すべき点を探し出して感謝せよ。



我を捨てること。我こそ一切の不幸の根因である。



潔く生きると云うこと。
潔く生きるとは我と云うものが無くなることである。

かぼちゃのお客さま・・・離れて観ること。思善悪(ふしぜんなく)

2020年07月13日 22時59分45秒 | 自然の育み・環境
この大雨降りしきる時に20mの高さの石垣の上の

住宅の菜園からかぼちゃのツルが降りてきて

実をならせてその蔓の先端がまた上に上り始めました。

かぼちゃの壮大なる旅路であります。


 
離れて観ること・・・不思善悪(ふしぜんなく)

ものを観るのに、即いた観方と、離れた観方とがある、

即いて観るときには、事物の渦中に捲き込まれて却って其の真相を見ることが出来ず、

事物の混乱の中に自分も埋没して苦しまねばならないのである。

自分の眼球もまつ毛も自分では見ることが出来ず、

自分の欠点はよくわからず、

灯台の下は却って暗いのである。

心で苦しみをつかめば苦しみがあらわれる。

苦しみは自分自身で仮に顕している姿に過ぎないのである。

そのような苦しみのときにどうすれば好いのであろうか!

親鸞上人の『善悪総じて存知せざるなり』の境涯になり切ることである。

雲の中にいては入道雲の美しさはわからない

父や母や、夫や、妻や、子や、嫁やの美しさが見えないには離れて見ないからである。

宗教的な観方は芸術家の観方の如く、

すべてを離れて観ることによって、

どんなものにも神の生命の生動せる美しさを見出し、

『不思善悪』の境涯に達するのである。

『注』
不思善悪(ふしぜんなく)・・・不思善不思悪(ふしぜんふしあく)善悪の二つを脱して、
唯一絶対の念(こころ)に住すること。



子の愛は母の愛の反映である。



清くしてしかして美しき

わがマリアよ

おん身はかって

ルルドの聖泉の岸壁に

きざまれし黄金の

三輪の薔薇の花を踏んで立ちし

聖母マリアか

わが愛は汚れたれども

君にふれなば

たちまち清まりぬ。


軽やかな心・・・今のほかに時はない!

2020年07月04日 15時19分18秒 | コラム・人文
スーパーの入り口に七夕が飾ってあり、

そこに小学生達が立ち止まって備え付けの用紙に嬉しそうに願い事を書いていました。

子供たちの『今、此処の場所』で止まり素直に軽やかな心を表現している姿にひかれました。

年を重ねるにしたがい沢山のものを背負い、

それに引きずられ、『今』立ち止まって

素直な気持ちを軽やかに表現することを忘れがちであります。

県内随一の小野平野も田植えが終わり素晴らし田園が広がっています。

夜は『カエル』の大合唱であります。


院内も落ち着き患者さんも増えてきました。

コロナウイルスの時代への対応で

新しい検査室のシステムの構築等が進んでいます。

時々新型コロナウイルスの検体採取がありますが、

当院もとうとうPCR検査用の検体採取を

ドライブスルー方式で始めるようであります。


『今』を、全力を出して戦いとれ

今出来ることは、今出来るのであって、

ほかの時に出来るかどうかはわからない。

今の出来ることにぶつかれ。

『今』をあなたの思うままに占領せよ。

そこから未来の展望がひらけて来るのだ。

吾々は過去を動かすことは出来ない。

吾々は『今』という媒立を通さずには未来を動かすことが出来ない。

だから、吾々がもし過去のことを嘆いたり、

未来のことを思い煩わったり、

あらゆる種類の心のアセリを解き放つことが出来ないならば、

それだけ自分の『今』に集中すべき生命が浪費されるほかは無いのである。

自己と神と人との関係を信頼しなければならない。

それは仕事の三昧であり仕事の遊戯化である。




心が変われば制度も組織もおのずから変わる。制度も組織も人間がつくったものだからだ。



花はひとりでいきるのではない。根から養分を与えられて、生かされ咲かされているのである。
人間も亦その通りである。



 『何を食い何を飲もうと思い煩うな』  『口より入るものは汝を穢さず、却って口より出づる言葉汝を穢す』
                                             イエスキリスト


 


愛と献身は永く耐え忍ぶ・・・・・論争の彼方に(汝等の敵を愛し、汝等を責むる者のために祈れ)

2020年04月29日 01時17分11秒 | 真理の言葉
緊急事態宣言が地方にまで浸透して来ました。

街も車が少なくなり、パチンコ店、カラオケ店等も閉店しています。

院内に入るには体温測定が始まり、

外来者が急激に少なくなりました。

是ほど静かな院内は今まで始めての事です。

先日はガス滅菌消毒機械の定期点検でしたがメーカーの担当者が

マスク、ガウン等をガス滅菌消毒して再利用出来るのかの問い合わせがあるそうです。

戦艦武蔵を建造した長崎港の香焼の岸壁に

二隻の豪華客船が入港しており、沢山の陽性者が出ています。

スタッフが来月に長崎の大学病院に入院の予定ですが影響をうけるようです。


今月は母の一周忌でありましたが、

コロナウイルスの影響で法事を取りやめ

菩提寺の本堂で塔婆供養を享けました。

住職曰く『檀家の法事が殆ど来年に延期になりましたと!』

お寺さん、先祖さんも影響をうけているようですよ!



純粋の献身について

眠れる者よ起きよ、死人の中より立ち上がれ、

然らばキリスト汝を照らし給はん。
              エペソ書第5章14節

『神よ、もし貴方がこの困難から、私を救い出して下さるならば、私は貴方に命を捧げます。』

というように苦境に追い込まれた時、瞬間に神に献身するということは

内心の何処かに取引をするような考えが動機となっていることがある。


純粋なる神への献身は冷静な、感情を混へない思慮判断の上に立つ精神的行為であって、

むしろ平静な思慮が、感情の爆風によって晦まされているような感激の堆積や爆発以上のものである。


魂の訓練として、真の献身が行なわれる時には、

如何なる人の生命をも、完全に生まれ更らせてしまい、

全然、新しき価値判断を彼に与え、

それによって彼は古い絆と悪しき習慣から解放されることになるのである。


『パウロ』は心が新しくなることによって、

全く新しき人に創り更へられる事実に就いて、

聖書の至る処に書いているのである。

汝の敵を愛せよ

『されど我は汝等に告ぐ汝等の仇を愛し汝等を責むる者のために祈れ、

これ天います汝らの父の子とならんためなり』

愛にも属せず、憎しみにも属せず中間を行く者は

片足を『愛』に、片足を『憎しみ』に置いて生活する者は

愛にも憎しみにも秋波を送って、そのいづれにも縛られるのである。

彼等は地獄にもいないし、

天国にも居ない。

彼等は宙に迷っていて煉獄の中に棲むのである。
 
愛は永く耐え忍ぶ

愛は忍耐である。

嫉妬する敵を、愛をもって接すれば、『嫉妬』は『感謝』に変わるのである。

人の中にある『悪徳』は、充分なる愛に晒される時、『善徳』に変貌するのである。



『光は暗黒に照る。しかして暗黒はこれを悟らざりき。』



『汝の信仰、汝を救えり、安らかに行け。』



『愛』は何人にも悪意を懐かず凡ての者に対して、寛大であり恵み深い『善意』である。







忍辱(にんにく)の功徳・・・・・共に苦難に耐え忍び、がんばりぬくという忍辱の功徳によって災難から逃れる事が出来ると言われています。

2020年04月11日 20時27分37秒 | コラム・人文
廻る廻る季節に万朶の花を咲かせ、風と共に散りゆく。

初々しい若葉が芽生え葉桜と変化し、変化無常である。

その変化無常の奥に一枝に永遠の歓びを托す桜の真心。


東京に息子と娘が生活していますが居酒屋に勤めている息子が5月6日まで休業だと言っています。

経済は人の動きで生みだすものですが、コロナウイルスの出現で

経済的損失と尊い人命の損失が天秤にかけられています。


人間は自然界の生物、植物、鉱物等と置かれた場所を侵さない限りにおいて共生していますが

互いに動物と動物、植物と植物、細菌とウイルス等においても同様なのではないでしょうか。

無意識のうちに互いの領域を侵し、互いに損失を被っているように思えます。

人間、動植物、細菌、ウイルス等が互いに尊重し合い調和することが大切な事と思われます。

此のことによりアンビバレンス的な状況が改善され、

経済的な損失を被らず人命の尊重が守られるのではないでしょうか。

アンビバレンス・・・愛と憎しみなどの強い感情が同時に存在すること。
           同一の対象に向かって、相反する心的態度。


肥沃な土地で蒔かれた種は速やかに生長して美しい花を咲かせますが、

厳しい土壌に蒔かれた『種』は忍耐強くその土壌に堪え忍び、

打ち勝つ以外には美しい花の『種』は枯れてしまうのです。

花を咲かせる為には『愛』という肥料を与える努力を必要とします。

それにはたゆまない『忍耐』が必要であります。


最大の修養は『六波羅蜜』(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧. 布施)の中でも

『忍辱』が第一と言われています。

柔和忍辱心の功徳によって災難から逃れる事が出来ると言われています。

(法華経法師品第十)

柔和忍辱心(にゅわにんにくしん)・・・温順で怒らず耐え忍ぶ心。


弘仁9(818)年の春 弘法大師空海の勧めで嵯峨天皇は

一筆毎に『三寶禮』の真を尽くして御清書なされました

般若心経の写経と空海の祈りにより、満願を迎えずに奇蹟的に疫病が収まりました。

その嵯峨天皇の般若心経の写経は

真言宗大覚寺派大本山大覚寺(京都市右京区)に保存されています。


弘法大師空海は色々と人間味ある人生問題の相談に応じていたようです。

上司との折り合いの相談。(上司を諫めるか、従うかの否か)

昔も今もそうですが、忌憚(きたん)なく善悪を言って人を諫めるような者で、

その家が栄えたためしはありますまい。・・・・・・

それでもなお正義をつらぬきたい人は黙っていられないのです。

道理を通して諫めてしまうのです。

他人を直接いさめることが尊いのは、悪い行為をやめさせて善業に導くからであります。

けれども菩薩が心がける大切な徳目の一つに 『同事』というものがあり・・・・・

仏・菩薩が人々を救済する為に、本来の智慧の光を隠して世にあらわれ、

煩悩の塵にまみれながら人々を仏法に導くというものです。


同事・・・衆生と同じく仕事にたずさわって衆生を救うこと。

弘法大師空海 般若心経秘鍵



神は人間が浄まり、善美なる本性の顕現するのを希望される。


一人一人の生命が失われると云う事は 掛け替えのない尊い神の無限の表現体を失うことなのです。・・・新型コロナウイルスと環境問題

2020年04月04日 20時34分44秒 | コラム・人文
自粛によりめっきり朝の通勤は車が少なくなりました。

コロナウイルスの検体採取が徐々に増えてきていましたが。

此の地域にもついに陽性患者が出ました。

ガス滅菌消毒の部署であるが為にスタッフも緊張感が広がっています。

病棟も面会制限から禁止になりました。

いつもの喧騒が無くなり、静かな院内となっています。


新型コロナウイルスと環境問題

新型コロナウイルスの蔓延の影響が世界的に広がっていますが、

その裏で劇的に地球環境が改善されているようであります。

人の行動等が制限された為に自家用車、飛行機、観光用のバスでの移動、

また工場、商店、飲食店等の生産、経済活動等が制限された結果だと思われます。

一番の影響は個人の自家用車なのではないか思われます。


人の行動等が制限されると二酸化炭素が軽減されると云う実証でもあります。

温暖化と叫ばれる昨今でありますが、美しい霊峰富士山と讃えられる為には

人間の身近な一人一人の行動が大変影響していると思えます。


団塊の世代である吾々の青年時代は、経済発展時であり、

京浜、横浜等の工場地帯等の煤煙、車等の排気ガス等により

空にスモッグがかかり青空が見えなくなりました。

しかし東京地区にディ―ゼルエンジン車の乗り入れ等の制限を課したり、排気ガスの規制等

様々な環境への負荷を改善することにより東京から富士山が見えるようになりました。

今まで環境の保全の為に化石燃料の削減、自然エネルギーの活用等色々な活用を進めて来ましたが

今程、世界的に大気が改善された事は始めてではないでしょうか。

人の活動を自粛、制限する事で、今までは得る事が出来なかった

環境の保全に効果が有ることが実証されたことになります。


このように人間が行動する時に身近な事柄に 

適切に不可をかけると環境保全の効果が劇的に改善されると思われます。

環境問題だけではなく自ら進んで、謙虚に身近な目前の問題に対して

適切に迅速に行動することが大切な事であります。

此の事が他に利益を与え、ひいては自分自身の幸せにつながると思われます。


神は人間を萬物の霊長として、

天地一切のものを霊的に支配する権能を与え給うたのである。

それゆえに、如何なる物も、人間が義しき心をもって生活し、

他を害する心を起こさない限り、自分が害されるということはあり得ないのである。




形は商売であっても『儲ける』目的の商売と『奉公』の目的の商売によってその成敗が分かれる。



あなたの家の幸福は、まことに貴方の和顔と愛語とにあるのでございます。






『自粛』と『依存性』と『真の自立』・・・日本民族の理想(暗雲と混乱と騒擾を消し去るために)

2020年03月31日 22時18分07秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
『自粛』を辞典で調べると自分で自分の身を慎。

自分から進んで、やり方をつつしみ、気をつけること。

と書かれています。


日本は周りを太平洋、日本海、オホーツク海などの大海で囲まれた地理的な条件により育まれた、

歴とした海洋民族であります。

古代では安曇族等の海人族の活躍が盛んでした。
                                                             
山の神と海の神が互いにその独自性を維持しながら共栄してきました。

高天原の神々である天之御中主大神、伊勢神宮の祭神である天照大御神などの『天津神』

それに対して国神、地祇、地神、出雲大社等の『国津神』。

『天津祝詞』に・・・・・・・天津神(あまつかみ) 国津神くにつかみ) 八百万の神等(やおよろずのかみたち) 

共に 天の斑(あめのふち) 馬の耳(こまのみみ)振立て 

聞召せと畏み畏みを白す とあります。


このように日本の神々は天之御中主大神に帰一して、共に協力し穢れを祓い清めてきた歴史があります。

幽の幽なる哲学的な隠身(カクリミ)である最高の元始神である天の御中主神を頂点として

天照大御神『皇尊(すめらみこと)』、そして八百万の神々が丁度富士山の頂上から優雅に広がる裾野のように

一切のものを一つに和融して美しい大調和に満ちた秩序ある世界を創造したのが日本国であります。

このような美しい大調和の理念、元に帰一する秩序ある理念を享け継いだのが日本民族です。

バラバラの団子を串に刺すと一本になるように皆が一体となって

美しい調和に満ちた思いと秩序正しい行動をして行くならば

『未知のコロナウイルス』によって広がっている暗雲と混乱と騒擾は消えて去ることでしょう。


依存性について

依存性にも色々なパターンがありますが、自閉的といわれている頑固一徹、

または自立的な生き方を目指している人でさえも

内的な潜在意識には常に依存の要求を満足させている。

それは、自己の信念、心の故郷、神への志向、愛の対象への執着、甘えであったりします。

依存は愛の裏返しでもあります。

自分自身が依存の対象を喪失すると心の平安を失います。

それ故に対象への依存に執着します。

そこから様々な苦しみ、悩みを生じます。

大切なのは外界の世界に真実を求めるのではなく、

自分自身の内に既に存在しているなる無限なるもの、

絶対的なるものである『神』・『久遠の仏』に絶対的に依存することです。

言い換えれば心の内に存在している相対を超越した

絶対的な他力(依存)を信じることであります。

端的に言いますと『自分の内なる善』を信じることであります。

これが外界に依存しない真実の自立であります。

これにより大調和に満ちた安穏の世界が顕れることになります。


時間的な言語をもって表現すれば人間は『今・則久遠』の存在である。

空間的な言語をもってするならば 『有限即無限』の存在であり、

有限の自己をあらわしつつ阿弥陀の本物がいまここに生きてあるのが自分である。




神の善はわが内に在り。



























 

恐怖の感染・・・『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

2020年03月28日 11時39分44秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
私共の病院にもついに、新型コロナウイルスの疑いで診察に訪れる人があらわれて来ました。

しかし皆、陰性であるようです。

感染の終息を祈るばかりです。



『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

家庭で、赤ん坊や幼児が感染症に罹患したらうつらない様に近寄らないようにし、

他の人に迷惑にならないように外出を控え自分の部屋に閉じこもるのである。

しかし心の中に巣くう恐怖や動揺、心配や憤慨等の悪感情を起こした時

それが感染しないように自己を隔離したことがあるであろうか!

これらの感情は言葉や行動で表現しないでも

周囲に感染するのであることを考えたことがあるであろうか。

恐怖より開放されるための道はただ自己の真実の自我を知ることである。

この自我を知るためにはイエスがマタ傳第5章で述べた如く

『然らば汝らの父が全きが如く、汝らも全かれ』

・・・・『あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい』

若し吾々が、神を呼ぶにせよ、神は呼ばないでも、

神は常にましまして我らを護ってい給うということを信ずるならば、

この世の中に何一つ恐怖すべきものは存在しないのである。



ある校内第一の優れた女性教師がある日生徒たちの両親から

苦情がきて生徒も勉強に興味を失い、

教室にもいる事を嫌がるようになっていました。

今や辞職を勧告されるようになったのです。

それは彼女の内に秘められていた怒りと反抗と失望と不信と未来の生活に対する

陰気な想念感情の恐怖が知らず知らずのうちに生徒たちに感染したからです。

しかし彼女は自分自身が自分に与えている害、

そして愛する生徒達に与えている害に気がついていなかったのです。

彼女はカウンセラーの助言をうけたのですが

彼女の人を排斥する感情は中々消えなかったのですが

心の訓練を継続していく中で

やがて排斥の心が素直な心に置代わり、

赦しと理解の心が憎しみの心と置き代わり、

神の愛に対する信仰が彼女の恐怖を克服したのです。





決断とは何かを捨てると云う事である。



才智ばかりで小細工する者はついにその才智に翻弄されて自己が崩れさるであろう。







新コロナウイルスと日本の民族性

2020年03月22日 00時19分07秒 | コラム・人文
まだこの地には患者が出ておりませんが。

私どもの病院でも、新コロナウイルス患者の受け入れの準備しております。



今まさに、新コロナウイルスが世界を席巻している。


この様な危機的なる時にはそれぞれの民族性が発揮される。

日本の茶事の食事の時には御膳、食器、箸も別々であり、

抹茶を頂くときにも茶碗を各々に回しますが

その際には懐紙で飲み口をふき取り相手にまわします。

人と人の距離間があり、相手を意識し、恥じらいが強い民族性があります。

神道にも穢れを忌み嫌いことがあり、それを浄める『禊の心』があります。

このような民族性が衛生面でもこの様な危機的な時に

発揮されているではないかと思われます。



また子供の姿は親の現身といわれていますが。

未知の新コロナウイルスの症状の特徴が最終的には

肺が冒され息苦しい症状が現れると言われています。

今世界を支配している風潮が人間の頭脳的な知恵で進歩してきた倫理観、道徳観で縛られた

息苦しい空間であるように思われます。


未知の新コロナウイルスの息苦しい症状が現代の風潮の現身のように観じられます。



もっと心を広く、広くして、

日本の精神である『和をもって尊し』のように寛容な心を持ち、

お互いに赦し、尊ぶことが肝要であります。



人間同士だけではなく、宇宙に存在する、

自然、動植物、細菌、ウイルス等に対しても同様であります。


なぜならすべての存在は創世記第一章に示されている

『初めに、神は天地を創造された。』とあるように


すべての存在は神が創造されたのであるが故に

宇宙に存在する、動植物、細菌、ウイルスと

吾々は同根であり一つの生命体であるからです。


一つ一つの外形に就き、それを善である、悪であると

形によって決めることは出来ないのであります。

善を形の上で判断するよりも、善の本質に入って判断しなければならない。

唯一の善は神のみである――善の本質は神なのであります。

人間の生命は『神の生命』が種から伸びて花が咲くように

咲き出でたのであります。

だから善は神からの賜物であります。







人間は霊的存在である。



本に報い始めに反る。