夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

日本民族のオリジナリテイー・・・・・君民一体の『ムスビの心』

2019年11月04日 18時40分59秒 | コラム・人文
先日『ノ』の意味を辞典で調べていると直ぐ横に『ノアの箱舟』の記載がありました。

日本は古代から地形と気候条件により、長い歴史の中で常に治水という問題と戦って来ました。

自然界で偉大な力をもっている水の問題は

土木技術が進んだ現代社会では

一見安全だと思われていて、忘れがちになります。

以前は山や川と向き合って厳しい生活をしていました。


現代では電車から勤務先、また車から自宅へと

山や川と出合う機会も薄れ、

気象状況もメデア等に頼り、

身近な山や川の四季の移り変りや気候の変化にも鈍感になりました。

都会では川も暗渠化され、川が何処にあるかも知らない人が多くなりました。

水の力がどんなに偉大な力をもっているのさえ忘れています。





日本民族のオリジナリテイー


神話を含めると今年は皇紀2679年になります。

このように皇統が長い間引き継がれているのは世界で稀なことであります。

先月22日に『即位礼正殿の儀』が行われ、

外国からも沢山のお客さんが招かれました。

そして儀式が始まると雨雲の間から太陽の光が射し、

皇居近くに虹が出ました。

まさしく皇室の祖先神であり、

太陽神といわれている『天照大御神』の顕れであるかのような光景でした。



天照大御神が祀られているが伊勢神宮であります。

最も古い、最も新しい、久遠の今を生きているのが伊勢神宮であります。

そして今上天皇陛下の国民に寄り添う『大御心(おおみごころ)』が

2679年引き継がれているのです。

吾々国民が『皇尊(すめらみこと)』の此の『大御心』を長い歴史の中で仰いで来たのです。

これが君民一体の『ムスビの心』であります。

この『ムスビ』の原理はキリストの『愛』であり、仏陀の『慈悲』でもあります。

『ムスビ』は単なる愛ではなく、日本書記ではムスビを産霊(むすび)と書かれています。

『産み出す霊』と書かれているのは

丁度『モチ米をむす』と上昇する陽である『火の力』と

穏やかに潤う陰の『水の力』がムスばれて美味しい『餅』が出来ます。

この『ムスビの原理』がものごと産み出す『創造の原理 』であります。

このように『陽』と『陰』が仲良くむすばれると

家庭が整い、国が正しくなり、世界の平和というものも此のようなことから生まれてくるのです。







幸福な表情を与えよう!




夢の翼に乗るとき老いも若きも向上し、若返る。





最後まで忍ぶ者は救われん。・・・ イエスキリスト



平和への道と民族のオリジナリティー(originality)

2019年09月08日 11時14分20秒 | コラム・人文
置かれた場所で毎年、素直で清らかに穏やかな顔を見せる朝顔。

人間も国もこう在りたいものです。



神より与えられた場所で自立自存の気風を保持して、

民族のオリジナリティーを失わず、その外径より新しき芽を出し

そして自由闊達に隣人に対して献身的な愛の広がる建設的な道を見出すことが、

互いの利害と衝突しない穏やかな平和の道を歩むことが出来るのではないかと思えます。


神が或る土地に或る

独特な文化を持った民族を生み出して

国を建てさせた以上、その民族には使命があるのです。

強国があらわれて、一時どんなに圧迫したり、

武力を持って征服したりして、自国の属領にしてみて、

どうしても、永久にはそれは属領にはならないものです。





仁徳天皇のお歌に
   それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり


外国の ふねつどへり 四方の海 なみしづかなる としのはじめに
    
御製 明治天皇 明治36年

 
あらたまの 今年を千代の はじめにて いやさかゆらむ 伊勢の杉

昭憲皇太后最後のお歌 大正3年





世界に生き残っている生物は、皆な周囲と調和し得た生物のみである。





萌え出る若芽を愛せよ。その生き生きとした汚れない様をみて、自分の心とせよ。




自力に行き詰ったとき、他力に目覚める。







初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・最終回 (菩提と涅槃と彼岸)

2019年08月19日 21時08分21秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
心の精進は瞑想(禅定)であり、

瞑想も色々とありますが要するに

明るい積極的な想念と、天と地が一直線に結ばれているように、

正しい姿勢が保たれれば自ずから

正しい思い、

正しいことば、

正しい行い、

正しい態度がとれ、

身体も健康が保たれるものです。



菩提と涅槃と彼岸


私たちは、菩提心という、仏陀に向かって進む心を、迷いの人生の夕暮れに発(お)こし、

心の真の自由と平和、仏教の最高目標である『涅槃の境地』を、

悟りの朝に仰いで生きて行こうではありませんか。

そうしなければ、どうして、淼々(びょうびょう)とした広い

この生死の海底から抜け出て、蕩々(とうとう)として

広大な法身(みほとけ)の世界に昇りつくことができましょうか。


生死海を乗り切るためには、彼岸に至る六つのおこない(六波羅蜜)と

あるいは八つの正しい生き方である(八正道)という大船に乗り、

つとめはげみの(精進)という橦(ほばしら)を立て、

心のしずけさの(禅定)という颿(ほ)をあげて進みましょう。

前途には多くの障害や抵抗がありましょうが、

たえしのびの(忍辱)の鎧(よろい)を被(き)て、

群がる賊をたおしていき(知恵)の剣で威力を示していきましょう。

さらに悟りにいたるための修行である(七覚支)という馬に策(むち)を当て、

人々の溺れ惑う曠野(こうや)を速やかに踏み越え、

世俗を超えるための修行である『四念処(しねんじょ)』という

輪(くるま)に乗って、俗界を高く乗り越えて進みましょう。



六塵(色・声・香・味・触・法)の世界はすべて無常であり、

人々を溺らせる迷いの海であり『常・楽・我・浄』という四つの徳性を備えた涅槃の境涯こそが、

彼岸にそびえる目標の岑(みね)なのです。

                               三教指帰・・・ 弘法大師空海


 
『注』

六波羅蜜・・・布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵

       布施・・・財施・法施・無畏施(恐怖を除き安心)などを与えること。

       持戒・・・戒律をまもること。

       忍辱・・・苦難に堪え忍ぶこと。

       精進・・・真実の道をたゆまず実践すること。

       禅定・・・精神を統一して、安定させること。

       知恵・・・真実の知恵を得ること。

八正道・・・正しい見解・正しい思い・正しいことば・正しい行為 

      正しい生活・正しい努力・正しい気づかい・正しい精神統一

精進・・・努め励むこと・善をなすのに勇敢であること。

七覚支・・・択法覚支・・・教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てる。

      精進覚支・・・一心に努力する。

      喜覚支・・・真実の教えを実践する喜びに住する。

      軽安覚支・・・心身を軽やかに快適にすること。

      捨覚支・・・対象へのとらわれを捨てる。

      定覚支・・・心を集中して乱さない。

      念覚支・・・おもいを平らかにする。

四念処・・・思念処観の略。心の存在を構成するものを如実に観ずること。

      ①身を不浄、②受を苦、③心を無常、④法を非我なり、と観ずること。

菩提心・・・さとりを求めて仏道を行なうとする心。さとりを求めて世の人を救おうとする心。

      さとりへ向かう心。発心すること。聖徳太子は『直心』と説いた。

六塵・・・色・声・香・味・触(ふれられるもの、感覚器官)・法(思考の対象)

     人身にいって本来清らかな心をけがすから塵という。

常・楽・我・浄(じょうらくがじょう)・・・永遠であり(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)。

涅槃・・・まよいの火を吹き消した状態。
 
     安らぎの世界





自己の心を支配せよ、一国の支配者よりも偉大なる者である。





すべてのものを善きものと知れ。




天の愛と地の愛と。父の愛と母の愛と。天の気と地の気とがそろって萬物と私達は育成される。

初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の2 (涅槃への道程のヒントがある。)

2019年08月18日 18時18分13秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
煮えたぎる灼熱の暑さのなかにも

爽やかな風が吹きぬけ一抹の涼しさを覚えます。


弘法大師空海の24才の時に著した三教指帰(さんごうしいき)を読みかえしていますと、

今から1200程前に書かれた著作でありながら現代社会の諸々の姿が映し出され、

末法の時代である彷徨う現代社会の姿をまるで予言しているかのようであります。

また現代を生き抜き、涅槃への道程のヒントが隠されています。


私たちの行いが善くない場合には地獄に堕ちて、

牛や馬の頭をした獄卒の残虐な仕打ちで報われますし、

善い行為をすれば、

金銀で造られた楼閣のある甘露のような天国の生活が授けられるのです。

これは私たちの心次第であります。

決してはじめから天国や地獄が定まった所にあるわけではないのです。

私も以前には、あなた方のように心を離れたところに

天国や地獄があるのかと思っておりました。

ところが先頃仏教に出逢うことができて、永い迷いから目が覚めたのです。



生死海の賦


生死の迷いの世界とは、まさに大海にもたとえられるものであります。

海の鳴動は磕々(かいかい)と霆(いかずち)のように鳴りひびき、

来る日も来る日も絶えず轟いており、轔々(りんりん)と雷のつんざくように震動して、

夜な夜ないつも充ちています。

ここには多くのものが累(かさ)なり積り、

もろもろの品々がおびただしく叢(あつま)っています。

それゆえ、あらゆる怪奇も育まれ、あらゆる詭詐(いつわり)もここには存在しています。



魚類を見れば、彼らはみなむさぼりの心があり、

いかりの心があり、ひどいおろかさがあり、かつ慾深い生活をしています。

魚には、長さ数千里もある鯤(こん)のような大魚がいます。

かれらは海中をわがもの顔で泳ぎまわり、

鰭(ひれ)を挙げ尾を振り、大口をあけて食べ物をあさっています。

大魚たちが波を吸い込む時には、

欲をはなれて彼岸へと目指す『離欲号』の船も『ほばしら』をくだかれて沈められ、

海の藻くずと消えていきますし、彼らが霧を吐く時には、

『慈悲丸』の大船もかじは折られ、人はおぼれて、無残にほろんでしまいます。・・・・・・・

その他、鳥類、獣類など生死海にあるすべての生き物が、

本能のままに快楽を求めて他をかえりみないありさまを見てきましたが

彼らは、上はこの世の頂上の有頂天から下は最下の無間地獄にいたるまで、

櫛の歯のように並び住み、家並みのようにびっしりと並び棲んでいます。


真の心の安らぎを求める人々は、在家信者の守るべき五つの戒『五戒』、

同じく在家信者の十個の戒律『十善戒』という手押車を使って

迷いの世界を乗り越えようと努めますが、

悪の力に引き戻されて、摩鬼の住む郷に陰々・軫々と引き寄せられてしまうのです。

これでは生死の大海はとても脱出できません。

                          三教指帰・・・(生死海の賦) 弘法大師空海






感謝の心は生命に油を差す。





人間も苦労するほど花が咲く




憎みや怒りは生命の摩擦である。摩擦は生命の浪費である。

 

初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の1

2019年08月17日 20時14分04秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相


今年は母の初盆なので菩提寺より棚経の連絡があり、

送り火の十五日の当日は台風接近でしたが、小雨程度の天気でした。

子供達は台風を避けて、前日にそれぞれに帰りました。

今年の棚経は住職の御子息さんで、

二十年程前の初々しい若いお坊さんの時は

塔婆を優しく抱き戒名を勧請され、感動したことを思い出しました。

百ヵ日法要の塔婆を持参され初盆を兼ねてのお参りとなりました。

今は堂々たる風格で、丁寧に勧請され

お経の読誦と木魚を叩く姿も大変すばらしかったです。

帰り際に五日後の『施餓鬼供養』の案内をされ次の棚経へと行かれました。

帰りに足下を見ますと雨天用の雪駄があることに初めて知りました。

外には運転手さんが待っておられました。
 
無常の賦

十二因縁という、人生を織りなす連鎖によって、

私たちの心は、猿が欲望のままにとびまわるように、

いつも無明(まよい)によって動かされています。

また、四苦・八苦の苦しみによって

私たちの心の奥はいつも悩まされ続けているのです。

燃えさかる三毒(むさぼり・いかり・おろかさの三つの根本煩悩)の

爓(ほのお)は、昼となく夜となく燔(も)え続け、

鬱蓊(うつおう)と茂る百八の煩悩の藪は、

夏といわず冬といわず茂りに繁っています。


万条の位の人の、宝のような姿も、

死後はただ一条の野辺の煙とともに

大空へ舞い昇っていきます。

千の嬌(なまめ)かしさの妙なる姿態も、

腐れ爛(ただ)れた身体になってしまえば、

だれがそのようなものに近づきましょうか。

無常という暴風は、神仙さえもようしゃしませんし、

精魂をうばう、どうもうな死神は、

貴賤(きせん)の身分などまったく区別しないのです。


墓所に生い茂る薜蘿(つたかずら)だけが

死後の私たちを覆う日常の飾りなのです。


あかつちを塗った堂宇(たかどの)や、

白壁の邸宅(やしき)はいまあなたが仕合せに住んでいますが、

これから永く続いていくわけではないのです。


人々の尸骸(しがい)は草の中に爛(ただ)れ果てて

もとの形を留めませんが、

神識(こころ)は裁かれて地獄等へいき、

そこで沸えたぎった大釜で煎られ苦しめられ、

自由などまったくききません。

恐怖におびえる人たちの哭(な)き叫ぶ声が

毎朝、朝がくるたびに大空にひびきますが

なんの反応もなく、毎夕、夕方がくるたびに絶望だけが残っています。


閻魔大王に頼んでも少しもきいてくれませんし

妻子を呼んでみても、もはや死後の自分にはかまってくれません。


嗚呼、何と苦しいことでしょう。

何と痛ましいことでしょう。



私たちが生きている間に正しい道に向かって努力しないと、

こうした地獄の苦しみ、辛さに会うことになるのです。

生きている間に勉め励みましょう。

光に向かって勉め励みましょう。

        三教指帰・・・(無常の賦) 弘法大師空海



春の花はやがて枝の下に散り、
秋の露ははかなく葉の上で沈(き)えていきます。




人生はすべて仏の光を浴び
仏に向かって歩むところにその意味がある。

個人の運命について・・・あなたの運命の彼方は如何に 其の1

2019年08月04日 22時45分45秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
浜辺のユリ


中学生の時8K歩いた海岸への遠足地。

断崖に群がるユリの想い広がる。

鳥居の足下でしなやかに揺れ、

遠くの岩礁に海鳥が羽を休め、

ゆっくりと穏やかに打ち寄せる小波。

遥かに広がる白い雲、青い空、蒼い海。



真夏日の障子紙の張り替えに挑む

先輩曰く

この真夏日に障子の張り替え‼

普通は涼しい11月頃だろう❕



先日先輩と仲間たちで道場の障子紙の張り替えに挑戦。

何十年前に張った障子紙に水をかけただけで簡単に剥がれました。

やはり職人が張った障子は素晴らしい技でした。



個人の運命について


宿命とは、過去世の宿業の集積の総決算として現れて来るのです。

此のことが吾々個人の運命の半分を決定しているのです。

宿業と言いましても、宿業は現れている一切の存在は

心の想いに起因した結果でありますから

過去世から現在までの念業である『身業、口業、意業』の三業の集積であります。

吾々の個人の運命は各々が産声をあげた時から、

どのような運命を背負うべきは決定されているのです。

寿命なども大体決まっています。

しかしその宿命は心的な存在で形成されたものでありますから、

現在の心の良し悪しの如き心境、正邪によって修正されるのです。



『注』
『身業、口業、意業』・・・身に行いことと、口に言うことと、心に思うこと。

この三つで生活活動が尽くされる。

あることをしょうと意志するのが意業。

それが身体的行動に現れるのが身業。

言語表現に現れるのが口業。

これを三業と言う。





一切の存在の本質は理念である。



自己の願いを大生命にゆだねよ。大生命は無限力である。



不慮の死といえども、摂理の手から見れば不慮ではない。



宇宙の何処にも損得はないのである。


人生の主人公となる為に・・・其の3 霊的な大生命(神の世界)は創造する力そのものである。『私たちが他を害しない純粋な願い祈りは叶えられるのです。』

2019年07月29日 23時51分25秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
博多の小学校の先生である次女は6年生のクラスの様々な問題を手本通り、

思い通りに計らう事から厭離することが出来たようです。

夏休みは九州大学に留学している生徒を家庭に宿泊させ、。

また親子で、外国にホームステイして

現地の先生の授業を受け外国語(英語)を学ぶようです。

本来の夢の実現に前向きになり、明るさが戻ったようです。



人は描いたもの中で神の御心にあったものが実現する。

今与えられているものが神の御心である。

どんな些細なものでも神の賜物として享けよ。

そこから新たなる出発が始まる。

此のことが肝心である。



神は善そのものでありますから、

よろしきこと明るい想念、

積極的な前向きな行動は神様の御心と波長があうのです。



至る処に新しき生命は生み出され、

古き生命の姿は変化しているのである。

私たちはこの尽きることのない創造性が発現して、

常に新たなる向上の世界へと変化し進歩している大生命に住んでいるのです。

私たちが生活している大生命の世界は

常に創造性が生み出されている叡智体そのものです。

大生命の心は本来無相であり、

それ故に吾々が想うがままに、応じる創造的な力であるのである。

だから吾々の心に念ずる想念のままに、物事を創りだすのです。


私たちが思考している時、

宇宙霊(神霊)が私たちを通して考えているのです。

私たちが他を害しない純粋な願い祈りは、

必ず大宇宙の霊に印象せしめられ、

私たちが見える世界に現れることになるのです。



新しい天と新しい地


わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・

神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、

その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。

もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。

最初のものは過ぎ去ったからである。

・・・すると玉座に座っておられる方が

『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また書き記せ。

これらの言葉は信頼でき、また真実であると言われた。

またわたしに言われた

『事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。

初めであり、終わりである。

渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。

わたしはその者の神となり、その者はわたしの子となる。


                         ヨハネの黙示録二十一章 1~7




過去を捨てよ、あなたは『今』生まれたのである。

どんな悲しいことがあったにせよ、それについて思い煩うな。

どんな苦しいことがあったにせよ、それについて嘆くな。

『今』天地は一新したのである。

『今』この新しい天地に生きているのである。

『今』 日日草は喜びに満ちて輝いている。

この花よりも尊く美しいのが人間である



善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

2019年07月28日 10時06分54秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
道場の祭壇がある部屋の障子を張り替えたいが

この部屋で作業をしてよいかどうかを尋ねられました、

そのくすんだ障子の側に行って見ると、

障子の外からなにか霊的なもの感じました。

その障子の外は駐車場があり崖の高台からの気配のようでした。


翌日その崖の周辺を回って、調べていますと周辺の土地の因縁が解ってきました。

この辺りの丘を『善根の辻』と称し、熱心な信仰の場所であったようです。

もともとこの変一帯は西郷氏が治めていたのですが

筑後柳川の龍造寺家晴が、秀吉より伊佐早領2万2千石の朱印状を享け

西郷氏の居城である高城の明け渡しを迫り、

善根の辻まで攻め入り此処で法螺貝を吹き勝利の宣言の合図を行ったとあります。

此の丘の周辺は信仰の証である祠が彼方此方に点在しています。

昔の人々の信仰の深さが偲ばれます。


1957年(昭和32年)7月25日、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録した

『諫早の大水害』で破壊された本明川の堤防の復旧の為に、

此の『善の辻』の丘陵地の山を崩し大量の土が使われました。



話は後に戻りますが道場の崖の上に登って見ますと

小さな屋根で覆われた稲荷、観音、この地では珍しい弁財天等の祠が並んでいました。

その一つに地元の御舘山稲荷神社の『霊璽』と思われる稲荷の祠があり

誰かが地祀りされていたのでしょうが現在は誰もお参りされている形跡がありませんでした。

祠には町名などが記されていました。

祝詞を奉上しお参りしました。



現在は浄土真宗が盛んな地域ですが

もともとは行基菩薩が諫早から島原半島の雲仙へと布教した場所であり、

観音信仰が盛んな地域でしたので彼方此方に磨崖仏の観音が刻まれ、

観音の祠が点在していて観音山と呼ばれている山もあります。

明治の廃仏毀釈までは真言宗の大きな寺院がありました。

この『善の辻』にも弘法大師空海の薫りが残っています。





火にも焼けず、水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも

自由自在な人間の本性である神性、仏性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。




夕べに道聞かば、朝に死すとも可なり。





善』は自然界の法則である因果の法則を打ち破ることが出来る。



人生の主人公となる為に・・・其の2(一切の不幸から脱却する方法)

2019年07月23日 19時57分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
今日は研修会でしたが午後から参加しました。

雨雲の上に入道雲がひよっこりと顔を出しています

勤務先にも交換を潜り抜け総合病院であるのに警察署ですかと尋ねる

怪しい電話等が時々かかります。

役者顔負けの巧みな電話であります。

最近は即座に虚実を見分ける直観力が必要であります。



不幸を不幸と思わずその不幸の奥底にある『恵み』を発見せよ。


善なる神の愛を見失う時は、

その代償として苦痛という代償を背負うこととなる。

それは神の愛に心をふり向けないことにより、

神の無限なる叡智を

自分自身にあらわすことが出来ないからである。

それ故に、おのれ自身の直覚によって神に導かれることが出来ない。


より来る直覚こそ、

吾々を苦痛と不幸におとしいれる

間違った選択を正してくれるのである。


善は悪を知らない。

光は闇を知らない。

知恵は愚かさを知らない。

生命は死を知らない。

愛は憎しみを知らない。

美しさは穢れを知らない。

豊かさは欠乏を知らない。

歓喜は悲哀を知らない。

調和は混乱を知らない。


これらの善き性質は偉大なる真理である。

この真理は永遠に砕けることがない。

これらの善き性質を自覚する時に全てのものが整えられ

円満なる人生を支配することが出来るのです。



神は無限の善であり、無限の光であり、無限の知恵であり、無限の愛であり、

無限の美であり、無限の豊かさであり、無碍の歓喜であり、無限の調和なのです。

このような完全円満なる神が遍満している世界に素直にふり向け(回向)、  

『神は一切であり、全てのすべてであり愛に満ちた存在である』ことを自覚すると、

神からの恵みを受けることが出来、

一切の不幸から脱却することが出来るのです。





人の喜びをわが喜びとする。




われは口に入れるものは何もなくとも、われは喜びを食(じき)とする。・・・釋尊













人生の主人公となる為に・・・『自己の人生』と境遇、環境は互に牽制し、影響する。

2019年07月21日 23時53分03秒 | コラム・人文
永遠の包容

降りしきる雨の足元に

小さな草々の初々しさ、

健気に生きる逞しさ。

銀河にひろがる一粒の星、

その光が輝くとき

永遠が奏でられる。

浄き生命の讃歌、

魂がわななき、

甘やかな包容。

鳴り響く調べ、

此のひと時に

優しさ広がる。



どのようにすれば自分の環境、境遇を改善することが出来るのであろうか。


地獄も天国も我が心の内あると申します。

心で想うことが現実の世界に実現するのです。

まるで磁石のように

悪を想えば悪が現れる。

喜べば喜びが現れる。

私たちの人生は自分自身の心の想念の力で

創り上げるているのですから、

その想念の力で悪しきにも、善しきにも

人生を築くことが出来るのです。

自分自身の悪しき環境は外からの印象及び影響は受けますが

それを受け入れるか否かは自分自身で決定するのですから

最終的には自分自身が責務を負うことになります。

ですから全ての事物は己が心の反映で造り上げたものです。

求める幸福は外の環境から来ないのである。

悪しき想念は何処から来たのかを自問自答して、深く内省し

そして自分が欲する新しい明るい環境、

希望を自分の心に強力に描くと

貴方は希望成就の道へと歩み始めるのです。




欠点を見つけるな。彼のために祈れ。




物質そのもは無力である。この物質に人を支配する力を与えるのは人自らの力である。





働かぬ者にさえ施すものが愛の行為でる。









46億年前の真実は今此処にあり・・・・・人間の生命は『久遠』即『今』を永遠に生きるなり。

2019年07月11日 22時09分41秒 | コラム・人文
 『はやぶさ2』の成功

マクロとミクロの世界がひろがる

広大な宇宙の46億年前の真実を小さな

『はやぶさ2』が『今』此処に運んで来ました。

 

龍宮城の浦島太郎が玉手箱を開け、

無時間の世界から、時間空間の世界へ舞い戻り


一瞬にして老いた姿に変貌しましたが、


『はやぶさ2』は46億年前の真実を今此処に見せつけました。



如来の性は、実は消滅なきなり・・・・人間の生命は永遠なり。



本当の自分は今まで天地と共に生き通してきた、

これからも天地と共に生き通して、

朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる

『円相的妙楽』の存在であり、金剛身、不可壊身である。



不治の病を持つ病弱な肉体に乗っている貴方は名騎手である。・・・

名騎手は却って駄馬を乗りこなそうとする。自信を持て



子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。・・・

家庭より外が楽しいようになった時、子供は危険の淵にたつ。

常に善き想いを把持して善き言葉を語れ。・・・・・一瞬の念(おもい)でも、善きにせよ、悪しきにせよ心の奥底に蓄積され、時間の経過を経て思った通りの世界が実現する。

2019年07月08日 20時24分11秒 | 旅行記
午後から年休をとって島原外港の近くに出講に出向き、

時間に余裕があったので途中小さな港に立ち寄りました。

坂本竜馬、勝海舟以下50人程の一行が神戸港を出発して九州を横断し、

この小さな港に上陸して島原街道、長崎街道を経て長崎に行ったことを知り意外でした。

その歴史の地に立ち海を眺めていると

年月の変遷を超えて坂本竜馬以下50人程の一行の思いと勇雄さが感じら、

歴史は時間を超えて今此処に生きていることを肌で学びました。



汝の運命を征服する武器は念(こころ)である。


汝もし人または団体に対して致命的な考えをもつならば、

汝は引き金をひかなくても相手に手傷を負わすのである。・・・カーライル



一瞬間、心をかすめてた念(こころ)は

一つの波動(コトバ)であり、

宇宙の一切は波動で出来ているものであるから、

一度吾々が或る念を心に思い浮かべたなら、

それは一つの創造力の種となり、

いつかはその種は発芽して吾々の生活上に力を及ぼすし、

人類全体の上に広がって愈々大きな力をふるう創造者となるのである。





泣き言をいうことを止めよ。泣き言は泣き事を呼ぶ。




すべての心の動きは、その人の顔に印象される。




想像の苦痛は、現実の苦痛よりも耐えがたい。










病気などの困難は困難に非ず。新しい真実の世界へ生れる為の導きである。

2019年07月03日 22時57分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
夜る遅く電話がなり、

電話を取ると部下からであり

昨日父が肺癌の宣告を受けたとのことでした。

色々と家族の事情を聞いていますと

父思いの部下であり、色々悩んだ挙句、私の処へ相談を持ち掛けたようであります。


誰しも親は子供には理解できない人生の悩みがあり、

長年寄り添った夫婦でも互いに微妙な問題が有ります。

子供は幼い時から何と無くその父と母との雰囲気は感じとっています。

またその影響をまともに受けています。


病気は自分自身の心の現われであり、また己が人生の写しでもあります。


家族の中でネガテイブな事が起こりますと自然に暗くなりがちであります。

病気は人生の宿題であり課題でもあります。

この病気という問題を通して、様々な困難を乗り越えることによって

『魂の浄化』となり美しき新しい清き世界に生まれる事となります。


此の世は暗黒に満ちた穢土ではなく、善に満ちた素晴らしい世界であります。


この世の病気などの凡ての事物、相対する人々を素直に有り難く享けとめて行くならば

そこには必ず極楽浄土の平安の道が開かれてゆくことになります。


その為にも『報恩感謝の先祖供養』は人生の基盤であり子孫の務めであります。


自分自身も何れ、御先祖になりますが、

父と母は最も大切の御先祖様であります。

父と母と和解し、天地一切に感謝して行くならば

自ずからすべてのものと大調和が出来て、

明るい素晴らしい善き世界が開かれることになります。




毎日鏡の前で自分の表情を幸福にして、笑いの練習を実行しよう。

・・・・・真に幸福な人となるであろう。


明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。

2019年06月30日 18時54分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
雨が降り出し、田圃にも並々と水が溜まり

小野平野でも本格的に田植えが始まりました。

『5輪の塔』のお墓の補修が済んでからの雨、助かりました。


自分の内にある無限の宝を掘り出しましょう。

既にある自分の良さも、恵みも、

無限の力も気がつかなかったら無いのと等しいことです。


大自然の恵みも、

衆生の恩も、

父母の恩も、

国家の恩も気がつかなかったら、それは無いのと同じである。



明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。


自己の内なる心からほとばしる直観を素直に信じよ。

善い結果を生むであろう。

第一の直観は神が語り、第二の直観は悪魔が囁く。

思い立った事は素直に直ちに実行しましょう。

必ず善い結果を生むであろう。


神の啓示をうけるということは、

霊媒的素質の有るとか、無いとかに拘わらず、

自己の執着を脱する程度の従って完全に出来るのであります。

神の啓示は

内からの流れであって大脳に感応し、おおむね直観的にあらわれます。



霊的な霊示は

外部から延髄に感応し、おおむね霊媒式、二重人格的にあらわれます。




神は永遠に父性にして母性である。



先祖がいて、いま自分の内に先祖が今此処に生きているのである。




いつでも自分が気がついた時に! 理想の芽をそのままに実践によって育てれば、その芽は伸びるのである。


現在意識である『言葉の力』、『想念の力』を使って潜在意識を支配し、(自己破壊)の心から自由を奪還して人生を明るく生きて行きましょう。

2019年06月25日 00時02分18秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
此の記事を書いている時に小学校の高学年の教師をしている博多の娘から電話がありました。

厳しい困難な一日のクラスの事を話しましたが

朝出勤する時に身近な自分の小学1年生の息子から素晴らしい助言を受けたようです。

それは前向きな明るい素直な言葉でありました。



自らを傷つける自傷行為、又は自己処罰の奥底に存在する罪悪感、人類意識である原罪意識、劣等感などの

ネガテイブな『無意識』が現在意識を支配し破壊への道へと導きます。


これを拡大して行きますと戦争、失錯による事故、病気、環境破壊等の社会的な破壊行為も

人間の自己破壊が因となっているのではないかと考えられます。


この潜在意識と現在意識とが仲良く調和することが出来れば

心が平安となり、明るくなり、罪、罪悪感、劣等感などの苦しみからの解放が出来ることになり、

又凡ての物事がうまく運ぶことになります。



心的印象を感じやすい人々は自己の周囲の多くの人々から

微妙な精神的影響をすべて暗示として受け取るのです。


又テレビの放送、SNS、周りの環境等からの暗いネガテイブな情報を現在意識が受け取り

そのまま潜在意識の中に蓄積せられ、ある因縁、機会等に潜在意識より暗いネガテイブな状態で発露されるのです。



それらの暗い意識からの解放は


先ずは外界で映し出されるネガテイブな情報を見ない、聞かない、語らないで

心に明るい、ポジティブなことを想念して、善き言葉を語り、肯定的に物事を受け取り、

身近に存在する小さな草々に可憐な美しさを見いだし、

厳しい困難な一日でも『今』呼吸して生きている有り難さを感じとれるよう、

さらに進んで些細なことにも感謝が出来るようにならなければならない。



それには心の在り方が最も大切な要素となります。

ポジティブな心を保持するには如何にすれば良いか?


それには自分自身の心が明るくなることです。

心で思うことは『無声の言葉』であり、祈り(黙念)であり、瞑想でもあるのです。


一日の始めの目覚めの時、又は就寝前に坐して目を閉じ、

静かに静かに深呼吸をして息を整え自分自身の心に

『自分は善なるものである』、『自分は大宇宙のように無限なるものである』、

『自分は愛に満たされている神々しい御姿である』『周りの凡ての人々、事物を祝福し讃嘆し愛念をおくるのである』

このように明るい清らかな積極的なことを心の内に想念して

それを静かに心の目で凝視して内観(瞑想・座禅・神想観)していますと

潜在意識にそのような明るい思想が蓄積され、

又は自身の心の奥底から本来(実相)の自分の美しい姿が自然に発露され幸運を招くことになります。


このように本来の自分(実相)を凝視し直観的に把握することが『悔い改めであり』、『大懺悔』であります。



此のことが

われは阿弥陀仏であり、大日如来であり、普賢菩薩であり、キリストであり、

百千万億阿僧祇劫よりも尚以前より生き通している生命である。



この自覚が得られるように現在意識を使って

太陽が昇っている時にのみ時刻が示される日時計のように

日々明るい出来事のみを心に刻み、常不軽菩薩の如く相対する人を赦し、

又凡ての事物にたいしても同じように明るい善なるもののみをみて

祝福讃嘆し礼拝していくならば『自己破壊』、『原罪意識』、『劣等感』、『罪の意識』、

『心の迷妄』からの脱却が出来、心が解放されることになり、自由自在の心に誘われます。




意志の力よりも想像の力が強い。



明るい気持ちでなければ善い仕事は出来ぬ。