夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

豊かな幸福生活を創る・・・たゆまず善き明るい豊かな言葉を語れ(水滴 石を穿つ)

2019年02月03日 00時51分54秒 | コラム・人文
今日は初午、祖母が53年前に私たち分家の家族の繁栄の為に 

祐徳稲荷神社の御分霊である霊代を享けて頂きました。それ以来神棚に祀っています。

博多の那珂川流域は弥生時代から稲作の発祥の地であり、

本家は先祖代々農業の神である稲荷大神を庭の一角に地祀りして奉斎して来ました。

祖母への思いを巡らせ毎年お参りさせて頂いております。

午前中はお参りが多いのではないかと思い、午後から出かけることにしました。

有明海を眺めながら50キロ程の道のりを走り抜けると、

駐車場が都合よく近くに空いていましたので助かりました。


イナリは稲生(いなり)の義であるといわれている

それが稲荷の字に改めるに至った伝説


弘法大師が、京都の東寺のそばを通ると、一人の稲を荷つた老人に出会った、

弘法大師はその老人から種々の尊い教えを享けたので、

これは神が仮に老人の姿をして教えを垂れ給うたのであろうと、

敬い崇めてその御姿を神に祀り、東寺の鎮守として稲荷大明神と敬い申した。

このことから稲荷の字が出来たのであるという。




人間は本来豊かであることを信ぜよ。


本来の人間は知恵に於いても富に於いても生命に於いても本来無尽蔵である。



言葉の創化力・・・言葉によって運命は善きにも悪しきにも変貌する。


豊かな明るい言葉が、豊かな心を創る、豊かな心が、豊かな幸福生活を創る。




たゆまず善き明るい言葉を語れ。

水滴 石を穿つ

   羅大経 中国南宋の文人


『注』

祐徳稲荷神社・・・鹿島城主鍋島直朝夫人花山院萬子媛(祐徳院殿實麟瑞顔大姉)が
                 京都御所内に奉祀の稲荷大神の分霊を勧請したのが始まり。
                 萬子媛は後陽成天皇の曾孫女にあたる。
                  貞亭四年吉田村に殿宇を建立




寒に耐えて春を迎える



有明海の不知火(漁火)





霊験あらたか祐徳稲荷神社




AI(人口知能)が人間を飲み込む・・・自己の存在を内なる心に振り向け既に『素晴らしい存在』であり『神の子』であることに目覚めなければならない。 今此処が既に天国であり極楽浄土であると!!

2019年01月30日 18時09分04秒 | コラム・人文
物質的な『AI(人口知能)』が人間の本質を呑み込むのではないかと危惧されているのです。

ICチップを指&脳に埋め込み、カード決済や企業など重要な判断を

ICチップやAIに委ねることが実用化されたのも『人間の本来の本質』ではない、

人間が神の力を得ようとする野心と欲望の産物である『人間至上主義』の成果ではないかと思われます。

知識の獲得などの合理的な現象面に心を振り向けるのでなく、

心の内面に振り向け心の深奥に大宇宙を観るが如く、

人間とは如何なるものかと云う人間本来の本質を知ることが大切であると思われます。



『ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)』の言葉


AI(人口知能)が人間を飲み込む


AIは感情や主観もなく、人間とは全く違った存在なのです。

最も大切なことは自分自身を知ることだと思います。

自分が何者であるかを理解することです。

テクノロジーを追い求めるだけでなく現状に満足する方法を学び

自分の内なる考えを深く理解することに時間を使うべきなのです。

あなたの心はどんな声を発していましたか

AIは神のような力を獲得しホモ・デウス(神の人)へとアップグレードするものになるだろう。

AIは社会を変えるだけではなく体も精神も、私たちを根本的に変えてしまう可能性があります。

知能と意識は全く異なったものです。

知能は問題を解決する能力です。

意識とは物事を感じとる能力です。

苦痛、喜び、愛、憎しみなど主観的なものです。

人間はこうした感情を通して問題を解決します。

コンピューターは感情などの意識を発達させることは全くありません。

最も恐ろしいシナリオは、意識や感情を全く持たない超知的な存在に世界が支配されることです。

特に重要な新しい技術バイオテクノロジーとAIは良いことにも悪いことにも使えます。


人間を神にアップグレードしホモ・サビエンス(旧人類を含む全人類)を

ホモデウス(神の人)に変えることを目指すであろう。

テクノロジーの進歩が人間の手に負えないものになる。


『注』
ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)・・・イスラエルの歴史学者
                             『サピエンス全史』、『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来』の著者




一日の終わりは明日への始まり



初めに、神は天地を創造された。神は言われた『光あれ』こうして、光りがあった。

さわがしき 風につけても 外国に いでて世わたる 民をこそおもへ ・・・ 常にどの様な時にも民に思いを寄せられる大御心の深き慈愛。

2019年01月27日 22時43分46秒 | コラム・人文
和の精神


妻と一緒に大阪なおみさんの決勝戦をテレビで観戦しました。

スポーツ観戦は久しぶりでした。

大阪なおみさんの活躍を見ていますと、はにかみとウエットのなかにも

素晴らしい集中力とパワーがみなぎり、執着心のない、内に秘めた強い信念を感じました。

そして優しい控え目な和の心を持ち合わせている姿に感動しました。




御製 明治天皇


さわがしき 風につけても 外国に いでて世わたる 民をこそおもへ

神がきに 朝まゐりして いのるかな 國と民との やすらからむ世を



よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ


いまから千四百年ほど前 聖徳太子は十七条憲法というものを定められ 

その第一条に 『和を以て尊しとなす』としるされた。 

この和を尊ぶ心、つまりは平和の精神こそ、長い歴史のなかで培われ、

連綿として続いてきた日本の伝統の精神の根底をなすものではないだろうか。


                    パナソニック創業者 松下幸之助 



 
ひと時を癒す黄色い花びら



長崎市内は空気が澄みきり穏やかな素晴らしい快晴

陰、極まって陽生ず・・・花も、樹も、生き物も日々精進してより美しき姿を現している。

2019年01月26日 15時24分12秒 | コラム・人文
インフルが出盛りとなりました。

該当病棟への出入りにもI Cカードで制限されました。

陽気な春の到来が待ち遠しいですね。

花も、樹も、生き物も移り変わる日々のなかで精進して、

より美しき姿を現しているのです。



キリストの生活の摸倣

かくてイエスまた人々に語りて日(い)ひ給う。

我は世の光なり。

我に従ふ者は、暗き中(うち)を歩まず、

生命(いのち)の光を得べし
                     ヨハネ傳 第8-12



すべての生物に宿る叡智


凡ての生物(いきものは)は、どこかに、キリストの光を受けて、生活の修行を為すことが出来るのである。

私は或る日、森の樹の下に静かに座り、小さな口笛を用いて、

森の小ネズミの鳴き声を真似していると、その声に引き付けられて、

獲物を探していた一匹のイタチが私の足元の至近距離まで誘われて来たのです。

イタチの姿は全て私の前で見えるのである、

どこにも逃げ隠れるような、障壁は何もなかった。

私の眼はまともにイタチを見た。

その瞬間に電光石火かのごとく、素早く姿を消した。

この彼の本能的な自己防衛の能力は

神がイタチに与えたところの叡智の光りである。




ただ神のみ暗黒を照らすことが出来るのである。


これに生命(いのち)あり。この生命は人の光

光は暗黒(くらき)に照る。

しかし暗黒(くらき)はこれを悟(さと)らざりき。

                      ヨハネ傳 第1-4-5

                      スターデリー (Starr Daily)1953




冷たさと温かさが漂う寒牡丹・・・祐徳稲荷神社





何で近づくのだろうか! 寄るな、触るな、アッチへ行け






素朴で広い広い、もっともっと広い、おおらかな愛

2019年01月13日 14時15分28秒 | コラム・人文
明日は成人式。

若者を敬愛し、讃嘆と祝福を贈りましょう。

『若者、息子、娘、孫、曾孫』は己の確実な『来世』であります。




素朴で広い広いもっともっと広いおおらかな愛

天皇様の素朴でひろい大愛が、

日本文学で最も美しいと文章と云われている『古事記』に

天皇様が歌われた、美しい心温まる『御製』が連綿として歌われています。


媛蹈鞴五十鈴媛がお后として後宮に参(ま)入り時に歌をよまれた。

その後三柱の御子様がお生まれになった。


葦原(あしはら) しけしき小屋(おや) 菅畳(すがたたみ)

いや清(さや)敷きて 我が二人寝し


                            神武天皇 御製


『注』

葦原(あしはら)・・・葦がたくさん生えている原っぱ。

しけしき・・・穢い荒れた

菅畳(すがたたみ)・・・菅というカヤツリグサ科スゲ属の植物で編んだ敷物。

いや清敷きて・・・いよいよ清らかに敷いて

我が二人寝し・・・私(神武天皇)が、そなた(媛蹈鞴五十鈴媛)と寝たことだ。

媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)・・・神武天皇の皇后。



幼などき 集めしからに 懐かしも しがらき焼きの 狸をみれば

                    昭和天皇御製 昭和26年11月15日 しがらき焼きの里にて




生と死のアンビバレンス(ambivalence) ブラックホール





わが家の狸







救急時の情報(地震速報)の有難さ!・・・直観力を養う。

2019年01月03日 20時01分15秒 | コラム・人文
娘と孫を駅に迎えに行きその帰りに、

車載のラジオから地震速報の放送があり、

車を安全に停車するようにと指示がありました。

娘にスマホで情報を見てもらうと、この地区は震度2でした。

ホットしましたが、震源地はまたもや熊本でした。

数年前に此の地区で震度5弱を経験した熊本地震を思い出しました。

人はこのような場面では『直観的』に

安全な情報を得たいと思う感情が出る事を身近に経験することが出来ました。



直観力

『煙を見て、火なることを知らず』『角を見て牛なることを知らず』

        一を見て全機を把握することを知らざる』のろ間者では宜しくないのである。

人間は宜しく『擧(こ)一 明(みょう)三』

・・・・ 一を挙げて三を明(さと)る 位の明敏さ、


『目機銖雨(もっきしゅうりょう)』

  ・・・・目分量で何銖(なにしゅ)何兩なにりょう)と

        『直観』出来るようでなければならないのである。

                     碧巖録 第一則 聖諦第一義





今は物質(分割する)文明から霊的(全てを融合する)文明への曙(あけぼの)・・・衣食足りて、礼節を知る

2018年12月28日 22時06分50秒 | コラム・人文
粉雪がチラチラと舞う年末となりましたが、

桜の蕾が、もう膨らみ始めました。

妻から筑前煮(がめ煮とも云います)の材料の買い物を頼まれましたが、

その食材が殆ど外国産であり、国産を探すのに時間がかかりました。

博多辛子明太子もよく生産地を確かめないと失敗します。

色々な食材が溢れて紛らわしい時代であり、食材の目利きが必要であります。

以前より身近な地域の食材を手に入れることが簡単ではなくなりました。

地域もグローバル化され、

全国の食材が簡単に手に入れることが

出来るようになった事が一つの理由でもあります。

ひと昔前の身近な地域での循環型のライフワークが出来ると良いと思われます。

私は完全なベジタリアンですが家族はそうではありません。

『同じ釜の飯を食う』ということが困難な時代になりました。

家族それぞれ違う職業に就き、働く時間帯も違い

同じちゃぶ台で御飯を食べる事が出来なくなりました。

家族同士以前よりも増して『優しい思いやる心』が必要な時代であります。

これは社会でも同じであります。


家庭または社会を丁寧に一つ一つ愛をこめて生きていくことが

家庭の平和であり、ひいては社会の平安となり、世界の平和につながり、幸福への道でもあり、

此のことが阿弥陀仏の世界であり、大日如来の世界であり、竜宮の世界であり、普賢菩薩の世界であり

宝樹華多くして衆生の遊楽する世界であります。



愛への目覚め



愛は、肉眼で見れば個々別々に分離して、

対立している様相をていしている現象を超えて、

その奥にある『生命の一体』をみるのである。

愛があれば、個々別々に存在するが如く見えている

相手の人々の魂の中に貫き入ることが出来るのである。

則ち『人の感情がわかる』のである。

人の感情がわかる人は人の苦しみをとって楽を与えてあげたいと思い、

人の喜びを自己の喜びとして感じ、人の悲しみを自己の悲しみとして感じて、

自己の利益を捨てて他に奉仕しようと欲し且つ行動するのである。

このような愛に目覚めることで争いがなくなり、

世界に平和をもち来すことが出来るのである。










                  
 

民の竈(かまど)の煙・・・・・仁徳天皇の御徳。

2018年12月27日 23時55分18秒 | コラム・人文
この地区の担当者の方が年末の挨拶に来られ、

来年から担当地区が変わることになりました。

長年のお付き合いでした。

お別れは懐かしい思いがするものですね!

今では珍しい『六曜・行事・二十八宿・九星・六十干支・月齢・選日・名言』が掲載された

分厚い 『日めくりカレンダ』ーを頂きました。

嬉しいですね! 元旦の名言は私が尊敬しているエマソンの言葉でした。


その日その日が一年中の最善の日である・・・・・エマソン




来年は皇太子殿下が天皇に即位され、

連綿として継承し来たり給える皇位の厳の御光が輝き出でて、

『清き明るい世界』が開かれ愈々益々より良い政治が行われる予感が致します。


民の竈(かまど)の煙


仁徳天皇が高殿に登って遥かにながめると、人家の煙が見られない。

これは人民たちが窮乏しているのであると思われ。

今後三年間すべて租税をやめ、人民の苦しみを柔げようといわれた。



それ天の君を立つるは、これ百姓の為なり、

然らば則ち君は、百姓をもって本となす。

是を以て、古への聖王は、一人飢寒(きかん)すれば、

顧みて身を責む。いま百姓の貧しきは、則ち朕の貧しきなり、

百姓の富めるは、則ち朕の富めるなり、

未だ百姓富みて、君貧しきことあらざるなり。

            日本書記 『民の竈(かまど)の煙』 仁徳七年夏四月一日






心の豊かさ・・・・・貴方は既に無限の豊かさの中にいる。

2018年12月24日 16時49分57秒 | コラム・人文
天皇陛下の大御心のお言葉を

拝聴していますと愛豊かな、慈しみに満ちた

広大無辺な優しいお心に感動致しました。



休日出勤の帰りにスーパーで買い物していますと

何時もの賑わいが影を潜めていました。

今夜迎えるクリスマスイブは静かなイブのようであります。



貴方は既に無限の豊かさの中にいる。


神は彼らを祝福して言われた。

『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ。』


神は言われた。

『見よ、全地に生える、種を持つ実をつける木を、

すべてあなたたちに与えよう。

それがあなたたちの食べ物となる。

地の獣、空の鳥、地を這うものなど、

すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』

創世記 1-28~30




人間は『造り主より』本来すでに豊かに造られているのです。

それなのに貧しく思うことは『神の愛』を疑うものであります。

自己の生命は神の生命と一体でありますから、

既に『無限の叡智』を蔵しているのですから、

蛇にだまされて『知恵の果実』を食べて

もっと余計に豊かになろうと思はなくても良いのです。



心の豊かさ


自己が貧しいと呟く心の貧しさからの解放は

自己の境遇を他の略奪等のセイにするネガティブ(negative)な心から

自分の心は『無限の豊かさ』に恵まれているのであると信じることであります。

そして『今』既に恵まれている『小さな恵み』に心から感謝することです。

すると次第に心が豊かになって行くことが感じられるようになります。

物質の豊かさよりもこの

『心の豊かさ』こそが本当の豊かさであり『永遠の豊かさ』であります。




多大なる富



多大なる富は

多大なる重荷であり

多大なる責任だ。


そして多大なる富は次にあげる

二つの一つをもたらす。

大いなる祝福か

大いなる呪いかだ。

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr)









争い責め合う心から、拝み合いの生活へ

2018年12月16日 18時55分55秒 | コラム・人文
お互いに祝福し合う、祈りの行事に参加し、

人それぞれの心のひだに触れ、悲しみも楽しも

共に生きている存在であることを!!!


小さな小さな菜園のカツオ菜、ブロッコリー、セロリー達も元気に成長していました。



合掌して礼拝する姿は美しい光景であります。

自分自身を拝むことを知らなければならない、

そうでなければ他の人を拝むことが出来ない。

先ずは自分を尊敬することが出来る人が、

他の人も尊敬することが出来て拝むことが出来るのです。



百丈和尚が川で菜っ葉を洗っていたら、

菜っ葉がちぎれて流れていった。

その菜っ葉を追いかけていって、それを拾って拝んで頂いて、

仏様の命の現れであると言われたのです。



日本では『もったい無い』と云う言葉があり、

物質をただの物質ではなく

『仏の生命』の現れであるとして拝み、

崇高にして謙虚な精神をもって物質を観て

とり扱っていました。






一粒の真実・・・極楽世界への道。

2018年03月21日 22時02分30秒 | コラム・人文
冷たい花曇りのお墓参りでした。

満開の山桜が見える墓所で

花を手向け香を焚き合掌礼拝すると

立ちのぼる香が心に沁みいり、

念仏を唱え、経を読誦しますと

爽やかな風がふいて参りました。




一粒の真実

むかし一人の婆さんがいました。

このお婆さんは朝から晩まで『南無阿弥陀仏』を唱えて暮らしていました。

『念仏婆さん』と云われた彼女も寿命が尽きて亡くなり、

お通夜で近所の人が今頃極楽浄土に向かっているであろうとうわさをしていました。

一方死んだ婆さんは閻魔大王の前で地獄行きの判決をうけ、

地獄の黒門の扉を開けその中に叩き込もうとした時、

婆さんがまってくだされと叫んだ。

あたしは娑婆世界におるときは、

念仏婆さんという仇名がついたほどです、

何かの間違いでありませんかと抗議しました。

閻魔大王は何か証拠でもあるのかと問うた。

婆さんは、はいお土産に娑婆世界でとなえた

『念仏の粒』を大八車に二台も積んで来ました。

赤鬼、青鬼がその『粒』をザルにのせ『ふるい』にかけたところ

全部実のない『しいら』ばかりでありました。

閻魔大王がやっぱり地獄に行けと言いかけた時、

赤鬼が走ってきて『一粒だけ実』が入っていると言いました。

しからば、いつ如何なる時にこの『正味の一粒』は発生したのか調べろと言うことでした。

調べてみると婆さんがお寺詣りに行く道すがらで

にわかに雲が出てきて雷が鳴り出し、ついにその雷がピカリ・ドンと落ちたのです。

婆さんは思わず『ナンマイダー!』と叫んで気絶しました。

その時の念仏が『正味の一粒』でした。

そのほかの念仏はみなしいららばかりで、

婆さんは畑を耕して石が出てくると、みんな隣の畑に投げ入れていました。

閻魔大王はたとえ『一粒でも正味の実』があるからには地獄に入れるわけにはいくまいと言い、

この婆さんを極楽に案内せよと叫んだ。

                          
                                       明治の関精拙(せきせいせつ)和尚














愛するものを一遍捨てなければならないのです。・・・すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

2018年03月20日 23時42分07秒 | コラム・人文
冷たい春の雨、花の便りが聞かれるようになりました。

春野菜も春の息吹をうけ健やかに生長しています。

天地の循環の有り難さにただ感歎するばかりです。




生命の喜び

生々流転の世界のひと時を彩る花々、

大地に根つく青麦をふき貫けるいのち風、

雨上がりの水辺に、いと細き柳葉のしなやかさ、

麗らかな春光を浴び、睦みあう生きものたち、

温かさは喜びを招く、明るさは安心を招く、

優しさは平安を招く、真理は永遠の糧を招く、

羽ばたく勇気は未来を開く、

祈りは希望を叶える。

すべてを捨て得るものは生命の泉を得る。

無条件の愛はすべてのものに生命を与える。




獅子児を教う迷子の訣。

前まんと擬して跳躑(ちょうてき)して早く翻身(ほんしん)す。

端(はし)無く再び叙(の)ぶ当頭著(とうとうじゃく)。

前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し。


                           無門関

獅子は愛児を千汊の谷に突き落とすのです。

人間も絶対絶命の境に立たされたときに本当の力が出るのです。

獅子が児を教えるのに先ず、迷っている児と一遍別れなければならない。

迷っている児をそのまま可愛がって置いていたならば、

本当にその迷っている児を悟らしめることが出来ない。

愛するものを一遍捨てなければならないのです。



『注』
跳躑(ちょうてき)・・・踊り飛び上がる。
翻身(ほんしん)・・・早く身をひるがえす。
端(はし)無く・・・思いがけずも。
当頭著(とうとうじゃく)・・・頭をぶっけること。
前箭(ぜんせん)は軽く猶お後箭(こうせん)は深し・・・

      獅子の児を一度目は可哀想そうな気がして軽く突き放つけれども

      二度目は前よりもひどく突き飛ばすこと。




誰でもあらゆる物をもって出発する。全てのものが、吾がうちにある。神はあなたの幸福を願っておられるのですから!

2018年03月16日 22時11分13秒 | コラム・人文
花曇り

春の冷たい風が吹きあれるなか、早咲きの桜が満開でした。

院内も異動、退職の挨拶まわりで顔なじみの同僚が少なくなり、

ちょっぴり寂しさがよぎります。

しかし現代は退職した後の人生が大切であります。




誰でもあらゆる物をもって出発する。全てのものが、吾がうちにある。



幸福の天使が出てきて或る日に私に言いました。

『私(幸福の天使)は常にあなたの後を追っかけて走っているのですのに、

あなたは何故そんなに私から逃げるのですか。

もっとゆっくり歩きなさい。

急ぐことは要らないのです。

当たり前に歩いていさえすれば

私はあなたに追い着くことが出来るのです。

それだのにあなたは、どうして私から逃げ去るのですか!



ゆっくり一歩、ゆっくり一歩、と

踏みしめて前へ進みましょう。

必ず幸福の女神は微笑むでしょう。

神はあなたの幸福を願っておられるのですから!











幼児が親にたよるが如く神(仏)に頼り切れ。

2018年03月14日 22時34分59秒 | コラム・人文
日だまり


院内の白い柵の上に

野鳥がふらりと舞いおり、

あたたかい森の薫をのこし、

何処ともなく翼をひろげ

ビルを越え飛び去りました。

何事にもにもこだわらず、

天の響きに合わせて

舞い遊ぶ野の鳥たち。




念仏の世界には罪悪も業報もを感ずることはないのである。


念仏者は無礙の一道なり、

そのいわれいかんとなれば、 

信心の行者には天神・地祇も敬伏(きょうふく)し、

魔界・外道も障礙(しょうげ)することなし。

罪悪も業報も感ずることあたわず、

諸善もおよぶことなきゆえに

無礙の一道なりと、云々(うんぬん)。


                   親鸞上人 歎異鈔 第七
『注』

無礙(むげ)・・・障りのないこと。さまたげのないこと。何ものにもとらわれず自由自在であること。

無礙の一道・・・何もにもさまたげられない一すじの道。

障礙(しょうげ)・・・さわり、さまたげ。さとりを得るための障害となるもの。

           四種の障害(法をそしること・自己に執着すること・苦しみを恐れること・

           すべての生きものにたいする利益について無関心であること)がある。



小さな夢、小さな輝き・・・自由と幸福は遠きにあらず、吾が心に既に存在している。(水は平衡を求めて小さな隙間をうめる)

2018年03月04日 16時12分56秒 | コラム・人文
人は富を求めて彷徨う。

人は自由を求めて彷徨う。

人は英知を求めて彷徨う。

人は楽園を求めて彷徨う。

人は平安を求めて彷徨う。



『真』の富、自由、叡智、楽園、平安は

『神の御懐』に存在している。

最大にして最勝の真理とは

『人間は神の子』であるということを覚ることである。




地方の『ニータウン』も老齢化が進み、

空き家化が進んでいますが、

『大都会の大きな団地地帯』にも同じような現象が起きています。

それは後継者がいないということです。

『後継者』は自由を求め、

楽園の夢を描いてその置かれた場所を去って移住したのです。

しかしその『父母』も同じようなことを描いて

『ニータウン』、『大都会の大きな団地地帯』に移住したのです。

『因果は廻る』と言う言葉があります。

その都会の空き団地地帯に、

水は平衡を求めて隙間をうめるが如く、

大陸の人々が移住して来ています。

歴史は繰り返すといいますが、

まさに2400年ほど前の弥生時代以後に

大陸の人々が鉄、銅等、進んだ文化、技術を携えて日本に移住して来ました。

その大陸の血が流れ入りて、今の日本の繁栄となっています。

現代はその反対に日本に憧れて大陸の人々が日本に移住しています。

日本も歴史上初めて多民族の社会にまさに入ろうとしています。

これも人口の減少化、核家族化、人口の密集度が偏っている等色々な理由があります。

地域の親戚、隣人と共に生きることよりも、

個々の希望、夢、スキルアップ、自由等が優先されてきた結果だと思えます。

以前は本家と分家との関係が深かったのですが、

戦後の核家族の普及により一族同士、地域の人々との関係が希薄になりました。

もう少し地域の先駆者から生きて行く知恵を身につけることが肝要と感じます。

最近、収入が減少しても、故郷に帰省して職に就いたり、

卒業後に地元に就職する若い人が増えています。

良い傾向であります。



伸びようと思う者よ。


伸びるためには今までは

他から奪いとることによって自己が拡大すると思っていたのである。

身を献げたる女性は男性に縛られたように見えるが、

実は男性を自由自在に支配する力を得る。

『伸びるとは与える』ことである。

『与えることによって自己が拡大するのである』。