夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

日時計主義と礼拝主義

2014年10月03日 22時20分07秒 | 日記・エッセイ
宇宙の広大な奥行きを感じる真っ青な秋晴れの朝、
本名川に悠然と我が立ち姿を川に映し、見つめる白鷺の自信溢れる態度に癒やされ、
今日一日の元気と勇気を頂きました。


“われわれは、輝く太陽の日のみ記憶する日時計のようになろうではないか。
悲しみをいつまでもいつまでも心にためて置いてなんの得るところがあろう。
損失をいつまでも思い出してなんの利益するところがあろう。
失敗をいつまでも後悔して意気阻喪しても世の中は益されはしないであろう。
すべてこれらは人生の出来事のカスである。カスにいつまでも執着するな。
盗人を追い出すようにカスを心の外へ捨てよ。
われわれの心はカスよりも高貴なものだということを知らねばならぬ。“


他人の悪を心に記憶せず、言葉にも表現しないで、相手の本質を神として拝むのである。


“なんじの敵を愛せよ”

“たち向かう人の心は鏡なり、己が姿を映してや見ん”