悪に抵抗することなかれ(五月晴れと憂鬱の五月病と自閉的な不適応)
悪に抵抗することなかれ
毎年この連休の時期は青い空が広がる五月晴れでありますが寒暖の差があり急激の気温の変化に適応出来にくい季節であります。
人間の心も憂と鬱が交錯する一種の適応障害である五月病があらわれたりします。
よく休日明けの月曜日も前日に仕事を休んでいることから憂鬱な心がもたげ直ぐには適応し難いところがあります。
所謂月曜病なるものが見受けられます。
気温の変化等の自然環境の変化に潜在意識が作用している自律神経の機能が適応出来ないと体調を崩したりします。
自然環境、社会的環境に適応していないことを現在意識(表面の心)で自覚している時にはそれ程不安が生じないですけれども、
それを自覚していなときには潜在意識に内在していて、深いストレスとなって心全体が不調和になり、
身体疾患等の色々な症状が引き起こされ、自分自身の心が思うことと実際の行動とが伴わないアンバランスな不安定な心になり、
自分自身の心で自分を縛り身動きが出来ない心の牢獄の中に入り閉じこもる自閉的な心になり、
不出勤、不登校、色々な障害(不適応)となって顕在してきます。
しかしこれらの様々の症状はこれらの障害(不適応)を自覚するヒントであり、それを理解することで癒すことにつながります。
本来は人間には自然環境、社会的環境に適応出来る能力を持っています。


自分本来の自己実現に価値に置く事と自然環境、社会的環境に順応することを対立的に考えると
自分自身の自己実現を押し隠し環境に合わせようとすると偽りの自己を創ることになりこのことは仮性適応な状態であり、
心も相反することになりストレスが増大することになります。
それを改善するには自己が尊い素晴らしい存在であることを認識することが始まりであります。
自己が生まれ出た原点に立ち帰ることです。
どのような人間でも一人の父と一人の母より出でたものであり、これより以外に出でたものは無い筈であります。
今この瞬間に生かさせて、空気を吸わさせて頂いている事実、食物を食べているあり難さを思うとき、
父の愛なるもの、母の愛なるものが無かったなら、
今此処に自分の存在も素晴らしい価値の自己実現も有り得ないことであります。
父母に素直に感謝するとき不思議にも心が平安になり喜びに満たされます。
此のことは集合無意識的にすべての人類意識であり全てに存在する事実であります。
イエスキリストが第二の戒めに説かれた『汝の隣人を愛せよ』の事実はすべての人類は兄弟姉妹であると云うことであります。
如何なる人も兄弟姉妹である自分自身を攻撃する者もいない筈であります。
目の前に現れる厳しい人々、荒々しい環境は吾を幸福の世界へ導く観世音菩薩の慈悲の顕れであります。
苦しみ、悩み、痛みは吾を真実の世界へ誘う症状であります。
苦しみ、全ての経験を素直に優しく有り難く受けとめ感謝することが、イエスが汝の右の頬を打つ者あらば、これに左の頬をもめぐらせて打たせよ、十里の公役を強いられなば二十里を行けと云った無抵抗の真理であります。
真に悪に無抵抗になるときにのみ、それは自我さえも滅し去って、ただ神のみ、善のみが目の前に顕れるるのである。
そのとき真の自我、実相の自我、絶対自我が本当の姿をあらわして自由自在の境地に達するのである。

悪に抵抗することなかれ
毎年この連休の時期は青い空が広がる五月晴れでありますが寒暖の差があり急激の気温の変化に適応出来にくい季節であります。
人間の心も憂と鬱が交錯する一種の適応障害である五月病があらわれたりします。
よく休日明けの月曜日も前日に仕事を休んでいることから憂鬱な心がもたげ直ぐには適応し難いところがあります。
所謂月曜病なるものが見受けられます。
気温の変化等の自然環境の変化に潜在意識が作用している自律神経の機能が適応出来ないと体調を崩したりします。
自然環境、社会的環境に適応していないことを現在意識(表面の心)で自覚している時にはそれ程不安が生じないですけれども、
それを自覚していなときには潜在意識に内在していて、深いストレスとなって心全体が不調和になり、
身体疾患等の色々な症状が引き起こされ、自分自身の心が思うことと実際の行動とが伴わないアンバランスな不安定な心になり、
自分自身の心で自分を縛り身動きが出来ない心の牢獄の中に入り閉じこもる自閉的な心になり、
不出勤、不登校、色々な障害(不適応)となって顕在してきます。
しかしこれらの様々の症状はこれらの障害(不適応)を自覚するヒントであり、それを理解することで癒すことにつながります。
本来は人間には自然環境、社会的環境に適応出来る能力を持っています。


自分本来の自己実現に価値に置く事と自然環境、社会的環境に順応することを対立的に考えると
自分自身の自己実現を押し隠し環境に合わせようとすると偽りの自己を創ることになりこのことは仮性適応な状態であり、
心も相反することになりストレスが増大することになります。
それを改善するには自己が尊い素晴らしい存在であることを認識することが始まりであります。
自己が生まれ出た原点に立ち帰ることです。
どのような人間でも一人の父と一人の母より出でたものであり、これより以外に出でたものは無い筈であります。
今この瞬間に生かさせて、空気を吸わさせて頂いている事実、食物を食べているあり難さを思うとき、
父の愛なるもの、母の愛なるものが無かったなら、
今此処に自分の存在も素晴らしい価値の自己実現も有り得ないことであります。
父母に素直に感謝するとき不思議にも心が平安になり喜びに満たされます。
此のことは集合無意識的にすべての人類意識であり全てに存在する事実であります。
イエスキリストが第二の戒めに説かれた『汝の隣人を愛せよ』の事実はすべての人類は兄弟姉妹であると云うことであります。
如何なる人も兄弟姉妹である自分自身を攻撃する者もいない筈であります。
目の前に現れる厳しい人々、荒々しい環境は吾を幸福の世界へ導く観世音菩薩の慈悲の顕れであります。
苦しみ、悩み、痛みは吾を真実の世界へ誘う症状であります。
苦しみ、全ての経験を素直に優しく有り難く受けとめ感謝することが、イエスが汝の右の頬を打つ者あらば、これに左の頬をもめぐらせて打たせよ、十里の公役を強いられなば二十里を行けと云った無抵抗の真理であります。
真に悪に無抵抗になるときにのみ、それは自我さえも滅し去って、ただ神のみ、善のみが目の前に顕れるるのである。
そのとき真の自我、実相の自我、絶対自我が本当の姿をあらわして自由自在の境地に達するのである。
