夢から慈しみの世界へ

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人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

グローバル社会と排他的依存性。

2016年06月17日 21時28分20秒 | コラム・人文
グローバル社会と依存性。

現代の世界はグローバル社会に変化していて、遠く離れた地域の出来事でも、日本国内どころか、
自分の地域の出来事であるかのように、錯覚するようであります。
それは瞬時に最新のニュースが全世界を駆け巡るからであります。
人間の依存性はあたかも遠くの戦場や洪水等を見て、
今この住んでいる地域が平和であっても危機に迫っているような心になり不安を感じます。
これはマイナスの自己暗示であります。
太陽が瞬時に核融合反応を起して、光輝いていることには人々は不安を感じません。
しかし身近な処での核融合反応には敏感であります。
排他的な依存性が強いと、周りの事が必要以上に敏感になり、それを受け入れるよりも排他し、攻撃的な思考に走ります。
グローバルな社会になり人間の排他的な依存性が益々強くなり、攻撃的な思想が蔓延しているように思えます。
これは特に弁証論的唯物論のインテリジェンスに能力のある人間に特に顕著に排他的な依存性が現れるようであります。
逆に捉えますとインテリジェンス的な人間程排他的な依存性が強いことになります。
相手を論理的に打ち負かそうとします。
これは善悪の判断を理性的に明白する能力に優れていて、その結果、悪を排除しようとする意思が働くからです。
大きく捉えると世界を善と悪に振り分ける事であります。
また愛と憎しみの心と同じであり、どちらの心も人間の依存性であります。
しかし本当は善悪を超えたところに愛に満ちた聖地があるのです。





『すでに完全円満であって、すでに佛である。すでに神の子である。佛の子である』。

弘法大師はその著述『即身成佛儀』という本の中で、こう書いておられる。
一切衆生すでに成仏せるに、未だ成佛せることを知らず』と。
生きとしいけるものである衆生は佛になって成佛していることを知らないのである。
『自分はすでに佛である。完全円満である。迷いなんてすでにないのである。罪なんかすでにないのである。
すでに完全円満であって、すでに佛である。すでに神の子である。佛の子である』と知ればよいのです。