人生色々、心色々、花色々、森羅万象悉く仏の顕れである。
今此処に仏の生命が生きているのである。
今ここに、常今に、永遠の仏のいのちを観ずるのが救いの第一歩である。
暑さが続いていますが、長崎の小野平野の『稲』は元気に緑色に輝いています。
稲は元々熱帯に向いている作物ですので、水が有りさえすれば元気に育ちます。
しかし寒冷地に品種改良した耐寒力のある『稲』は厳しい暑さではないかと思えます。
与えられた自然環境で生きて行くことが求められています。
碧巌録・・・聖諦第一義
磨(達磨大師)云く『廓然無聖(かくねんむしょう)』
『自分』が無くなる。『欲しい』が無くなる。『にくたい』が無くなる。『功徳』が無くなる。
功徳がないのが最大の功徳である。
聖だとか。悟りだとか、善だとか、悪だとか何とか引っかかりが蒼空にあるようでは眞に晴れ渡った
『蒼空の心』という訳にはいかないのである。
今此処に仏の生命が生きているのである。
今ここに、常今に、永遠の仏のいのちを観ずるのが救いの第一歩である。
暑さが続いていますが、長崎の小野平野の『稲』は元気に緑色に輝いています。
稲は元々熱帯に向いている作物ですので、水が有りさえすれば元気に育ちます。
しかし寒冷地に品種改良した耐寒力のある『稲』は厳しい暑さではないかと思えます。
与えられた自然環境で生きて行くことが求められています。
碧巌録・・・聖諦第一義
磨(達磨大師)云く『廓然無聖(かくねんむしょう)』
『自分』が無くなる。『欲しい』が無くなる。『にくたい』が無くなる。『功徳』が無くなる。
功徳がないのが最大の功徳である。
聖だとか。悟りだとか、善だとか、悪だとか何とか引っかかりが蒼空にあるようでは眞に晴れ渡った
『蒼空の心』という訳にはいかないのである。