夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

2019年07月28日 10時06分54秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
道場の祭壇がある部屋の障子を張り替えたいが

この部屋で作業をしてよいかどうかを尋ねられました、

そのくすんだ障子の側に行って見ると、

障子の外からなにか霊的なもの感じました。

その障子の外は駐車場があり崖の高台からの気配のようでした。


翌日その崖の周辺を回って、調べていますと周辺の土地の因縁が解ってきました。

この辺りの丘を『善根の辻』と称し、熱心な信仰の場所であったようです。

もともとこの変一帯は西郷氏が治めていたのですが

筑後柳川の龍造寺家晴が、秀吉より伊佐早領2万2千石の朱印状を享け

西郷氏の居城である高城の明け渡しを迫り、

善根の辻まで攻め入り此処で法螺貝を吹き勝利の宣言の合図を行ったとあります。

此の丘の周辺は信仰の証である祠が彼方此方に点在しています。

昔の人々の信仰の深さが偲ばれます。


1957年(昭和32年)7月25日、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録した

『諫早の大水害』で破壊された本明川の堤防の復旧の為に、

此の『善の辻』の丘陵地の山を崩し大量の土が使われました。



話は後に戻りますが道場の崖の上に登って見ますと

小さな屋根で覆われた稲荷、観音、この地では珍しい弁財天等の祠が並んでいました。

その一つに地元の御舘山稲荷神社の『霊璽』と思われる稲荷の祠があり

誰かが地祀りされていたのでしょうが現在は誰もお参りされている形跡がありませんでした。

祠には町名などが記されていました。

祝詞を奉上しお参りしました。



現在は浄土真宗が盛んな地域ですが

もともとは行基菩薩が諫早から島原半島の雲仙へと布教した場所であり、

観音信仰が盛んな地域でしたので彼方此方に磨崖仏の観音が刻まれ、

観音の祠が点在していて観音山と呼ばれている山もあります。

明治の廃仏毀釈までは真言宗の大きな寺院がありました。

この『善の辻』にも弘法大師空海の薫りが残っています。





火にも焼けず、水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも

自由自在な人間の本性である神性、仏性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。




夕べに道聞かば、朝に死すとも可なり。





善』は自然界の法則である因果の法則を打ち破ることが出来る。



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