夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

神は、常に何時いかなる時にも、如何なる場所でも、吾等を生かし、吾等を導き、守り給う。

2017年12月21日 20時34分24秒 | 日記・エッセイ
吉祥寺で働いている次男から久しぶりに電話がありました。

自転車から降りたばかりなのでしょう!

電話の向こうからしろい息づかいが伝わり、元気な様子が伺え安心しました。

年末、共に帰省する兄弟達のことを話していましたが、

色々な事情で上京した人々は、長年東京暮らしをしている間に、

振り返ると父母、親戚、縁者との縁が薄れ、帰るにも帰る処が無い人が多いそうです。

東京のビルの谷間に、まさに生きている間に無縁仏になっている人のことを思うと胸が痛みます。

この人たちに神の愛が満ち満ちることを祈ります。


疲れたもの、重荷を負う者は、

だれでもわたしのもとに来なさい。

休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、

わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

                                    マタイによる福音書 28~30

われは周囲に何事が起こって来ようとも思い煩うことはないのである。

何故なら、それは神に知恵に導かれていて万事がよくなるほか致し方がないからである。














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