午前中、ニキフォルのクリニツァを後にクラクフに向かいました。
こじきのようにその地で描いていた彼は、公園の中で銅像になってました。保養地プラス、ニキフォル、すっかり観光地に貢献してました。多分生きてた時は、汚いこじき絵かきぐらいの扱いだったでしょう。





最後の2枚は、クラクフのヤマ ミハイカというレストラン。かって、クラクフの文化人の溜まり場だったということです。なんとも重厚なインテリアでした。
こじきのようにその地で描いていた彼は、公園の中で銅像になってました。保養地プラス、ニキフォル、すっかり観光地に貢献してました。多分生きてた時は、汚いこじき絵かきぐらいの扱いだったでしょう。





最後の2枚は、クラクフのヤマ ミハイカというレストラン。かって、クラクフの文化人の溜まり場だったということです。なんとも重厚なインテリアでした。