来月、ある行政機関とヤングケアラー問題について打ち合わせを行う予定があります。それに先立ち、この問題に対して自分が感じるもやもや感について考えみます。
先日、この問題について学ぶために、5月初めに録画していたNHKスペシャル「ヤングケアラー SOSなき若者の叫び」を視聴しました。実際の当事者の生活をとらえた秀作でしたが、私の中のもやもやはさらにその濃度を増したように感じました。問題の本質とは何か、ソーシャルワーカーはこの問題にどう向き合うべきか。
私にはこの問題は家族の中の子供が親の面倒をしなければならず過度の負担を受けているという表層の現象の問題だけではなく、現代の人間関係、現代人の人間存在、更には社会そのものにかかわる大問題のように感じられるのです。この現代社会を覆う濃霧の中を、手探りしながらヤングケアラーの問題に向き合ってみます。(ただし、私は、いまのところ具体的なケースに向き合うソーシャルワーカーではいないので、抽象的な思索の域を出ないことをご容赦ください。)
まず、なぜヤングケアラーは問題なのかについて考えてみます。これは端的に言えば、憲法上の問題と言えます。たとえば、憲法で定められている、第11条の基本的人権、第13条の幸福追求権、第23条の教育の自由、第25条の生存権、第26条の教育を受ける権利、第27条の児童酷使の禁止などに、ヤングケアラーの諸問題が抵触する可能性が指摘されます。このことは国の制度、社会のシステムとしてこの問題を捉えるとき、まったく正しいとしか言いようがありません。しかし、そう考えるとき、私の心の内奥に強くわだかまる感覚が残ります。それは、ケアラーの原語であるケア(care)についてのこだわりです。
アメリカの教育哲学者ミルトン・メイヤロフはその著書『ケアの本質』で「ひとりの人格をケアすることは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けることである」(p.13)、「他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである」(p.15)と述べ、ケアすることが人間存在にとって重要な意義を持つことを指摘してました。実際、上述のテレビ番組を見ると、大腿骨を骨折して寝たきりになった母親の介護にかかりっきりで「世間一般的な生活を営めていない」青年が、母親と、家族の中ですら人間関係が希薄となった現代社会の中で、奇跡のような親子の絆を結んでいる姿は、まさに聖家族を彷彿とさせました。親が子供を、教師が生徒を、専門職が利用者をケアするのが当然で、その逆は間違いで、問題なのでしょうか。ケアという人と人との間のかかわりが、たとえどのような状況であっても人と人とを成長させより豊かなかかわりに発展して行くことは人間の事実であり、このこと自体を状況によって正しいものと誤ったものに区別し、誤った方を問題として画一的にとらえることは、はたして正しいのでしょうか。
この問いに一つの示唆を与えてくれるのが、ユダヤ人の宗教哲学者マルティン・ブーバーです。ブーバーは、他の存在に対する私たちの人間の根本的な二つの在り方としてわれ-なんじとわれ-それの関係があるといい、われ-それの関係とは、自分の周囲の存在者を観察や内省や利用の対象と見たり、自分の保護や援助を求める相手ととらえ、制度やシステムを整えていく在り方であるのに対し、われ-なんじの関係は、自分の全身全霊をもって他者と向き合い、自分とは全く違う彼に対してなんじよと呼びかける在り方といいます。国や行政の制度、社会システムは原理的にわれ-それの関係を基とします。それに対して、例えばメイヤロフのいうケアは存在者と本質的に出会うという意味においてわれ-なんじの関係ということができるでしょう。また、テレビ番組に登場した母子もこのような本日的な出会いを基とした関係に生きていたといえると思います。ブーバーがいうように、この二つの在り方がわたしたち人間の根本的な在り方とすれば、制度・システムと他者との本質的な出会いは両方必要になることになります。当然、制度・システムには行政というプロフェッショナルが存在します。それに対して、私たちソーシャルワーカーは何をすべきなのでしょうか。
ソーシャルワーカーの役割のひとつが、国家や行政のようなシステムではできないことを行うことであるならば、私たちソーシャルワーカーに求められるヤングケアラーに対する態度は、子どもには「親の世話を一生懸命していてすごいね」、親には「お子さん、親孝行ですね。また、お子さんの世話を受けているあなたもすばらしい」と尊敬の念をもって声をかけることではないでしょうか。このことは行政には決してできません。なぜなら、社会全体の公平なシステムを構築することを使命とする行政がヤングケアラーの個別のケースに対してこのような接し方をすれば、社会の不公平を是認することになりかねないからです。このようなケースのそれぞれに、尊敬の念をもってかかわっていくことが私たちソーシャルワーカーに求められる役割、そして使命であるように私には思われるのです。そして、そうやって築いた信頼関係をもとにそれぞれのヤングケアラーの取り巻く環境の問題をアセスメントし、理解して行政に働きかけたり調整したりして、制度やシステムの改善をはかっていくことも、私たちソーシャルワーカーに求められると思います。
引用文献・参考文献
『ケアの本質』 ミルトン・メイヤロフ著 田村 真・向野 寛之訳 ゆるみ出版 1987年
『対話の倫理』 マルティン・ブーバー原著 野口 啓祐訳 創文社 1967 年
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